平和行進・小名浜/放射線量測定

きのういわき入りした国民平和大行進はきょうは小名浜。

小名浜では、歴史的に、小名浜生協病院の職員を中心に、浜通り医療生協の各職場、組合員が参加して行進しています。

とにかく今年は、すれ違って行く車からも、沿道の店舗のみなさんからも、きょうはたまたまなのか、午前中に学校を終えたらしき高校生たちからも、「がんばれ~」と言う声、ガッツポーズをするドライバー、思いっきり手を振るなどなどの声援が、たいへん目立ちました。

午後は、ある住宅街で放射線量の測定をしながら歩きました。この地域の党員が、「近所の友だちが放射線量を心配していて、ぜひ知りたい」と聞いていたのでした。

党地区委員会で購入した簡易測定器を持って歩きました。

0.19~0.25μ㏜毎時の測定値でしたが、いちばん西側の林近辺や草地の土手では0.29~0.44μ㏜毎時の値。

こうして、同じ住宅地内でも値はさまざまです。私は、回覧板を回す範囲に、行政の責任で測定器を配り(購入費は当然、東電に請求すべき筋合いの話です)、そこに住む住民のみなさんに知らせるべきだと思います。

平和大行進/「全面補償の実現を」/感動の訪問

2011年原水爆禁止国民平和大行進がいわき入りし、市と市議会に要請をしました。

5月8日に北海道・礼文島を出発した通し行進者で、横浜市在住の竹田昭彦さん、福島県原水爆禁止日本協議会代表理事の斎藤勝弥・福島大学名誉教授も同席。

いわき市が、非核平和都市宣言にふさわしい市政を発展させるための要請で、平和行進ペナントへの記入と募金への協力とあわせ、毎年行なっている行動です。

議長要請では、議長から「ご指名」で発言させていただきましたが、いわき市民すべてが原発震災の被災者であり、「線引き」することなく、東電や国にあらゆる被害の全面補償を実現されるために、被災市民の立場を貫いてほしい、と強く要望しました。

県教育庁いわき事務所やその近所の地震被害を受けた商店をたずねてから、午後は「原発ゼロ」署名を返送いただいたみなさんを訪問しました。

老後はいわき市に住むことに決めて大熊町から引っ越してきた、というかたは、「共産党の石田洋一町議のニュースはいつも読んでいた。私の気持ちを代弁していて、みんながそう思っているんじゃないかと思うことばかり。こうした声が広がらないことをおかしく感じていた」と。

幼稚園児をもつ若いお母さんは、「被災後にこうして動いてくれるのは共産党の人しかいないんですよ。私の親も、共産党、というと引くみたいなんですが、どうして? 放射能の問題なんかも、話を聞けてよかったです。私は応援します」と。感動。

けさは、NHKの番組「あさイチ」に安斎育郎さんと斎藤紀さんが出演されていて、「気になる! 内部被ばく」がテーマ。最後まで見ることができず、ちょっと残念。

放射能と雨降り/医療費負担相談

けさの6時過ぎぐらいは雨が降ったりやんだりで、小名浜での7時50分からの定時定点の実施は微妙な情勢。

小雨の7時前に「どうしようか?」と電話があり、20分後に晴れ間が出た時点で「きょうは決行しましょう」と決断。放射能汚染がおさまらないなか、雨降りの日はなかなかたいへんです。

原発事故がなければ、多少の雨ならば、傘をさしたりカッパを着たりして、暴風雨でないかぎり、あまり迷うことはないのです。

終えてから家にもどるとちょうど電話がありました。「75歳を越した母親が手術で入院した。住民税非課税なのに、請求された医療費が高すぎるんじゃないか」と。

ヨーロッパの国々のように、窓口負担が原則無料ではないので、日本はほんとうに困った医療費負担制度です。

75歳以上の人たちを「後期高齢者」と、生きることの尊厳を傷つける制度のもと、入院のひと月の負担上限は一般の人で4万4400円。

住民税非課税世帯ではこれが2万4600円で、年金収入が80万円未満だと1万5000円です。

憲法25条が、国民の税金は福祉最優先に使う「福祉目的税」だといっているにもかかわらず、憲法に基づく政治哲学を持たない政権が続いているために、「医療も商売」になってしまっています。医療「保険」とは名ばかりです。だから、こういう複雑怪奇な自己負担を強いるしくみを作るのです。

ともかく私にとっては、震災や原発事故によることではない相談が寄せられることで、なにか、日常がもどってくる感じです。

わが家の庭の植物です。

介護・医療相談/家族に寄り添う立場と制度

夕べ、党地区委員会に介護・医療相談の電話があり、私に連絡がありました。

浜通り医療生協の居宅介護支援事業所職員にも同行してもらって、たずねました。

寝たきりのお母さんを息子さんが1人で介護しています。息子さんはもともと首都圏の医療機関で技術者として働いていた医療関係者でした。

要介護5で、ケアマネジャーも、医師も、訪問看護も、訪問介護もかかわっているのですが、こうした関係のなかで、ものすごい悩みや葛藤をもっていたのでした。

医療や介護の現場では、こうした場面はいつでもあるのですが、ただ、当事者のかたにすれば、「ウチの家族だけ」の話です。医療関係者でも、こういう場面で「いったい誰に頼ればいいのか」という思いに迫られることを知る機会となりました。

医師や看護師に対するいろんな思いを語ってくれたのですが、家族のそうした思いに寄り添った医療・介護とはなんなのか、きびしく問い詰められた思いです。

「患者・利用者の立場に立つ」というのは、あらゆる医療現場・介護現場の建前であることは間違いないのですが、これを実践できるのかどうか、実践できる制度的なしくみなのかどうか、こうした場面に出会うたびにいつも思い、政治が家族のこうした思いを活かそうとしていない「怒り」をもつのです。

原子力安全委員会の罪/いわき市内の全体的傾向/きめ細かな情報を

放射能汚染がいったいいつまで続くのか、汚染の実態はいまどうなっているのか、すべての人の不安です。

原発事故の収束も不透明で、まったく予断ができません。

行く先ざきで、「どうしてもっときめ細かく放射線測定値を行政が示してくれないのか」という声はまったくもって当然の声であり、怒りです。

原因は明確です。日本では、原発から10km以上離れた地域では、被害はないから防災計画をつくる必要もないし、放射能にかかわる設備も専門家などの人材も必要ない、と国の原子力安全委員会が決めてしまっていたことです。ほんとうに罪なことです。

そのうえ、「公務員は税金のムダ」とばかりに、地方自治体の公務員がどんどん減らされてきたことは周知のことと思います。共産党以外の議員は「そうだ、そうだ」といって、賛成してきたはずです。そして、少なくとも都道府県議会では、共産党議員は有権者の支持をふやすことはできませんでした。

まっ、ともかく、私は、放射線測定値の全体的傾向がどうなっているかを知るために折れ線グラフを作ってみました。いわきの県合同庁舎駐車場の3月13日以降のその日のいちばん高い値をとったグラフです。

3月15日の午前4時に23.72μ㏜を記録し、その日はその後、1μ㏜台だったのが、翌16日の午前10時50分には18.78μ㏜となり、その後また低下し、朝から雨が降った21日の午前11時に6μ㏜を記録してからは、ずっと漸減し、いまは0.2を上回るかどうかの値です。

専門家の分析に基づいて、市民に知らせてほしいのですが、いまだそういう情報はありません。

こうした数値を、あまりに広すぎるいわき市内の各地域で、きめ細かに測定してちゃんと知らせることが行政の当然の仕事だと思います。

原発のウソ

『原発のウソ』(小出裕章著、扶桑社新書)を読みました。6月1日発行で、私の手元にあるのは6月25日の第四刷。

著者は1949年生まれで、原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れた人でした。が、原子力を学び、その危険性を知り、京都大学原子炉助教を務めつつ、原発の危険性を40年にわたって訴えています。

こうした専門家の真摯な訴えが無視続けられた結果が今の事態を招いたわけです。

日本に、第二次世界大戦後、今の電力会社ができて60年、原子力発電を始めてから45年です。さらにさかのぼれば、明治維新から143年、産業革命から200年、アメリカ合衆国建国から235年。

原子力発電所から、放射性物質が付着してしまった使用済みペーパータオルやら作業着などの「低レベル放射性廃棄物」が05年段階で70万本のドラム缶分たまりました。今後300年間お守りしなければなりません。

「高レベル放射性物質」に至っては100万年管理しなければなりません。

いったい誰が責任をもてるのでしょうか。

「原発をなくして電力はどうするの?」みたいな、財界を代弁する話はもうやめにしましょう。

寅さん/山田監督

「映画で心休めませんか」の言葉に誘われました。

第1部が寅さんシリーズ第15作の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」。1975年8月封切り作品で、あれこれあった末に、雨の降る柴又駅へ寅が迎えに行き、リリー(浅丘ルリ子)と相合い傘で帰るシーンが「シリーズ屈指の名場面」。

私はたぶん、高校卒業後の21作目からは欠かさず観ていたシリーズ映画で、なにかやっぱり、あのドンチャン騒ぎに懐かしさをおぼえます。

映画のあとは、いわき市内の津波被災地を視察してきた山田洋次監督のトーク。「寅さん映画を作りつづけて」といったテーマでしたが、「観客のものになっている作品」だけに、科学技術がどんどん進歩する世の中で、進歩しようともしない寅をスクリーンにどう映し出すかは、山田さんの楽しみでもあったように思います。

会場のすぐ向かいが、高校同期の開業医。上映前によって、3・11からの様子を聞きました。

福島原発の真実

『福島原発の真実』(佐藤栄佐久著、平凡社新書)を読みました。

「東電というよりも経産省、そして日本の統治機構そのものが抱える問題が、今回の事故の縦糸であり、また横糸でもある」と言い、「『必要だから、正しい。安全だ』という日本社会の至るところにある嘘と欺瞞は、こうしてメルトダウンしたのだ」という実感が、本書全体を貫いています。

福島県知事現職時、「(19)89年の福島第二原発のポンプ部品脱落事故をきっかけに…福島県は、専門の部署を強化し、自ら情報収集、分析できる力を身につけてきた。02年の点検結果、改竄・トラブル隠し発覚の際には間違いのない調査能力、分析力を発揮するまでになった」とは著者の自負であり、事実だと思います。

現在の佐藤雄平知事になってから、09年7月に4年ぶりに再会された福島県エネルギー政策検討会は、「県職員が県民の立場に立って自ら問題意識を持ち、考えようという意識は影を潜め、政府の原発政策を追認する会合に変容していた」。

02年の不正事件発覚時には、「原発の経済的利益を追いがちな県議会も、県と共闘するようにな」り、「本県においてはプルサーマル計画は実施しないこと」とする意見書まで採択したのに、現知事がプルサーマルに同意するや、「この意見書採択は『なかったこと』にしてしまった。議会という権威と、県民を守るとりでの役割を、自らかなぐり捨てた」と断罪しています。

著者が言う「県議会」の姿勢には、もちろん、共産党県議団はくみしていません。

神谷6号線/緑化委員会/原発事故学習会/丸源水産

金曜日の朝は、平(たいら)神谷(かべや)地域の国道6号線沿いでの定時定点を先週から再開。

原発事故の影響で県議選が不透明ななか、水・木の定時定点再開を、体力・気力の持続性と調整中です。

午前中、小名浜生協病院へ行くと、周辺緑化委員会のみなさんが花壇に草花の植え込みと、草刈の作業をしてくれていました。この病院の建設責任者をしていた当時、敷地内の花壇などの整備は、病院オープン後を見越して生協内部で知恵を出し合って進めよう、と議論していたことを思い出してしまいます。

午後は、せいきょうクリニックの待合室で、午後の受付開始前の時間を使い、生協役職員や組合員を対象にした「福島原発事故から私たちは何を学ぶのか」の学習会の「Part2」。

今回は私から、3月11日の大地震・大津波後の原発事故を振り返りつつ、原発事故が空間的・時間的・社会的に限定しようのない深刻なものであること、いまの原発技術が、どんな事態が起こっても、「死の灰」を閉じ込めておくことはできないし、水を供給し続けることもできず、まったくの未完成で危険であること、原発に依存することから脱し、自然エネルギーの本格的導入のために、国民的な討論と合意が必要で、その合意によって、国家としてのエネルギー政策の転換を実現しよう、という話をしました。

本屋さんに寄ると、縄文干しの丸源水産食品の佐藤勝彦さんにばったり。中之作漁港の冷蔵庫・倉庫が津波の直撃を受けたうえに、原発事故により先行きもまったくの不透明。

漁業者・仲買人・加工業・販売が一体で「漁業」が産業として成り立っており、そうした視点での補償のしくみ、復興支援が不可欠だ、と話されていました。

佐藤さんは、瀬戸山玄(ふかし)さんが書かれた『丹精で繁盛』(ちくま新書、07年12月刊)のトップバッターで紹介されているかたです。

滋賀県のみなさんと訪問/終わらない話/政治の根本をかえる

午前中、滋賀県からのボランティアのみなさんと、私が住む郷ヶ丘3丁目を訪問し、震災被害の実情や要望を聞いて歩きました。

「話したいことはやまほどある」、「要望を言い出したらきりがない」というわけで、じっくりとお話を聞かせていただきました。

放射線測定はもっときめ細かく行政の責任でしてほしい、園庭や校庭で遊ぶ子どもたちの姿を見て、ほんとうに大丈夫なのかと思ってしまう、こういう事態のもとで、国政での内輪もめを含めた足の引っ張り合いはなんなのか、言っていることは違わない者同士の二大政党にはあきれる、あんなことをしている暇があったらここに来てほしい、原発建屋爆発後の避難生活のことなど、ほんとうにみなさん、話し出すと終わりません。

いわきの新鮮な海産物を「売り」にしていた魚介物販売のかたは、「漁業関係でも、販売の自分たちはなんの補償もない。形のうえでは休業にしているが、今も先も仕事のめどはなく、まったく真っ暗だ」と。

漁業、仲買、加工、販売がいったいとして「漁業」であり、山下よしき参院議員がいわきでの視察をもとに国会質問したことも紹介しましたが、こうした実態と声を通しましょう、と話してきました。

「共産党はこうして滋賀県から来て話を聞いてくれるのに、ほかの党や行政の姿勢が見えないのは残念」とおっしゃるかたも。

行政の関係では水道局やり災証明や避難所の支援など、全国から支援があったことを話しますが、こういう事態のときに、それぞれの生活に日が当たらない行政は、根本的に見直すべきです。

午後はまた、「原発ゼロ・全面補償」署名を返送していただいたかたを訪問。

息子さんが東電下請け企業(東電協力会社)で長年仕事をしていたのですが、小さいお子さんを持つお嫁さんの意向で、近く、沖縄に移住する、とのこと。「身近で仕事をしていただけに、親にははっきり言わないけど、その危険を承知しているんじゃないか」と言うのです。

「原発は安全だ、としか聞かされていなかっただけに、放射能がどう危険かも知らせてもらえないし、専門家という人たちも言うことがバラバラ。いったいなにを信用したらいいの」と。

私としては、と言うか、共産党として、こうした声をしっかり聞き、「原発」「放射能」のことについても真剣にいっしょに考え、こんなことにした政治を根本的に変える気概をもって、歩かないとならないと思います。健康を害さないように。