原子力安全委員会の罪/いわき市内の全体的傾向/きめ細かな情報を

放射能汚染がいったいいつまで続くのか、汚染の実態はいまどうなっているのか、すべての人の不安です。

原発事故の収束も不透明で、まったく予断ができません。

行く先ざきで、「どうしてもっときめ細かく放射線測定値を行政が示してくれないのか」という声はまったくもって当然の声であり、怒りです。

原因は明確です。日本では、原発から10km以上離れた地域では、被害はないから防災計画をつくる必要もないし、放射能にかかわる設備も専門家などの人材も必要ない、と国の原子力安全委員会が決めてしまっていたことです。ほんとうに罪なことです。

そのうえ、「公務員は税金のムダ」とばかりに、地方自治体の公務員がどんどん減らされてきたことは周知のことと思います。共産党以外の議員は「そうだ、そうだ」といって、賛成してきたはずです。そして、少なくとも都道府県議会では、共産党議員は有権者の支持をふやすことはできませんでした。

まっ、ともかく、私は、放射線測定値の全体的傾向がどうなっているかを知るために折れ線グラフを作ってみました。いわきの県合同庁舎駐車場の3月13日以降のその日のいちばん高い値をとったグラフです。

3月15日の午前4時に23.72μ㏜を記録し、その日はその後、1μ㏜台だったのが、翌16日の午前10時50分には18.78μ㏜となり、その後また低下し、朝から雨が降った21日の午前11時に6μ㏜を記録してからは、ずっと漸減し、いまは0.2を上回るかどうかの値です。

専門家の分析に基づいて、市民に知らせてほしいのですが、いまだそういう情報はありません。

こうした数値を、あまりに広すぎるいわき市内の各地域で、きめ細かに測定してちゃんと知らせることが行政の当然の仕事だと思います。

原発のウソ

『原発のウソ』(小出裕章著、扶桑社新書)を読みました。6月1日発行で、私の手元にあるのは6月25日の第四刷。

著者は1949年生まれで、原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れた人でした。が、原子力を学び、その危険性を知り、京都大学原子炉助教を務めつつ、原発の危険性を40年にわたって訴えています。

こうした専門家の真摯な訴えが無視続けられた結果が今の事態を招いたわけです。

日本に、第二次世界大戦後、今の電力会社ができて60年、原子力発電を始めてから45年です。さらにさかのぼれば、明治維新から143年、産業革命から200年、アメリカ合衆国建国から235年。

原子力発電所から、放射性物質が付着してしまった使用済みペーパータオルやら作業着などの「低レベル放射性廃棄物」が05年段階で70万本のドラム缶分たまりました。今後300年間お守りしなければなりません。

「高レベル放射性物質」に至っては100万年管理しなければなりません。

いったい誰が責任をもてるのでしょうか。

「原発をなくして電力はどうするの?」みたいな、財界を代弁する話はもうやめにしましょう。