玉本京都市議/民医連/地区復興計画

【永崎・大平川橋】

玉本なるみ京都市議がいわき入りし、津波被災地の実情を見、避難所やご自宅の被災者を見舞いました。

玉本さんとは、大学時代に民青同盟や党の活動をともにした仲。私が全日本民医連事務局に勤めていたころ、京都の民医連事業所で保健師として働いていて、全国交流会で顔をあわせていた仲でもあります。

小名浜生協病院では、全日本民医連の応援を受けた組合員訪問やボランティア活動の最終日で、かつて事務局でいっしょに働いていた仲間3人とも再会できました。

【薄磯南街】


玉本さんとは津波被害が大きかった薄磯・豊間・永崎地域に入りました。

【豊間中学校】

豊間地区では、「子孫が住み続けられるための復興計画を徹底して考えている」と、区長さんたちから話を聞くこともできました。

避難所から自宅にもどっていた高齢者は、「戦争中の空襲の様子もはっきりおぼえているが、津波はもっと怖かった」と、その恐怖を語っていました。

避難所では、家を流されたかたがたが、「市を通してあしたから住むアパートが見つかったが、いまこうしていっしょの隣近所のみんなとはバラバラになってしまう」と。

この訪問には、ボランティアでいわき入りしていた「女性のひろば」編集部の兼本由美さん、「しんぶん赤旗」論説委員の竹腰将弘さんも同行してくれました。

生協ニュース/原発・放射能学習会/花見山/同級生

午前中、震災特集2㌻立ての「浜通り医療生協ニュース」2011年春号(203号)を配布しました。組合員が住むそれぞれの地域でご近所に配布しています。このネットワークを実質的なつながりにしていくことが、私たちの課題だと自覚しています。

途中出会ったかたは、「だんなの浪江(なみえ)の実家は津波で流されたが行くこともできない。家族は散り散りで避難してバラバラになってしまっている。双葉町の親族も、一時帰宅した家の中は地震で棚から何から倒れており、1人で行っても片づけられるはずもなく、手に持てる貴重品だけを持ち出しただけ、と言っていた」と、切々と語ってくれました。

午後は、内郷高野(うちごう・こうや)地域で「なぜ、原発事故が起きたの? 放射能は大丈夫?」の学習会に伊東達也さんと参加。

「いまからジャガイモを植えていいだろうか」「ここで育った豆を子どもに食べさせてもいいだろうか」「フトンを干したいが大丈夫か」「洗濯物は外に干せるのか」「話に出てきた放射線量の数字は大人のことだと思うが、子どもにとってはどうなのか」「原発にかわるエネルギーはあるのか」と、疑問は根本的です。

この近くには高野花見山があるんです。ちょっと寄ったのですが、少なくとも1時間は歩きたいです。

帰りに、中学同級生宅に立ち寄りました。親子で在宅していたお宅では、大地震の日、原発事故後の4日間の避難生活、その間の出来事、それぞれの知り合いから聞いた悲劇や出来事など、ほんとうに尽きませんでした。

もう一人の同級生はスーパー勤めで、地震翌日から市内各地の開店店舗をまわって仕事を続けていたそうです。

市長申し入れ/商工会議所・森林組合・磐林協/原発の深刻さ

「未曾有の大震災と原発災害において市民の安全安心の確保のための要望」を、党としていわき市長宛てにしました。

原発事故への対応、雇用の確保、被災住宅などへの支援、避難所の衛生、一時提供住宅など、19項目の要望です。

副市長が対応してくれましたが、別件の対応をしていた市長も冒頭と最後にじっくりと話をしてくれました。

その後、いわき商工会議所、いわき市森林組合、磐城林業協同組合をたずねて懇談。

商工会議所では、震災後、廃業や会員脱退増加、原発事故による出荷受け入れ「拒否」、ホテル・旅館など観光客の激減などの深刻な影響の実態が語られました。商業だけでなく、市民生活全般にわたって、「オールいわき」で「声を出す」ためにも、連絡会議立ち上げを市や市議会に要請したい、と。

森林組合・磐林協では、地震によって通れなくなってしまっている林道、補助事業の予算がストップしてしまっているために仕事が成り立たず、原発事故により職場である山にも入れない実態が語られました。

原発事故によるあらゆる被害の全面補償は聞けば聞くほどほんとうに切実です。

内郷・好間行動/励まされる声援

内郷(うちごう)・好間(よしま)地域の党後援会いっせい行動日でした。

今週29日には、内郷高野(こうや)地域で原発事故・放射能についての学習会があり、そのお知らせ・チラシまき、避難所になっている内郷コミュニティセンターへの炊き出し、そして好間地域での震災見舞い宣伝隊に分かれて行動しました。

私は好間地域で9か所の街頭から。

こうして宣伝カーで話していると、「声を出して歩いてくれるのは共産党だけだね。大事なことだよ」と声をかけてくれるかた、「話を聞かせてもらったよ。こういうことを言えない人を議会には送り出したくないね」と言ってくれるかた、話しているまん前に座って聞いてくれ、終えると「がんばってよ~!」と声をかけてくれるかた。

道路沿いでは手を振ってくれたり、クラクションを鳴らしてくれたり、また、事業所から手を振って送り出してくれたり。

みんなが被災されているなか、ほんとうに励まされる声援です。

話しているのは、お見舞いとお悔やみ、人災の原発事故では風評被害を含め、東電と国による全面的な補償を超党派で実現させるべきこと、これからのまちづくりは、原発に頼らず自然エネルギーを活用する政策への転換、防災と福祉を柱にすることが今回の震災が示した教訓であること、こうした新しいまちづくりをごいっしょに進めるため、がんばりましょう! ということです。

被災地にネコ・ツバメ・マスコット/被災体験を口に

きのうに続き、医療生協組合員宅を訪問しました。

午前中は、東京民医連の事業所職員と浜通り医療生協職員との3人で豊間(とよま)地域。津波の直撃を受け、家屋が流失したり、「解体承諾」の張り紙をしているお宅が大半でした。

豊間地域災害対策本部に寄ると、市内に避難されているみなさんは十数か所の避難所に分散されている、とのこと。

全壊家屋内にすわる猫、解体予定家屋にはツバメの巣、全壊の保育所前にはどなたかがマスコットを並べていました。

午後も同じメンバーで江名(えな)地域へ。津波で床上浸水の被害を受けたお宅では、入口がいまだに流されてきた2台の車や家屋ガレキにふさがれ、お隣りの家の敷地を通っての出入りでした。

ほかのお宅は海岸から離れていたり、やや高台で津波の直接の被害はありませんでしたが、敷地内に亀裂が入り、一方が地盤沈下し、「立入禁止」とされた家屋があります。

そのすぐ近所には築80年のお宅に92歳と90歳のご夫妻。家屋への目立った被害もなく、「足腰が不自由で避難所へ行くわけにもいかないし、原発事故で避難もしない。ここがいちばん落ち着く。近所のみなさんなどが水や食料などを持ってきてくれ、ほんとうに助けられた」と。

高台の自宅で津波が襲ってくる様子を目の当たりにしたかた、大地震の直後に庭に飛び出して身動きできなかったと恐怖を語るかた、原発事故後の避難生活のつらさや不安を語るかた、ともかくこの間の体験をとにかく口に出しておきたい、というみなさんの心のうちを見る思いです。

「バリバリッ、と津波」/原発事故避難/励ましあう訪問

浜通り医療生協とその事業所として、東京民医連や福島県民医連の応援を受け、組合員を訪問しました。

安否の確認や家屋の状況、健康状態、それに心配事や要望などを聞いて歩きました。

私は、医大生と県民医連事務局員の3人で、午前中は津波の直撃を受けた江名江ノ浦地域、午後は高台の団地の訪問。

津波に襲われた地域では、「家屋の解体を承諾します」と張り紙をはったお宅がさすがに目立つなか、難をまぬかれたお宅もあります。

歩いていると、大地震直前にまもなく引き渡しだった新築中の家の前に大工さんたち。どこでもあの日の出来事とこれからの復興へ向けた話で、お互いに励まされ、こうして歩くことの大切さを感じます。

大地震後、大津波前に地域のみなさんが避難した高台は、車や船や家が流される様子を目の当たりにした場所です。「バリバリッ、という音とともに津波に襲われた様子を見ていた場所だから、ぜひ見ていって」と近所のかた。

午後の訪問でも、原発事故のゆくえへの不安と原発政策への怒りは強く感じます。原発建屋爆発後に、市外・県外に避難した、というお宅も少なくありません。

また、あの当日に介護施設で仕事をしていて、利用者を避難させようと公立施設を数か所回って断られ、行政対応の不十分さを指摘する声もありました。

どこのお宅からも歓迎されるというか、話したいことがたくさんある、という感じです。

相談会/「山歩の会」学習会

「東日本大震災・原発被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター」による第1回相談会がありました。

私が受けた相談は、たまたまお2人とも代理のかたでした。

警戒区域と緊急時避難準備区域となっている川内(かわうち)村に畑があり、居住しているいわき市内から通って野菜栽培をしていたが、原発事故以降、どうなっているのか確認したくても、行くこともできない、こうした場合の補償はどうなるのか、という相談。

もうお一人は、警戒区域内の楢葉(ならは)町からいわき市内へ避難しており、家は地震によって住めない状態であり、加入している家屋保険会社に相談したところ、家屋の状態の確認後というものの、立ち入ることができないのにどう対応したらいいのか、家屋全壊の罹災証明は町から受けている、という相談。

午後は、医療生協のサークル班「山歩(さんぽ)の会」主催の学習会「原発事故の本質を知ろう!!」に、伊東達也さんと参加しました。

私からは、原発事故後、医療生協の組合員さんや知り合いを訪問して歩いた際、ほぼすすべての人からと言っていいぐらい、原発事故問題のゆくえが話題になったこと、いったん市外・県外へ避難してもどってきたかたが多かったこと、05年2月県議会での私の質問のこと、「安全神話」がもたらした罪を報告しました。

みなさんからは、東電の工程表どおりいくんだろうか、事故収束のために政府はアメリカ・フランス始め世界の英知を集める姿勢があるんだろうか、事故とは別に、今後の健康を考えたときにCTなど放射線を浴びる検査を受ける機会がふえると思うが、どう考えたらいいんだろうか、今のいわき市内の状態で、洗濯物を外に干してからの対応はどうしたらいいだろうか、などなど、さまざまな疑問・不安が語られました。

いわきの被災の様子を視察に来ていた「原発問題住民運動全国連絡センター」の事務局長・次長さんの2人も参加され、こうした疑問などにも答えてくれました。

「安全神話」の大罪/恐怖感情は子どもの責任?/政治家の責任

原発事故以後の、放射線をめぐる勉強会の機会を通し、「安全神話」の罪深さを深く感じています。

「安全神話」を振りまく片棒を担ぎ続けた政治家には、自ら責任をとってほしいと思います。が、「安全神話」に迷わず一貫して切り込んだ政党は共産党以外にないので、「みんなで渡れば」よろしく、誰も責任に言及しないかもしれません。「有権者がまた選んでくれた」と、選ぶ有権者に責任を転嫁することもおおいにありえます。

ともかく、これまでは、私たちの身の回りの放射線は、宇宙からのものを含めた自然界からの放射線と、1960年代前半までは堂々と行なわれていた核実験を含め、医療の場でのレントゲン写真など、人間が意図的に放射線を出す場合を前提に、被ばく放射線限度量が示されていたのだと思います。

ところが今回の原発事故は、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故、1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故につづき、あるいはそれら以上に、制御しようがなく放射線が出続けるかもしれない事態です。

なにせ日本は、こうした事態は「ぜったいない」ことを前提に、原発を増設し、プルサーマルを進め、放射線が出続けるときの身体影響や避難体制など、考える必要はない、と、国家をあげて国民に刷り込んできた国です。

そういう意味で、大人たちが政治的に無知を強いられ続けたきたときに、こうした事態に遭遇しました。大人たちが、「放射能」と聞いただけで恐れおののく頭にさせられてきたわけです。

子どもたちは、何を根拠に大人たちが恐れおののいているのかわかりません。聞いても答えてくれません。場合によっては、大人の恐怖感情を、子どもたちがいだいているんだ、と何も知らない子どもの責任にする場合すらありえます。

「安全神話」の底なしの罪深さをここに私は感じるのです。「安全神話」を振りまいた政治家のみなさん、責任をとってください。

政党助成金/思いやり予算/大企業・大金持ち

震災復興に身も心も投じているときに、国内ではあっちを向いていることがいくらでもあります。

2日前には、共産党を除く9政党が計約80億円の政党助成金を受け取りました。

年総額約320億円について、今月1日に総務省が配分額を決定し、9政党が11日までに第1回分の受け取りの請求書を提出したわけです。19日付の「毎日新聞」夕刊で「政党交付金をガマンせよ!」のコラムがあったようですが、全体として、ずいぶん静かなようです。はらわたが煮えくり返る思いです。

先月31日には、今後、5年間にわたって、総額1兆円の在日米軍駐留経費を日本が負担する、いわゆる「思いやり予算」特別協定が、民主、自民、公明などの賛成多数で可決・承認されました。日本が負担する義務はないのに、苦難にあえていでいる被災者・国民の支援に総力をあげるべきときに、思いやるべきは米軍だ、というわけです。

29日には、参院で共産党や自民、公明など野党の反対で予算案は否決されましたが、憲法の衆院優越規定により、成立しました。

高齢者や障害者の年金を削減する一方で、大企業などの法人税5%減税、証券優遇税制の存続など、大企業や大金持ちにはありがたい中身のままです。

政党政治は今後も続きます。人間が志しを同じくする人たちと社会的に行動をともにすることで政治と社会を支えていく以上、当然のことです。

現実社会・現実政治、そして目の当たりにする現実と政党政治を結びつける有権者のありようも、この日本でいよいよ問われている気がします。「自分自身がどういう政治にしたいか」を基準に政党を判断する時代に入っている気がします。

私は共産党の一員なので、こうして政治的に言いたいことがいくらでも言えています。

久之浜・四倉漁港/堤防がなくなっている

【久ノ浜漁港】

久之浜漁港と四倉漁港の様子を見ました。

久之浜はいわき市漁業協同組合がある漁港。津波の流れによって、流された船やガレキや漁具が山のようになった場所があります。

ボランティアの協力もあり、きょうからガレキ撤去作業が始まっていました。

【久ノ浜漁港】

漁協支所長は、「みんな漁に出たいと思っている。今、漁に出られないのは原発事故によるもの。地震・津波による被害と、原発事故による被害はまったく違う。原発事故被害の補償を早くはっきりさせてほしい」と、切実な訴えです。

【四倉漁港南】

四倉漁港では、堤防があちこちで決壊しています。被災以前の堤防の姿を知る人が、ぼう然としながら、「あそこの堤防がなくなっている」「こっちもそうだ」と。

ひとつは矢印のところから手前に70mほどあった堤防がなくなっています。

【四倉漁港入り口】

もうひとつも、二つの矢印のところまであった堤防がありません。