小名浜で定時定点/原発・放射能学習会/支部会議

けさは小名浜で「定時定点」の街頭からの訴え。医療生協の党職員後援会の3人が「旗持ち・手振り」に出てきてくれました。異様に寒いなかでしたが、通学する高校生たちの元気なあいさつ、通勤するドライバーのみなさんからのクラクションや手を振っての声援が暖かいのです。

午前中、私も理事をつとめている浜通り医療生協の「まちづくり委員会」が主催した学習会がありました。「ついに起こった原発災害 放射能の正体は? その影響は?」がテーマ。小さなお子さん連れの若いお母さんも少なからず参加されていました。講師は理事長の伊東達也さん。

伊東さんは、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員として、3・11以降、全国を講演行脚です。いろいろな会場で、いろいろな不安や疑問を聞き続けているだけに、そうした気持ちに応えようとする話です。

「スーパーに並んでいる食材は汚染されていないのか?」「4歳の子どもの将来の子どもに影響は出ないのか?」「仮にお孫さんが保育園に通っているとしたら、伊東さんはどういう対応をするか?」「不妊の影響がでると聞いたが、どうなのか?」「子どもたちが通う学校や幼稚園・保育園での対応は?」などなど、いつでもどこでも質問は切実です。

閉会のあいさつで私は、こうした事態を招いた原発事故が、県議会でも国会でも市民団体や共産党議員の指摘を無視し続けた結果であることを率直に告発し、福島原発の廃炉を始め、原発に頼るエネルギー政策からの転換、そして健康と暮らし・福祉のまちづくりを医療生協としてもみなさんといっしょに進める決意を述べました。

午後は私が住む居住党支部会議に参加しました。党支部として、原発・放射能問題で勉強することと、住民のみなさんにも呼びかけて学習会を開催することを確認しました。

月曜の定時定点/署名/小名浜港1号埠頭

月曜日朝は2か所で定時定点。高校時代の恩師、同級生、医療生協関係者などから手を振っての声援、ご近所から出勤されるかたがたからの声援、すっかりおなじみのすぐ前の職場のかたからの声援に励まされました。

「福島県に原発はいりません!」署名を全市的に進めているのですが、わが家にお手紙つきで郵送されてきました。隣りの住宅地なので、さっそくたずねました。

「若いころはずっと社会党を支持していた。1994年の村山内閣で完全に裏切られ、その後は選挙は棄権していた。この原発の事態を目の当たりにして、共産党しかないと思った」とのこと。

先日、小名浜機船底曳網漁協をたずねたときに、小名浜港1号埠頭が「メチャメチャ」と聞き、見る機会がなかったので気になっていました。1号埠頭というと、私は「いわき・ら・ら・ミュウ」がある埠頭としか認識していませんでした。

その埠頭の道路をはさんだら・ら・ミュウの向かいが漁港です。

一刻も早い復旧がほんとうに必要だと思います。岸壁には、「いつでも出航したい」とエンジン音を鳴らす漁船。原発事故のために出られないのです。

市へ第二次の義捐金/災害対策から復興へ

党中央に寄せれらた震災募金から、いわき市に対して第二次の義捐金300万円を党地区委員会としてお渡ししました。

なにより、募金していただいている全国のみなさんに心から感謝します。

応対してくれたのは伊東正晃副市長。

副市長からは、2万件を超えているり災証明申請に対して、全国の自治体職員からの支援も受けながら、り災調査や証明発行に全力をあげて被災した市民に応えようとしている努力、家を失った被災者への一時提供住宅のあっせんの現況、ガレキ処分が国による放射線影響基準が示されないまま「待った」をかけられていて、国に強く働きかけている実情など、震災対策の実情の報告がありました。

あわせて、市として、「災害対策」から「復興」へ、その復興も、とりわけ甚大な被害を受けた地元住民の要望をしっかりと受けて進めなければならない、との話もありました。

党県書記長の町田さん、菅野党地区委員長、4人の党市議団、宮川県議、そして私が参加しました。

放射能汚染/被爆者と私たち

『放射能汚染の基礎知識。』(朝長万左男[ともなが・まさお]著、マガジンハウス)を読みました。「売り」は「45分でわかる!」のブックレット仕立てです。

著者は日本赤十字社長崎原爆病院院長。

特に今、放射線の被ばくレベルと人体への影響が私たちの高い関心事ですが、この面でのデータが、広島・長崎の生存被爆者約20万人の、今日に至るまでの66年間にわたる健康への影響の研究から得られていることがわかります。

放射線によって細胞死の量がどの程度になるか、放射線によって傷ついた遺伝子の修復ミスで発ガンにいたる細胞がどの程度生じるか、放射線の人体への影響はこの2つにつきる、とのこと。

その影響の強さは、被ばくした放射線の量によるし、同じ放射線量でも、一度に浴びるか、複数回に分けて浴びるかによっても異なります。

こうしたことが、いま問題になっている放射線量とは3桁も4桁も違うレベルの放射線を浴び、これを乗り越え、生き抜いてきた被爆者によって私たちが与えられているわけです。

ともかく、「私たち一人ひとりが、正しい知識を持ち、科学的に理解し、考え、適切に、冷静に行動する」ためのひとつの材料になる本です。

原発事故・放射能学習会/政治の責任/そば

平の神谷(かべや)地域の党支部が主催した「原発事故・放射能学習会」に渡辺ひろゆき市議と参加しました。

党支部としては、今回をこのテーマの第一回と位置づけ、今後も継続して開催したい、とのこと。

「水道水が汚染された場合を考えて毎日、水の備蓄をしている。行政の対応はどうなっているのか?」、「日々発表される環境放射線量値は信頼していいのか? それよりこの広いいわき市で、1か所だけの数字を言われても安心できない。もっと細かな各地域での測定をすべきではないか」、「放射線量測定器を市民が手軽に手に入れられるようにすべきではないか」、「家庭菜園で毎年野菜を作っている。今年も種をすでに植えたが、食べられるんだろうか?」、「県知事がテレビで言っている事はもっともに聞こえるが、電力会社と仲がいいから知事になったと言う人が多い。プルサーマルのこともあったが、どうなのか」と、いまほんとうに、原発問題と放射能問題で、話をする機会を文字通り無数にもつことは、政治の責任です。

きょうは休暇日だった妻と、ちょっと早めの昼食を近くのおそば屋さんで。なんだか久しぶりでした。

食卓の放射能汚染/政治的審判

『家族で語る 食卓の放射能汚染[増補改訂版]』(安斎育郎著、同時代社)を読みました。

もともとこの本は、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故後、輸入食品の放射能汚染が問題化していたときに書かれたもので、福島原発事故を受けて増補改訂として緊急出版されました。

今回の原発事故の現状を執筆時点で見据えつつ、放射能とはなんなのか、放射線の人体への影響はどうなのか、かなり詳細に、かつ、安斎さんらしくわかりやすく解説し、そのうえで食品の放射能汚染にどう対処するかを語ってくれています。

「放射線や放射能について基本的な知識を身につけ、その危険性について理解を深めるとともに、無用な恐怖感をもたないように学習すること」の姿勢は、こういう事態に遭遇してしまった以上、誰にでも求められると思います。

原発事故はぜったいないという「安全神話」にいまだにしばられ、こうした知識を身につける必要はない、としてきた歴代政府と民主党政権の罪の深さが、よくわかると思います。大人も子どもも、こうした知識を学ぶ機会を得られなかったのは、すぐれて政治の責任です。そのことを政治的にはっきりと審判を下すべきときだと私は思います。

検証・根拠なく原発推進/あいた口/学習会/不破パンフ

3月11日の大地震・大津波後、翌日からの新聞を処分する間もなく、きょうやっと、点検・処分しました。が、とても消化しきれる情報量ではありません。

最新情報は、きのうのOECD(経済開発協力機構)50周年記念行事での菅首相スピーチ。

福島原発事故の検証は現段階でまったくされていないのに、「今回の事故を教訓に『最高度の原子力安全』を実現していきます」と、根拠もなく原発推進を継続する空文句を語ったのでした。「あいた口がふさがらない」とはこういうときに使うもんだと、あきれざるを得ません。

5月5日の「朝日新聞」では、元東電副社長で、昨年まで自民党参院議員を2期務めた加納時男氏がインタビューに答えていました。「低線量(の放射線)は体にいい、ということすら世の中では言えない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた」というわけです。言っていることは、「原子力の選択肢を放棄すべきでない。福島第一原発第5、6号機も捨てずに生かす選択肢はある」「原子力を選択したことは間違っていなかった。地元の強い要望で原発ができ、地域の雇用や所得が上がった」。また、私はあいた口がふさがりません。

もちろん、両方とも「そのとおり」というご意見をもつかたがいることは承知しています。政治家を選ぶ有権者の選択の問題になるわけです。

きょうは小名浜生協病院付属せいきょうクリニックの待合室で、浜通り医療生協理事長の伊東達也さんを講師に、原発と放射能の学習会がありました。私も、職員と組合員のみなさんと聴講です。

 

党地区委員会にも寄って、きょう発売の、不破さんによる『「科学の目」で原発災害を考える』(150円のパンフレット)を購入し、さっそく読みました。

漁業団体に義捐金/漁に出てこそ/切迫した思い

党のいわき・双葉地区委員会として、いわき市内の漁業団体に、党中央からの義捐金をお渡ししました。

たずねたのは、福島県漁業協同組合連合会、いわき市漁業協同組合、中之作(なかのさく)漁協、江名(えな)漁協、小名浜機船底曳網漁協。

県漁連と市漁協には党県書記長の町田和史さんも同行しました。

共通して出される話は、「漁港の復旧」「原発事故の早期収束」「原発事故による全面賠償」「漁業者は漁に出てこそ生き生きする」ということです。

「漁師が陸(おか)でスコップをもっていてもイライラが募るばかり」「地震と津波による被害は猟師はみんな承知している。問題は原発」「今すぐにでも漁に出られる猟師はいるのに」「原発は絶対安全だと聞かされていたのに」「絶対安全な原発なら、東京湾につくればいい」と、率直な意見が次つぎと出されます。

漁協によっては、建物内部の被害が大きいところもあり、専務理事さんが出かける用事がある直前にうかがったのにもかかわらず、津波被害当日や地震被害の様子を細かく説明していただいたりしました。

漁民の日々の生活にかかわるだけに、ほんとうに切迫した思いが切々と感じられた訪問でした。

ジャーナリズム/憲法の精神/言葉として具体的に

『ジャーナリズムニ生きて』(原寿雄著、岩波現代文庫)を読みました。

今年2月中旬の発行で、08年12月の岩波市民セミナーで話した内容がベースです。発刊直後に手にした記憶がありますが、大震災に直後に襲われ、ずいぶんと間をおきながらの読書でした。

副題が「ジグザグの自分史85年」。共同通信社の社会部記者から始まって、外信部長、編集局長、専務理事・編集主幹、1986年からは6年間、社長をつとめました。

本書の最後に「私のジャーナリズム哲学」が21項目にまとめられていますが、ずしりと響く言葉が満載のように私は感じます。

「言論表現の自由はすべての基本的人権を支える基盤的自由である」「自由とは少数派、異端の自由を保障するものである」「少数意見の報道は賛否のバランスのためではない。真実追求に不可欠なものである」「ジャーナリズムの基本は、オピニオンよりオピニオンの基となる事実の報道である」「二分割思考のテレビ報道は世論形成をゆがめる」などなど…

まったくそのとおり、と思うことばかりで、原さんのこの「哲学」の根底に、日本国憲法の精神が流れているように思えるのです。ところが、「憲法」という言葉は出てきません。

世界的に、社会的・歴史的に築かれたはずの日本国憲法の意義を、ジャーナリズムの世界に言葉として、もっと具体的に表現して活かすべきだと私は思うのです。

地震で目覚め/震災の教訓/中村哲さん

けさの5寺36分、市内の震度3~5弱の地震でまた起こされました。この時間ではまた寝るわけにもいきません。6寺25分からは日課のテレビ体操。

きょうは内郷・好間のいっせい行動に参加。20人を超える党後援会員・党員が、チラシまき隊・「しんぶん赤旗」普及隊・宣伝隊に分かれて行動しました。

私は3人の宣伝隊。7か所の街頭から、お見舞いとお悔やみ、そして原発に頼るエネルギー政策からの転換と、原発ゼロにする期限を決めたプログラムを政府が責任をもって作成すべきこと、防災と福祉を柱としたまちづくりを住民が主人公を貫いて進めることが、震災からくみ取る教訓であることを強調して歩きました。

庭で聞いてくれていたかたが、「前知事が原発にどういう態度だったかも知らないし関心もなかったが、今の知事がプルサーマルにサインしたときはなにか違うんじゃないかと思った。話を聞いて、原発の問題を整理できた思いだ」と。ものすごく感動的でした。

自転車で通りかかったかたや、車で通りかかったかたが最後まで聞いてくれて拍手してくれたり、工事作業中のかた、鉄道作業中のかたが声援を送ってくれたり。ほんとうにありがとうございます。

夕刻には、ペシャワール会現地代表で医師の中村哲さんによる「いわき支援緊急講演会」。ご本人は、「支援とか激励とかではなく、アフガンの実情と会の実際の活動から、震災にあわれたみなさんの参考に少しでもなれば」とのお話でした。

私が印象に残った言葉。

「人間が自然を完全にコントロールすることはできない」

「自然といかに同居するかを考えることが大事」

「人間と人間の関係、人間と自然との関係を、歴史をさかのぼって見直すとき」

「1万年も監視し続けなければならないものはつくらない」