酪農家訪問/後手後手の国・県

おもに原乳を生産している市内の酪農家をたずねました。

地区党の菅野委員長、宮川さん、高橋・伊藤市議といっしょでした。

原発事故後、3月12日から4月17日までは事故の影響で出荷ができず、18日以降は出荷は再開しています。牛に食べさせる干草も、自家製から購入品に変えざるを得ません。

県や政府の後手後手のに対応に、将来だけでなく当面の暮らしの不安も強く、また、放射線測定も地点を増やし、実態を正確に把握した対応が必要だ、と。当然のことだと思います。

ご本人は放射能汚染実態情報をインターネットからも日々収集し、「データ重視で堅実な対応をするつもり。それだけに、行政は、われわれ酪農家だけでなく、国民が安心できる放射線測定体制を整備して迅速に公表することが最低限のこと。国や県がどうしたらいいかわからない、みたいな姿勢では、安心できないし先も見えない」と。

全面補償の方向も不透明なら、原発事故後の放射線管理体制も不透明では、ほんとうに困ります。

時代の証言/ペンネーム/演説

『不破哲三 時代の証言』(中央公論新社)を読みました。

「読売新聞」2010年11月1日~12月11日に連載されたインタビュー記事をもとに、新しい回想や論及も含めて、日本の政治史の現在と将来を考える材料の記録としてまとめられました。

中身はともかく、「不破哲三」のペンネームですが、1953年当時に住んでいた家の近くで、争議があったペンキ屋さんの「不破建設」と、勤めていた職場の鉄鋼労連の「鉄」をもじってつけたんだそうです。共産党の機関誌『前衛』1953年9月号掲載の論文かぎりのつもりが、1956年2月のソ連共産党大会でフルシチョフがスターリン批判をし、これを契機に世界的に革命論をめぐる活発な議論の関わりで、この「不破」名を使い続けることにしたとか。

1969年12月に国政選挙初出馬の際、一般の人の前で世間に通じる話をするのは、それまで論文や政策の解説で党内で話すのとはまるで勝手が違い、演説で通用する「太い論理」をめざすようになった、というのは、私が言うのもなんですが、ものすごくわかる気がします。