安眠妨げの余震/お見舞い宣伝/あの日に原発内で作業

とにかく余震にはまいります。4月11・12日の大きな余震までは、「あっ、これは震度3だ」「これは2だな」ぐらいに体も受け止めていたように思いますが、その後はちょっと自覚的にも過敏になっています。体が勝手に、という感じ。

きのうの夜中の11時47分ごろ、けさの4時29分ごろの市内の震度は2~4の地震でしたが、けっきょく安眠を妨げられました。

そんなことはともかく、きょうも先週に続き、内郷宮町地域に入り、被災のお見舞いとこれからの新たなまちづくりへ向け、激励の宣伝をして歩きました。

「ごいっしょにがんばりましょう!」と呼びかけたら、犬と散歩されていたかたから「がんばりましょう!」のエールがありました。家の中から手を振ってくれるかたも。

午後は、縁があって、3月11日に福島第二原発内で作業をしていたかたから話を聞く機会がありました。

水密性の高い原子炉建屋内にあった非常用電源はいくつか水没して使えないし、健全性を保ったといわれる熱交換器建屋のポンプ類も水没した、とのこと。

第一原発の今の事態に至る冷却水喪失は、津波による電源喪失が原因なのではなく、地震による配管破損が原因と考えるのが普通じゃないか、と。

『世界』5月号では、元原子炉製造技術者の田中三彦さんが「配管が地震時に激しく揺れて破損し、その破損個所から高温高圧の冷却材(水または水蒸気)が猛烈に噴出したのではないか…電源喪失という事態がこの冷却材喪失事故と関係し始めるのは、あくまで“噴出後”」でないか、指摘しています。

震災後、しばらくは通ることができなかった海沿いの県道豊間(とよま)四倉(よつくら)線は一部、通ることができました。

【仁井田浦キャンプ場・駐車場】