漁業団体に義捐金/漁に出てこそ/切迫した思い

党のいわき・双葉地区委員会として、いわき市内の漁業団体に、党中央からの義捐金をお渡ししました。

たずねたのは、福島県漁業協同組合連合会、いわき市漁業協同組合、中之作(なかのさく)漁協、江名(えな)漁協、小名浜機船底曳網漁協。

県漁連と市漁協には党県書記長の町田和史さんも同行しました。

共通して出される話は、「漁港の復旧」「原発事故の早期収束」「原発事故による全面賠償」「漁業者は漁に出てこそ生き生きする」ということです。

「漁師が陸(おか)でスコップをもっていてもイライラが募るばかり」「地震と津波による被害は猟師はみんな承知している。問題は原発」「今すぐにでも漁に出られる猟師はいるのに」「原発は絶対安全だと聞かされていたのに」「絶対安全な原発なら、東京湾につくればいい」と、率直な意見が次つぎと出されます。

漁協によっては、建物内部の被害が大きいところもあり、専務理事さんが出かける用事がある直前にうかがったのにもかかわらず、津波被害当日や地震被害の様子を細かく説明していただいたりしました。

漁民の日々の生活にかかわるだけに、ほんとうに切迫した思いが切々と感じられた訪問でした。

ジャーナリズム/憲法の精神/言葉として具体的に

『ジャーナリズムニ生きて』(原寿雄著、岩波現代文庫)を読みました。

今年2月中旬の発行で、08年12月の岩波市民セミナーで話した内容がベースです。発刊直後に手にした記憶がありますが、大震災に直後に襲われ、ずいぶんと間をおきながらの読書でした。

副題が「ジグザグの自分史85年」。共同通信社の社会部記者から始まって、外信部長、編集局長、専務理事・編集主幹、1986年からは6年間、社長をつとめました。

本書の最後に「私のジャーナリズム哲学」が21項目にまとめられていますが、ずしりと響く言葉が満載のように私は感じます。

「言論表現の自由はすべての基本的人権を支える基盤的自由である」「自由とは少数派、異端の自由を保障するものである」「少数意見の報道は賛否のバランスのためではない。真実追求に不可欠なものである」「ジャーナリズムの基本は、オピニオンよりオピニオンの基となる事実の報道である」「二分割思考のテレビ報道は世論形成をゆがめる」などなど…

まったくそのとおり、と思うことばかりで、原さんのこの「哲学」の根底に、日本国憲法の精神が流れているように思えるのです。ところが、「憲法」という言葉は出てきません。

世界的に、社会的・歴史的に築かれたはずの日本国憲法の意義を、ジャーナリズムの世界に言葉として、もっと具体的に表現して活かすべきだと私は思うのです。