原発とカネと農村

原発の立地には基準が定められています(「原子炉立地審査指針」)。

①原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること②原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること③原子炉敷地は、人口密集地域からある距離だけ離れていること

要するに人があまり住んでいないところです。

立地させる手段はカネです。過疎化が進んで自律的な発展の見込みのうすい農村地域(原発立地の適地!) に、経済的・財政的利益をもたらそう、というわけです。

そのしくみが電源三法のシステムです。三法とは、「電源開発促進税法」「発電用施設周辺地域整備法」「電源開発促進対策特別会計法」です。1974年6月、田中角栄内閣によって導入されました。

電源開発促進税は電力会社に課税されますが、電力会社は電気料金に転嫁するので、負担するのは国民・消費者です。

その電促税は、国の一般会計を経てエネルギー対策特別会計電源開発促進勘定に組み入れられ、原発立地自治体や周辺自治体への交付金として支出されます。

当時の中曽根康弘通産相は、“立地地域の住民には非常に迷惑をかけるので、福祉を還元しなければバランスがとれない”といった趣旨の答弁をしています。

要するに、安全性への不安に対する迷惑料を、国民負担によって地元自治体に払い、原発推進政策を進めるしくみです。

図にみるように、交付金は原発の運転開始以前の段階で多く支給されます。

なおかつ、運転年数が30年を超えると原子力発電施設立地地域共生交付金が交付され、原発が古くなるほど交付金がふえるしくみです。「共生」を「強制」するわけです。

そのうえ、プルサーマルを実施する県には、核燃料サイクル交付金が交付されます。原子力推進のメニューを受け入れるほど交付金がふえるしくみです。

こうして原発は、国内に貧困な地域が存在しなければ造ることができない施設だったのです。沖縄の基地問題と構造がそっくりです。

(「しんぶん赤旗」7月15日付記事「自治体を原発に縛る」、清水修二著『原発になお地域の未来を託せるか』自治体研究社、を参照しました)

 

総代会/「自然エネルギーに舵を切るとき」/特別決議

私も理事をつとめている、浜通り医療生活協同組合の第32回通常総代会がありました。大震災の影響で、ひと月遅れの開催でした。

各地域の支部活動の報告は、震災後の原発・放射能の学習会に多くの住民のみなさんが参加したとりくみを含め、それまでの継続的な体操教室、ミニデイサービス、まちかど健康チェック、旅行などの行事、こうしたとりくみを通しての組合員仲間ふやし、増資の組織化など、生き生きと活発で多彩な内容で、元気をもらえました。

私は、今年度事業計画・予算案で「原発依存をやめ自然エネルギーに舵を切るとき」と触れている点を補足し、現在の原発の技術が、人類の生存とは共存できないことが明らかになったこと、日本の原発発電能力の40倍ものエネルギーとなりうる自然エネルギーの 資源量があることを環境省が発表していること、この自然エネルギー活用の技術開発と利用促進・普及にこそ日本は踏み切るときで、そのための合意を広げよう、と発言しました。

総代会では最後に、「原発事故の収束、全面補償、原発ゼロの決断を求める特別決議」を採択しました。

止めどない話/30km圏外/原子力ムラ

きょうも、「原発は福島県にいりません」署名をした、と、党地区委員会に連絡があったお宅をたずねました。

身近に東電社員がおり、避難生活をし、つき合っていたカップルがこの原発事故を機につき合いをやめ、結婚することすら考えられなくなった若者を身近に見、ご近所には小さなお子さんがいる家族がいまだ県外で避難生活を続け、と、止めどない話。

これからの若者の希望や、子どもを産むことすらあきらめさせてしまったり、ガソリンや水や食べ物を保管し続けたり、食べ物については放射能汚染を避けたり、原発30km圏外でこんな暮らしを強いられているのは原発事故による被害以外のなにものでもなく、その補償をしてほしい、と当然の話です。

それなのに東電経営陣や国は、原発再稼動に意欲は見えるが、こうした補償をすることや、事故現場で働く作業員の放射線量管理・健康管理にはいかにも熱心でない、どうもこれは、一部マスコミを含め、原子力ムラと言われる原発推進勢力が権力を使って国民の意識を支配してきたことと無関係ではないのでは、と、ものすごく鋭い指摘。

私はまったくそう思います。

市役所前/心強いです/「東電社員が悪いんじゃないのに」

市役所前では震災後初めて、始業前の時間に街頭から訴えました。「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入」の国民的討論と合意をよびかける提言チラシをお渡しする宣伝行動の一環です。

某部長さんからは手を振ってごあいさつをいただき、高校同期や先輩などからもにこやかな熱い視線。職員ではないと思うのですが、正面玄関前でチラシを受け取り、私のほうへ近寄ってきてくれて両手を振って声援をおくる女性。みなさん、ほんとうにありがとうございます、心強いです。

「福島に原発はいりません、の署名をしました。取りに来てください」と党地区委員会に連絡があったかた宅をたずねました。小学生の2人の子どもがいるお母さんで、「こんなことになるなんて。原発はほんとうにいりません。ご近所に東電社員のかたがいて、事故後に謝りに来られたんですが、社員が悪いわけじゃないのに」と。

まったくそのとおりで、東電経営陣は、福島第二原発や、第一原発5・6号機の再稼動をあきらめていないように、社員の生活よりも、原発再稼動ばかりが優先されていることが重大問題です。

太陽光・太陽熱・中小水力・風力・地熱・バイオマス・海洋エネルギーなど、自然エネルギーを活かす技術開発を進めることで産業と雇用を拡大することはできるのです。

今年4月に環境省が発表したように、日本の原発発電能力の40倍を超す自然エネルギーの資源量がこの日本にあるんです。

「原子力発電はなくてはならない選択肢」という話も、「原発はなにがあっても大丈夫」という「安全神話」と一体で、国民の心に刷り込まれてしまっていることを見抜かないとなりません。

きのう、わが家の庭をノコノコとセミになる子が歩いていましたが、きょうは夕刻になってやたらとセミの鳴き声が多いです。ペロは窓際でそんな声を聞いている?

 

生涯100㍉㏜/0.3μ㏜毎時/外部?内部?食品?

放射性物質が人体に与える影響を検討していた食品安全委員会がきのう、自然由来の放射線量を除いて、外部被ばくと内部被ばくを合わせた生涯の累積線量について、がんのリスクが高まるとされる100㍉㏜を超えないようにすべき、との見解をまとめた、と報道されました。

厚労省としては、食品からの被ばくリスク答申を想定していたので、面食らったようです。食品による内部被ばくのみを取り上げた研究や、内部被ばくと外部被ばくを別々に分析したデータがほとんどないのが現実のようです。

一方、いわき市はきのう、「子供達の生活空間における当面の放射線量の目標水準」を0.3マイクロシーベルト毎時と設定しました。

「自然由来の放射線量」については事故前の環境測定値0.06マイクロシーベルト毎時を基本に、あれこれ換算して0.11マイクロシーベルト毎時。「事故の影響による放射線量」については、年間1㍉シーベルトを目標とし、屋外8時間、屋内16時間の生活様式をモデルとし、屋内では屋外の40%の被ばくとして計算し、0.19マイクロシーベルト毎時として、計0.3マイクロシーベルト毎時です。

早くも「高すぎる」と異論も出ているようです。

事程左様に、「原子力立国」を国策として進めてきた国が、こういう事態になったときの対応を何も考えていなかったために、各自治体があれこれ数字を出さざるをえないので、いちばん困惑するのは住民です。国に追従してきた県の責任も重大です。

一般市民の平常時での被ばく限度量(ガマン限度)は、自然界からの放射線量(日本人平均1.5㍉シーベルト)と医療行為による放射線量(日本人平均2.25㍉シーベルト)をのぞき、年間で1㍉シーベルトとされています。

今、毎日発表されている「環境放射線量」は、自然界からの放射線量と原発事故による放射線量を合わせた数字です。

そうすると、平常時での年間自然放射線量(1500マイクロシーベルト毎時)と年間ガマン放射線量(1000マイクロシーベルト)を足して、1年間で割ると

(1500+1000)÷(24時間×365日)=0.285マイクロシーベルト毎時

となるのですが、この数字との関係はどうなるのでしょうか?

人が住む地球上で、自然放射線量が年間10㍉シーベルトのブラジルのガラパリでは、

(10000+1000)÷(24時間×365日)=1.256マイクロシーベルト毎時

となります。

これらの数値と、外部被ばく・内部被ばく、食品による内部被ばくの数値との関係がまったくわからないまま、今を迎えてしまっているのだと思います。

小名浜定時定点/雇用促進住宅訪問/「初めて聞いてもらった」

火曜日朝は小名浜での定時定点。きょうも地域と地域職場の後援会、医療生協の後援会から「旗持ち」に出てきてくれるみなさん。

なにより、出勤されるみなさんばかりか、ご高齢ご夫妻が手を振っていってくれる姿には心から励まされる思いです。

午前中は、滋賀県からボランティアで来ていただいているみなさんといっしょに、雇用促進住宅に入居(避難)されているかたがたを訪問しました。

なかには、「震災後、訪問してもらったうえに、話を聞いてもらうのは初めて」という家族。親子で仕事を失い、障害者の妻、認知症の母をかかえ、今後の暮らしの展望が見えないことが最大の悩みです。

ここを出なければならなくなれば、津波に飲まれた地元にもどれるかもわからないのに家を探さなければならない、母親の医療や介護の費用も考えなければならない、介護そのものをどうするかも考えなければならない、そのためには失った仕事をこれからどうするかを考えなければならない、こんなことがあと2年で出ていかなければならない私の立場だ、というわけです。

「こうした愚痴を聞いてもらっただけでもありがたい、こうした声を活かす政治にしてほしい」と、ほんとうに、ほんとうに、切実です。「これまでの政治は、こんな声など聞く気もなかったと思う」と。

あるお宅であれこれ話をしていたら、私の妻のお母さんの弟のお連れ合いのお姉さんだったり。

「入居者以外は原則立入禁止でしょ」という話から始まった若いお母さんは、原発事故問題で話がとどまらなくなり、「自民党にはあいそをつかしていたし、民主党にもまったく期待はしていなかった。原発が今どうなっているかの政府情報は信用できる状況にない。こうして話を聞く共産党はもっとがんぱってほしい」と。

滋賀からのボランティアのみなさんは、彼女が住む地域の草刈をきのうしていたこともあり、感謝の言葉もかけられ、こうして歩いて心を通わせることの大切さを感じ入っています。

 

震度4~3/定時定点/滋賀からボランティア/久之浜・薄磯・豊間

未明の3時51分ごろ、市内では震度4~3の地震。5~6秒は続きました。

月曜日朝は自宅近くともう一か所での2か所の定時定点。

【滋賀県からのボランティアの皆さん】

きょうからは、滋賀県からのボランティアのみなさんがいわき入りしており、仮設住宅などでの要望聞き取りに先立ち、私が津波の直撃を受けた久之浜・薄磯・豊間地域を案内しました。

【薄磯南街から北・中街】

久之浜ではいわき市久之浜大久支所長にお会いし、被災後の調査・捜索からわかったことなどを含めて状況を詳しく聞くことができました。

【薄磯北街・県道】

久之浜港では、原発事故の影響で漁に出られない老若の漁民のみなさん。怒りの声を発しながら、軽トラックでガレキ撤去作業に出かけました。

【市立豊間保育所・海裏側】

薄磯・豊間でも重機によるガレキ撤去作業が続けられています。

【豊間・歯科医院】

これらの地域は、居住地域をどこにするかなど、まちづくりはこれからです。放射能汚染を避けるため、県外へ避難されているかたも少なくなく、たいへんな作業になります。

悩み・なんでも相談会/仕事と生計の見込み/仕上げ直前の震災


浜通り復興共同センター(東日本大震災・原発被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター)による第3回悩み・なんでも相談会がありました。

首都圏の弁護士たちも駆けつけてくれ、弁護士は13人。悩みを聞く地元の相談員やボランティアは39人。



家と店舗を津波で流され、この4か月間、自分のことで精一杯で、相談する気持ちにもなれなかった、というかたもみえました。震災前までいっしょだった3世代家族は、いわき市内と県内郡山市と東京都足立区にバラバラ。流された自宅のローン支払いを15年間続け、今は猶予してもらっているが、残高1000万円。これからの仕事や生計の見込みも立たない、という相談でした。

いわき市のとなりの広野町からいわき市内の仮設住宅住まいのご夫妻は、建築関係の自営業で、3月12・13日で仕上げる仕事の前日にあの日を迎え、仕入れていたオーダー品やそれまでの仕事に対する出費や報酬がなくなってしまったことの相談でした。

昼食後の相談の合間に、弁護士のみなさんは、この大震災・原発震災にあたっての弁護活動について、予定外の「緊急対策会議」。私たちも「傍聴人」として参加しましたが、原発事故によるあらゆる被害の全面補償を求めることを基本としたその真剣な議論に、引き込まれてしまいました。

 

放射線測定/生活空間の動向/行政機関の役割

16日の原発・放射能学習会の際に、「わが家の放射線量を測ってほしい」と何人かから要望を受けていました。

地元の2人の党員とたずねて歩きました。ご近所の「赤旗」読者宅やお知り合い宅にも寄りました。

玄関先地上1mでも地表でも0.25~0.3マイクロシーベルト毎時で、上も下も変わらないかと思えば、茂みでは0.5前後だったり、雨水溝の真上で0.9を超えたり。

この間、測定して歩いた市内では、相対的に高めの数字が出た印象があります。風のせいなのか、数値がめまぐるしく動くこともありましたが。

先日(21日付け)の「福島民友」紙の連載記事「3.11から」では、福島市内の高校生たちが、放射線量分布マップを作成する作業のことや、線量計を個人で購入して自宅周辺で測る県民が増えていることが掲載されていました。

「簡易型線量計ではその精度や感度に限界があることを念頭において数値を受け止めることが必要」とは、千田浩一さん(東北大学大学院医学系研究科教授・放射線技術学)のコメント。

「簡易型線量計でも、2地点間を測りどちらが高いかを比べたり、継続的に測定して放射線の増減を測ったりなど、生活空間の放射線量の動向を知る役割は十分に果たせる」とのこと。ただ、多くの県民が簡易型線量計で測定するようになり、不安を増幅する逆効果も否定できない状況があり、「精度の高い機器を保有する行政機関の役割が高まっている」ことは、そのとおりだと思います。

 

 

震災後2度目の政党助成金/聞く耳持たず

大震災後、共産党を除く各党は、復興財源を食いつぶして2度目の政党助成金を計80億円受け取りました(20日)。

受け取ったのは4月と同じ、民主、自民、公明、みんな、社民、国民新、たちあがれ、新党日本、新党改革の9党。ほんとうに、被災者の生活再建支援、被災地の復旧・復興に真剣なのか、根本的疑問です。

4月に受け取ったときに「復興財源へ回せ」と、訪問して歩いた先でも聞きましたし、新聞投書欄にも相次ぎました。地方議会でもこの制度を撤廃し、被災者救援にあてることを求める意見書も採択されたりもしました。

こうした声に聞く耳を持たない姿勢を変えようとしないのが、共産党以外の政党です。地震・津波にともなう原発震災対策を取ることを求める声に聞く耳を持たなかった電力会社・政府の姿勢とどこが違うのでしょうか。同じです。

問題は、年間320億円もの税金が、共産党を除く政党に、年4回にわたってばらまく制度があることを知らない人が少なくないことです。1995年からこの制度は始まりました。

各新聞は、淡々と、“総務省は、政党交付金を各党に配布した、と発表した”と報じる程度。淡々としている場合ではないのに。

きょうもそういう怒りをもちながら、朝は金曜日定例の定時定点を神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで実施、かつての職場の生協病院に寄り、家で新聞の切抜きと処分をし、夕刻は、県議選へむけた会議。