新年度/オリ準備/地方紙と全国紙の社説

職場も学校も、新年度が始まっています。

浜通り医療生協でも、4月1日には新入職員辞令交付がありましたが、震災対応で現場を守ることが最優先の期間でしたので、オリエンテーションは今月に入ってからでした。

民医連事業所の「たましい」と言っていい社会保障制度拡充と平和の確立について、私もあした話すことになっていました。新卒採用者だけでなく、昨年度中の中途採用者のみなさんもいっしょに学びます。

こういう状況で、引き受けていたことをきのう、スケジュールを確認してハタと思い出し、急いで準備です。

資料を準備していると、地元紙の「福島民友」の憲法記念日5月3日付社説の「『国難』へその理念を今こそ」が目に入りました。

「未曾有の『国難』だからこそ、国は憲法という基本原理に照らして、課される使命を確実に履行していくことを求められている」というのです。

全国紙が「今の憲法や法体系にどんな限界があるのか、しっかり見きわめる」などと、客観性を装うようで、自らの基準を主体的に持とうとする姿勢が伝わらない社説とは大違いです。

草の根で、憲法の心を根づかせる地道な活動が国づくりを支えることをつくづく感じます。「憲法は難しい」と、自分の暮らしが憲法に直結していることを感じていない大人が多数であることが現実です。これでは政治は子どもたちのためにつながりません。

写真はペロとの散歩と、先日の井上・大門参院議員、宮川さんとの視察の様子。

時間とは/生き生きと生きていくこと

『時間とは何か』(池内了著、ヨシタケシンスケ絵、講談社)を読みました。

まぁ、この2か月間、あんまり短すぎるように感じていたところ、私がファンの宇宙物理学者が「時間」について書いている本を、行きつけの本屋さんできょう、目にしてしまいました。初版は3年前。

物理学者ですから、話の大半は私たちが実際に体験する「物理時間」のことですが、最終章(8章)で、ちゃんと「心理時間」に触れてくれています。

いつも同じ速さで時間が流れているはずなのに、時間の感覚が短くなったような気分に追い立てられていることを、エンデという人が「モモ」という作品のなかで、「時間どろぼう」と呼んだそうです。

時間と競争するかのように忙しさに追われていることをテーマにしたことがうかがわれますが、どうも、アレコレ他のことを考えないため空白の時間が多くなるほど時間は短くなるようです。

流れる時間のなかに、どれくらいの思いが詰まっているか、によって時間が引き延ばされているように感じるようです。

子どもの時間はさまざまなものが詰まっていて、次つぎとなすべきことがあるので時間が長く感じられ、年をとると時間の空白が多くなってスカスカになっているので時間が短く感じるのかもしれない、とのこと。「何にでも興味があり、いろんなことにチャレンジすると老人の時計も速く回るようになり、若さが保たれることになりそうです」。

まぁいずれにせよ、時間は止めることはできず、それだけに「私たちは、時間を大事にして、いつも生き生きと生きていくことが大事」、というのが結論。