好間行動/街宣・訪問/期待がない首相

内郷・好間(よしま)いっせい行動で、きょうは好間地域に入りました。

まずは午前10時半から、国道49号線沿いのスーパー前で街宣。49号線を平方面へ向かう車から手を振っていただく姿が目立ちます。ありがとうございます。

その後私は、好間地域の党員と夕刻までお知り合いを訪問。その幅広いつながりに、私はびっくりです。

「民主党が日本を変えてくれると思っていた。もちろん、民主党に投票していた。まったく間違っていた。これからは共産党に投票することにした」というかた。

「自給自足の庭の畑の作物は全部あきらめた。なんの価値もない土地から固定資産税だけは取られるのは納得できない」と訴えるかた。

ここで生まれ育ち、社会的な役割を担うかたも少なくなく、自民党の市議や県議を公然と支援してきたかたがたも、「こんな事態になったからは、原発問題でずっとその危険を指摘し続けていた共産党にがんばってもらうしかないと思っている」、「わざわざ来てもらってありがたい。今度ばかりは応援したい」と、いっしょに行った党員が驚くほどの励ましの言葉。

新たな首相が決まった直後とは思えない、民主党へのあきれかえった声が圧倒的なのも、歴史的出来事のように思えてなりません。新しい首相にがんばってほしい、という期待がまずないのです。

 

 

街宣場所でのいろんな出会い

朝は小名浜での定時定点。

実は先週土曜から、おなかの調子が万全でなく、けさも家で2度、この定点近くの医療生協施設にも飛び込まざるをえないハプニングもありました。

きょうは午前と夕刻と、小名浜地域での街宣。それぞれの場所でいろんな出会いがありました。

話し始めると、手を振って家から出てきてくれる人。話している間は家のなかで、話し終えるとまた出てきてくれて手を振ってくれました。ごあいさつに行くと、「誰も言ってくれないことがある。各家屋で最初に放射性物質が降ってきたのは屋根だ。すべての家屋の屋根の除汚を行政の責任ですべきだ」と。これは大事な指摘ではないでしょうか。

ある場所では、宣伝カーの上で話している最中に、旗持ちをしてくれていた後援会員に車で近づいてきた若者が冷たい飲み物の差し入れ。びっくりでした。

また別な場所で聞いてくれていたかたにごあいさつすると、「職場の人の関係で創価学会に入り、その職場をやめることになって創価学会もやめたら、ストーカー行為から嫌がらせからインターネット上での中傷から、今も続いている。どういうことなのか」と。全国各地でそんな事例があることは話には聞いていましたが、直接訴えられたのは初めてでした。

夕刻もまたそれぞれの場所で声をかけられました。「加工工場を津波で流されて仕事を失ったり、風評で仕事を失った人がまわりにいっぱいいる。行政に届けられた義援金は、そういう人にこそ届けるべきではないのか」と切々な訴え。

まったくそのとおりで、庶民増税のための「大連立」以前の問題で、すべての党派が一致して実施できることなのです。

 

 

2か所の定時定点/街宣と放射線測定/訪問

月曜日朝は自宅から遠くない2か所の街頭からの定時定点の宣伝。先週は大雨で取りやめたので、2週間ぶり。

きょうの民主党代表選に至るこの2年間の裏切りの連続と、直前の自民・公明との3党合意で、審判で退場させられた自公政治に回帰する姿勢をあらわにし、原発震災での対応が二の次になっている恥ずかしい政権を告発しないわけにはいきません。

昼間も平の平窪(ひらくぼ)地域で5か所の街頭から。民主党代表選のさなかでしたが、話の基調は朝と変えませんでした。

途中、「放射線量を測ってほしい」と要望されていたお宅にも寄りました。玄関先は0.15μ㏜毎時ですが、雨どいの出口の土の部分は1を超え、庭の中の自前の側溝の土の上は0.5前後。庭の地表が0.2を超える程度。

自宅のすぐ脇の畑は、草刈りは何度もしたようですが、刈り取った草が残る地表では0.4を超えましたが、畑を掘り起こした土の中は0.15でした。表土をはぐと、やはり効果は間違いなさそうです。

夕刻には自宅がある地元にもどり、医療生協後援会のみなさんと訪問。原発事故への怒りと激励の声が続きました。歩くことは大切です。

 

早朝野球/満蒙開拓・シベリア抑留/戦友

久しぶりに朝早く、ペロと散歩。小学校校庭での早朝野球を観戦しました。試合途中で仕事へ出かける人、途中でチームに合流する人など、働く人たちならではでした。

22年前に亡くなった私の父親と、10代半ばから満蒙開拓青少年義勇軍やシベリア抑留生活をいっしょにおくったかたを、母親と訪ねました。9月17・18日の「第8回いわき平和のつどい」の企画の相談でした。

終戦後に作られた名簿や、少年たちが訓練した訓練所の写真などを見せていただきました。「ずっといっしょだった小倉くん(父の旧姓)には世話になったんだ。苦労ばかりの人生だった。ほんとうにたいへんだった」と涙ぐむ姿を見ると、戦争が終わっているような気がしません。

ここはきれいな水が湧き出る場所。定期的に汲みにやってきては、当時の話をしていく戦友もいるそうです。

生協・子供会・見守り隊/放射能勉強/代表選

医療生協支部と子供会と小学校下校時見守り隊の共催の放射能の勉強会で、医療生協の理事として話をさせていただきました。

テーマは「原発事故と私たちの暮らし」。

この地域のみなさんとは、私が小名浜生協病院事務長時代から縁があり、会場の集会所は医療生協のサークル班がずっと利用していました。当時から、医療制度のことや介護制度のこと、後期高齢者医療制度のこと、市立病院民間譲渡の問題があるたびに、お話をさせていただいていました。

以前からそうなのですが、こうした勉強会があるときは、区長さんも必ず顔を見せ、あいさつしてくれるのです。

私からは、今回の福島原発事故を受け、国家として「原発から撤退し、自然エネルギーの本格的導入へ」政策を根本的に切り替えることを導入に、「放射線と人体影響」について考える材料提供の話です。

「水はすべて購入するミネラルウォーターにしている人がいる。水道水は心配ないのか」、「家庭菜園の野菜は食べられるのか」、「ひまわりが放射性物質を減らしてくれるというのはほんとうなのか」、「家のまわりは毎時0.2μ㏜を超えることはないが、庭の芝生の上が毎時0.3μ㏜で、どう対応したらいいか」、「マイクロだとかミリだとか、どういう意味なのか」、「ベクレルとはなにか」、「稲わらを使った子ども向けの行事は続けられるのか」などなど、実に問題は深刻です。

これらすべての大前提は、放射線測定です。原発事故由来の死の灰による放射能汚染がどうなっているのか、国家と行政の責任で測る手立てをはっきりとしてもらわなければなりません。測るのは私たち市民でもいいんです。

政権党の民主党代表戦に立候補しているみなさんが、こういうことを理解しているとは思えないのですが。小沢詣でと原発再稼動と自民・公明政治への回帰。話になりません。

あうんの呼吸/放射線と健康/意外な出会いも

金曜日朝は平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いの定時定点。

「迎え盆」と大雨で2週連続の休みでした。けさもいっとき小雨模様でしたが、3週続けて休めない、の意思が地元の人たちとあうんの呼吸でした。

午後、浜通り医療生協の「福島第一原発事故から、私たちは何を学ぶか?」の「Part4」の学習会がありました。私は2度目の講師で、「放射線と私たちの健康について」。

会場はせいきょうクリニックの待合室で、職員ばかりでなく、小名浜各地の組合員さんたちも参加してくれました。「いろいろな人から話を聞いてもなかなかわからない。今度また、私たちの地元で話してもらうから」とリクエストもあり、ありがたいばかりです。

とにかく、これからの心配は、原発事故後に育った農作物や海産物、そして子どもたちへの影響です。学習会後の質疑もここに集中しました。

夕刻には、私が住む地元の党の医療生協後援会員のお2人と訪問。

地元とはいえ、私が住む住宅街の隣りの広く人も多い住宅街で、初めてたずねるお宅がほとんど。みなさんから歓迎というか、激励され、元気をもらえます。

「放射線量を測ってるの?」と散歩しているかたから声をかけられたと思ったら、「どこかで見たと思ったらはせべさんか」と意外な出会いがあったり。

象徴天皇制

象徴天皇制について少し考えさせられました。

というのも、先週末、訪問して歩いていた先で、「共産党は天皇制打倒でしょ? それが私にはしっくりと来ないし、支持が広がらない原因では?」というかたがいました。ごく日常会話で天皇制が話題になったのは久しぶりで新鮮でした。

そのときには、戦前の絶対主義的天皇制に対してはそうだったけども、現行憲法のもとでは、象徴天皇制として厳格に守ることこそ、共産党が主張していることで、その制度そのものをなくすかどうかは、共産党はそれが望ましいと考えるけども、国民多数がそう思わなければなくせません、という話をしました。

そしたら、寂聴さんと梅原さんの対談で、天皇・皇后が災害現地へ足を運ぶ姿にも触れながら、「日本の天皇制が、今、ここで生きている」(梅原)、「庶民は『畏(おそろ)しき存在』が欲しい」(寂聴)と、象徴天皇制にいたく共鳴していました。

そこで考えさせられたわけです。

憲法は、「主権が国民に存することを宣言」(前文)し、「主権の存する日本国民」(第1条)と明記しており、日本は政治体制上は国民主権の国であって、君主制ではありません。象徴天皇制という形で天皇制が存続していますが、日本独特の形で政治制度に国民主権の原則を具体化したわけです。

しかも、憲法上、天皇は「国政に関する権能を有しない」(第4条)とされていて、その存在によって民主主義も平和も左右されない立場に置かれています。

内閣が天皇を政治的に利用することがあってはならないのです。

たとえば、「国会の召集」も天皇の国事行為のひとつですが、召集を決定するのはもちろん内閣です。国会の開会式で天皇の「おことば」がなければ国会が開会できないかのような天皇の扱いは、明らかな逸脱です。

やっぱり、「九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していく」(「九条の会」アピール、04年6月10日)主権者としての議論・行動が不可欠なときです。

写真は先日行ったアクアマリンふくしまで。

 

生ききる

『生ききる。』(瀬戸内寂聴・梅原猛著、角川oneテーマ21)を読みました。

86歳の梅原さんが、89歳の寂聴さんのご自宅を訪れて、4回にわたってじっくり語り合った対談です。

テーマは、東日本大震災と人災である原発事故から、日本の歴史や文化を考察し、これからの日本人の生き方、自然の恩恵に感謝する文明の創造です。

「私たちは死を前にしている。他に恐ろしいものはない。それで言うべきことははっきり言い、すべきことはさりげなく笑ってしよう」が対談の締め。

合わせて175歳の2人が、大震災という難局を乗り越え、希望を見出すために、迫力すら感じる、勇気が染み出てくるような本です。

電力は足りる

『原発がなくても電力は足りる!』(飯田哲也監修、宝島社)を読みました。

原発の「安全神話」が完全崩壊したと思ったら、今度は「原発がなければ電力不足で日本はダメになる」とばかりに「電力不足キャンペーン」が始まりました。

「安全神話」によって、電源は原発しかないかのように刷り込まれてきた心には、このキャンペーンはたいへんに親和的です。「安全神話」と「電力不足キャンペーン」は表裏一体です。

本書では、「節電要請&電力使用制限」「原発がないと電気料金が月1000円上がる」「原発ゼロで企業が海外逃亡する」「原発は最も安い発電方式」「自然エネルギーは高コスト」の5つのウソを検証しています。

そして、原発に依存し続けると、日本のエネルギー需給はむしろ危機に瀕することを示します。

「第二波が見えて逃げた」/山口県から視察

震災後、何度かたずねてお会いできなかったかたとやっと会えました。

このあたりは、間違いなく津波がやってきていて、すぐ前の道は、3月12日にきたときにはがれきの山でした。

ただ、この近所では津波は床下でおさまっていたお宅も少なくなかったのですが、ここは家屋の1.2mの高さまでつかったそうです。第一波は庭に海水が入り込んだだけだったのですが、第二波は襲ってくる波が見え、すぐに逃げたので、難を逃れたそうです。

まぁ、ともかく、「今の目の前の政治を見せつけられて、民主も自民も公明もぜんぜんダメだ。これまでもいちばん一生懸命な共産党がなぜ理解してもらえないのか」と。

午後は、山口県の元県議が原発事故の現場視察。「原発の安全性を求める福島県連絡会」代表の早川篤雄さんと同行しました。

視察に見えたのは、元山口県議で「みどりのクラブ」の小中進さんと、「原発いらん! 山口ネットワーク」会員の國本悦郎さん。

原発作業員の現地拠点になっている「Jビレッジ」と広野町をまわりました。

広野町では、ちょうどきょう、地元のお地蔵さんのお祭りであちこちの避難先からいったん帰ってきた、というかたがたや、「避難する先がなかったので、ずっとここにいる」というかたとお会いすることができました。

ほんとうに印象的なのは、みなさんが一様に、「ぜったい大丈夫、安全だ、としか聞かされていなかった。原発はもういらん」と語る姿です。