底なしの不安/「にわか原発学者」/風向き

放射能汚染についての不安は底なしで広がっているのでは? と思ってしまいます。

県立いわき公園へペロを散歩に連れて行った帰り、震災後、会っていなかった中学ブラバン同志宅をたずねました。建築関係の彼氏は3月12日以来、ほぼ休みなしで出勤だそう。 そのお連れ合いが、「近所では原発避難で子どもを転校させたお宅がけっこうある。お隣りも九州へ転校した」とのこと。また「原発労働者の白血病の労災認定基準が年間5ミリシーベルトだとネットで知った。それで子どもの被ばく限度が年間20ミリって、どうしたら納得できるの?」などなどと、「このところ、友だちも含めてにわか原発学者のようにこういう話ばかり」と。

また別の知り合い宅へ行くと、「原発事故の収束が見えずに毎日が不安。これからの季節は原発地域からいわき方面への風向きになるはず」と、顔をあわせるなりの話です。「この近くの小学校では30人が転校したそうだし、小児科クリニックはいつもの半分らしい」とのこと。

 ともかく私としては、聞いて歩いて、合理的・理性的判断のためになにが必要か、いっしょになって悩むほかにありません。

放射能学習会/「安全神話」政治家に断罪を

4月17日に続き、安斎育郎さんを招き、「原発事故・放射能学習会」をしました。安斎さんは、専門分化している放射線防護学の中でも「線量評価」が専門で、大手マスコミを含め、いま全国で引っ張りだこのようです。

きょうも福島入りすることを機会に、急きょの企画でした。主催は私が代表をしている「いわき市原発の安全性を求める会」。

前回講演会から半月あまり、原発事故発生から2か月たとうとする時点でのきょうです。現実に降り積もっている放射性物質からどう身を守ったらいいか、をメインにお話いただきました。

放射線源を取り除くこと、外部被ばくを減らすための遮へい・距離・時間のこと、内部被ばくの経口・吸引・経皮のルートを断ち切ること、などノウハウ中心の話で、政府が数値をあれこれ言う前に、こうしたことをいち早く国民に伝えるべきだ、と強調されました。

いずれにしても私たちは、自然界からも宇宙線からのものを含め放射線を浴びており、たとえば、避けた食材・調理のつもりが、現実にはより多くの放射線を体内に取り込む食材・調理だったということもありうるわけです。

理性的・合理的・科学的に実態を知ったうえで対応することが大切です。こんな基本は必要ない、とされてきた「安全神話」は、まったくもって恐るべきことです。これを政治家の圧倒的多数が振りまいてきた責任を、有権者は断罪すべきです。私のきわめて強い主観的願望です。

権利とこの国のかたち/憲法は語る

日本国憲法は、「権利」についてこう言っています。

「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(11条)

なぜなら、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(97条)だからです。

だからこそ、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要」(13条)とされ、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(14条)のです。

だからと言って、国民が黙っていていいわけではなく、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と、権利をいつでも侵害する権力の監視を怠らないよう、一人ひとりの国民に強く促しています。

そのうえでこう言います。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」(前文)。

日本の国づくりの方向は、戦争や貧しさに象徴される「恐怖と欠乏」から免れることであり、その国家のいちばん大事な仕事は「平和のうちに生存する権利」を保障すること、というわけです。

「平和」と「福祉」は不可分であり、日本の国のかたちは「平和・福祉国家」であることを示したのがこの前文で、これを9条と25条で具体化しました。

私は、日本国憲法をこのように理解し、この全面実践にとりくむべきなのが、日本の政治家の仕事だと受け止めています。

憲法記念日が過ぎてしまいましたが、きのう、新入職員にそんな話もし、新聞やブログで憲法に真剣に向き合う言葉も目にし、政権交代があっても、憲法が国家のあり方として民主党からもまったく見えてこない現実を目の当たりにし、書きとめたくなりました。

新入職員/社会保障・平和/振り付けではありません

かつて病院事務長をし、組織部長もつとめた浜通り医療生協の新入職員オリエンテーションで、「社会保障と平和と私たちの仕事」をテーマに話をしました。

大震災であらわになった日本の社会保障制度のしくみのぜい弱性、これが実は「小泉構造改革」にかなりの責任があること、「政権交代」はその転換を民主党自身が熱く語っていたはずなのに、約束は守られないまま大震災に襲われたこと、憲法が示す社会保障の方向は明確で、たとえば「福島民友」の3日前の社説が「憲法という基本原理に照らして、課される使命を確実に履行」すべきことを訴えたこと、1953年に結成された民医連が、当初からこのことを主張するだけでなく実践していること、浜通り医療生協と事業所の職員がまさにその当事者で、新入職員のみなさんが、現場の仕事を支えるとともに、こうした心をもって仕事にあたってほしい、と、熱くなりすぎるぐらいに語ってしまいました。

振り付け教室をしているわけではけっしてありません。

余震/田人町黒田の断層

4月11・12日の大きな余震後も、毎日のように揺れがありましたが、午前2時4分の余震は市内の震度が3~5弱と、また大きな揺れでした。文字通りの丑三つ時でしたが、十数秒は続いたと思います。「4」はあったような感じで、当然に起こされました。

気象庁発表の震源位置によれば、平四ッ波(たいら・よつなみ)にある石森山の約800mほど北、わが家から約8.5kmほど北の地下約10kmのようです。

ともかく今回の3・11大地震以来、いつまで、そしてどこを震源として地震が起こるのか、この地域ばかりでなく、少なくとも日本列島東側ではどこでも揺れているので、まさに地震活動期と言うほかありません。

4月11・12日と続いた市内内陸部地震で露出した断層が田人町黒田地域にあることは聞いていて、気が気でありませんでした。

きょうやっと、現地に足を踏み入れました。まぁともかく、びっくりです。

田んぼの中を亀裂が走り、家の敷地を亀裂が走り、2本の別な断層が同じ地域でずれて姿を現したようです。2mほどの段差を生じて通行止めの道路もあります。

新年度/オリ準備/地方紙と全国紙の社説

職場も学校も、新年度が始まっています。

浜通り医療生協でも、4月1日には新入職員辞令交付がありましたが、震災対応で現場を守ることが最優先の期間でしたので、オリエンテーションは今月に入ってからでした。

民医連事業所の「たましい」と言っていい社会保障制度拡充と平和の確立について、私もあした話すことになっていました。新卒採用者だけでなく、昨年度中の中途採用者のみなさんもいっしょに学びます。

こういう状況で、引き受けていたことをきのう、スケジュールを確認してハタと思い出し、急いで準備です。

資料を準備していると、地元紙の「福島民友」の憲法記念日5月3日付社説の「『国難』へその理念を今こそ」が目に入りました。

「未曾有の『国難』だからこそ、国は憲法という基本原理に照らして、課される使命を確実に履行していくことを求められている」というのです。

全国紙が「今の憲法や法体系にどんな限界があるのか、しっかり見きわめる」などと、客観性を装うようで、自らの基準を主体的に持とうとする姿勢が伝わらない社説とは大違いです。

草の根で、憲法の心を根づかせる地道な活動が国づくりを支えることをつくづく感じます。「憲法は難しい」と、自分の暮らしが憲法に直結していることを感じていない大人が多数であることが現実です。これでは政治は子どもたちのためにつながりません。

写真はペロとの散歩と、先日の井上・大門参院議員、宮川さんとの視察の様子。

時間とは/生き生きと生きていくこと

『時間とは何か』(池内了著、ヨシタケシンスケ絵、講談社)を読みました。

まぁ、この2か月間、あんまり短すぎるように感じていたところ、私がファンの宇宙物理学者が「時間」について書いている本を、行きつけの本屋さんできょう、目にしてしまいました。初版は3年前。

物理学者ですから、話の大半は私たちが実際に体験する「物理時間」のことですが、最終章(8章)で、ちゃんと「心理時間」に触れてくれています。

いつも同じ速さで時間が流れているはずなのに、時間の感覚が短くなったような気分に追い立てられていることを、エンデという人が「モモ」という作品のなかで、「時間どろぼう」と呼んだそうです。

時間と競争するかのように忙しさに追われていることをテーマにしたことがうかがわれますが、どうも、アレコレ他のことを考えないため空白の時間が多くなるほど時間は短くなるようです。

流れる時間のなかに、どれくらいの思いが詰まっているか、によって時間が引き延ばされているように感じるようです。

子どもの時間はさまざまなものが詰まっていて、次つぎとなすべきことがあるので時間が長く感じられ、年をとると時間の空白が多くなってスカスカになっているので時間が短く感じるのかもしれない、とのこと。「何にでも興味があり、いろんなことにチャレンジすると老人の時計も速く回るようになり、若さが保たれることになりそうです」。

まぁいずれにせよ、時間は止めることはできず、それだけに「私たちは、時間を大事にして、いつも生き生きと生きていくことが大事」、というのが結論。

福島原発事故

『福島原発事故』(安斎育郎著、かもがわ出版)を読みました。副題は「どうする 日本の原発政策」です。

著者の安斎さんは、4月17日にいわき市にも来られた放射線防護学の専門家です。「東日本大震災・原発震災緊急報告会」で「放射能 そこが知りたい」のテーマで講演もしていただいたかたです。

1962(昭和37)年に、この日本で原子力政策を進めるために必要とされる技術者を養成する機関として創設された、東京大学工学部原子力工学科の第一期生です。

それ以来50年にわたり、とくに東大医学部助手時代に、尾行・差別・ネグレクト・威嚇・懐柔といったさまざまなアカデミックハラスメントにさらされながら、原発政策批判にとりくんできました。

3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、1923年の関東大震災の約45倍、1995年の阪神・淡路大震災の約350倍のエネルギーです。

この地震の揺れと津波に加えて、大量の放射線放出を招いた福島第一原発の事故が重なり、地球上で、人類が初めて体験する災害となりました。

「無力感に打ちひしがれることなく、一人一人が自分にできることを実践すること―これがいま一番大事」、「悔やんでも元へ戻らないことは悔やまず、事態打開の再出発のために力を尽くす…ゆとりがある人は資金を、元気な人は労力を、知恵のある人はアイデアを、言葉のある人はメッセージを、それぞれ出し合ってよりよく生きられる状況を切り開」くことを願い、全編書き下ろしです。

放射能や放射線、原発の基本についても、心を砕いて書かれています。

復旧・復興へ/井上・大門参院議員/住み続けられる地域

井上さとし・大門みきし両参院議員がいわき入りし、津波被災地域の復旧・復興へ向けた視察をしました。

小名浜漁港、小名浜地域、永崎、江名、平豊間・薄磯とまわりました。

漁港では漁民としばし。「日本は漁業の国。漁民は魚をとって生活を成り立たせる。しかしいまは原発事故の影響で漁の見込みはない。だけど2日に一回ぐらいはエンジンをかけに来るんだ。メヒカリ、タコ、イカをおもにとっているが、早く生活を取りもどさせてほしい」と。

豊間・薄磯ではそれぞれの「災害対策本部」で地域のみなさんと。「復興に時間はかかるが、地元の声をしっかりと活かしたい。豊間・薄磯・沼ノ内の地域が一体となって計画を提案している。なにより、現在の観光資源や漁業・水産加工業を再生し、住み続けられる地域づくりに力を貸してほしい」と。

「壊滅」と言っていいまちを前に、地元のみなさんがこうして復興計画を話し合う姿には、勇気づけられる思いです。

中小企業を営むかたがたからも、実情や要望もうかがいました。

また薄磯地域では、党の呼びかけで、ガレキ片付けなどのボランティアに全国から来られていました。

「かけはし」5月号/20分、30分/業者の苦しみ

通信「かけはし」5月号をご近所240軒ほどに配布しました。

「『安全神話』の大罪」をテーマにしました。表紙の写真の前列に並ぶのは、左から大熊町・石田洋一町議、浪江町・馬場積(つもる)町議、広野町・畑中ひろこ町議。

大熊町は全町が警戒区域、浪江町は警戒区域と計画的避難区域、広野町は緊急時避難準備区域で、党議員のみなさんは避難先でそれぞれの町民のみなさんに寄り添い、要望を聞き、励ましあう暮らしを強いられています。

配布していると、「原発事故は共産党の言うとおりだった。何年も前から国会で今回の事態を警告していたことを最近知った」と。またあるかたは、「日本海側の子どもの家に避難していた。いったい誰が原発は安全だと言い続けたの。小さい子どもたちが外で遊べるように早くしてほしい」と。立ち話ですが、あっという間の20分、30分です。

運送業者をたずねました。3月11日以降の仕事の激減で、十何年かぶりに年度決算が赤字になり、原発がある地域の仕事はまったくなくなったし、地震・津波で事業再開の見込みがないお客さんも少なくない、そのうえ原発事故によって「いわき」を避ける事態もあり、今年度も先がまったく見えない、と、その苦境を語りました。

別の事業所でも、「10人程度の従業員だが、それぞれ家族があり、守らないとならない。個人的にお金を貸すにも続かない。原発事故がなければこんなことにならなかった。仕事がないことがいちばんつらい。何とか助けてほしい」と、悲痛な訴えです。

原発事故がなければありえなかったことが、中小業者を苦しめています。全面補償は絶対的に必要です。