6方向/切実な目/つまはじき/政治家を選ぶ基準

金曜日朝は国道6号線沿いの平神谷(かべや)地域の定時定点の街頭から。旧道の入口でもあり、3方向×2から出勤されるみなさん。それぞれから声援があり、目配りもなかなかたいへんです。

きょうは一日、医療生協でお世話になっているかたがたを訪問しました。

午前中は、小名浜大原地域の党後援会員のみなさん。震災前にもたずねていたみなさんです。「この原発事故で、共産党が指摘していたことが現実のものとなってしまった。近く仲間の集まりがあるから言っておきたい」、「私の知り合いみんなに声をかけるからね」、「けっきょく、あんたが言ったとおりになった。原発はもういらない」と、ほんとうに目つきが切実なのです。

午後は私が住む住宅街の医療生協組合員のお宅を地元の党支部のかたと訪問。ここでもまた、共産党への期待の声は大きいです。「共産党だけがはっきりしているのに、なぜつまはじきにされるの?」という疑問を、有権者全体のレベルで解明して共有できれば、庶民の暮らし最優先の政治に変えることができることは間違いありません。

「共産党という党名」がどうのの問題でなく、「生活第一」の政治をちゃんとするかどうかを基準に、政治家を真剣に選ぶ時代にやっと入った、と私は感じています。

血縁・地縁・職縁でなく、一人一人の主権者としての判断で政治家を選ぶあたりまえの民主主義の土壌づくりに入っていることを実感しています。

 

世界と全国注視の福島県議選

11月20日投票で行なわれる福島県議選は、世界から注目されることは間違いありません。世界を震撼させた事故を起こした原発立地県の選挙だからです。

「原発はいらない」「原発事故によるあらゆる被害の全面賠償を」「放射能汚染から子どもと住民を守れ」の声を全国へ、世界へ発信する大事な選挙です。

こうした声を無視するかのような民主党政権への審判ともなります。

野田首相は、9月13日の所信表明演説で、「『脱原発』と『推進』という二項対立で捉えるのは不毛」として「再稼動を進めます」と明言しました。

9月21日付の米紙ウォール・ストリートジャーナルのインタビューで首相は、「来年の春以降、夏に向けて、再稼動できるものは再稼動していかなければならない」と表明。

これを受け、藤村修官房長官は22日、「関西電力は日本で一番原発依存度が高く、来年の夏ではなく2月を深刻に受け止めている」と、さらなる早期再稼動を首相に促す考えを明らかにしました。

そして26日の衆院予算委員会で、前原誠司民主党政調会長は「年内に再稼動させるという意思を内閣としてしっかり持っていただきたい」とたきつけました。

藤村氏と前原氏の言っていることは財界や電力会社の主張そのものです。

だいたい、政府が国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書でも、地震による原子炉の損傷は詳細が不明、と言わざるを得ず、事故原因の検証、究明すらまったくの途上です。

安全性について首相は「事業者が行なったテストを原子力安全・保安院が評価し、さらにその妥当性を原子力安全委員会が確認」すると言いました。

黒塗り資料、「やらせ」、「情報隠し」の3人組が安全を担保できるはずがありません。

事故原因も究明されず、まともな規制機関もないままでの再稼動などありえません。

原発ゼロの日本にする政治的決断を国にせまる選挙にしましょう!

危ない? 声援/「話に来てほしい」/質の低下/激励

水曜日朝はJR常磐線北側の北目地域での定時定点。平方面から来た車から、ハンドルを握りながら助手席側に身を乗り出して手を振ってくれる女性。危ないんでは? と心配しつつ、感激です。

きょうは内郷(うちごう)・好間(よしま)地域でのいっせい行動。午前中は内郷宮町で、街宣・署名・放射線測定をしました。

団地前で話し終えたら、3階と4階の住民から拍手と手を振っての声援。またそのすぐ近くでは、「そこの集会所で話に来てほしい」と要望。ぜひ来ます、と約束してきました。

また別の場所では、「自民も民主もダメなことはみんなわかった。共産党だけが政権にかかわわらずにこんな政治になったこともわかった。さて、どうするか、だが、共産党にはがんばってもらうしかない」と。

午後は好間地域の党員宅を借りて、原発・放射能問題の勉強会に伊東達也さんと参加しました。

放射能の健康影響もさることながら、民主・自民の足の引っ張り合いにしか見えない国会の様子、その二大政党の政治家の質の低下にはあきれかえる、と90歳を越した参加者の指摘。

夕刻には内郷の金坂地域でお世話になっているかたがた、知り合い宅を訪問しました。午前中に配布していたチラシを読んでくれていたかたがたから、「読みましたよ。原発問題でちゃんと言ってくれていたのは共産党。がんばってもらいたい」と、異口同音に激励され、ありがたいです。

 

小名浜定時/3月10日/全世界注目の県議選/スナック

火曜日朝は小名浜での定時定点。小名浜の地域、職場、医療生協からそれぞれ「旗持ち」にでてきてくれ、いちばんにぎやかな朝の街宣です。

きょうはちょうど向かいの建物の作業に来ている人たちが数人。みなさんから注目されました。

医療生協の支部があり、党後援会員も多い住宅街を訪問しました。この住宅街では、大震災の前日、3月10日に党後援会員の呼びかけで「はせべあつしさんと語ろう、きいてみよう会」というつどいを開催していたのでした。

震災後に何人かはたずねていたのですが、半数ぐらいは震災後初めて。やはりあの当日の話から始まり、原発事故後の話、現在の民主党政権の「反国民的」姿勢、県議選は、県民がどういう意識であろうが、全世界から注目される選挙になることは間違いない、「原発なくせ」の声をしっかり示さないとならない、と、私はたいへんに後押しされた思いです。

数年前にだんなさんが亡くなった直後に介護保険保険制度の相談を受け、それ以来のお付き合いのかたは「介護も原発も、共産党以外は仕事をしてくれないことは私が証明する」と。切実です。

これまたたまたま先日寄ったスナックのママさんがいて、「私が声をかけられるお客さんには全部声をかけるから」と、私のリーフレットを何十部もあずかってくれました。

定点/職場/街宣/訪問

月曜日朝は自宅近くの2か所での定時定点の街頭から。運転席から熱烈に手を振ってくれたり、クラクションを鳴らしてくれたり、だんだんとそのモードが。

新しい私のリーフレットもでき、かつての職場の病院の各職場をたずねて歩きました。いちばん近所の病院へもごあいさつ。

午後は平北部地域の後援会員と5か所の街頭から訴えながら、「しんぶん赤旗」読者宅やお知り合いにごあいさつ。

窓を開けて聞いてくれるかた、2階のベランダに出て聞いてくれるかた、散歩途中で最後まで聞いてくれるかた、向こうのほうで双眼鏡を持ち出して聞いてくれるかたと、地域のみなさんの暖かさに迎えられた街頭からの訴えでした。

夕刻には、小名浜地域職場後援会員のお知り合い宅を訪問。震災前にもたずねていましたが、あれからもう半年以上。あらためての訪問ですが、話題は原発事故と放射能汚染。「原発はいらない!」の声は圧倒的です。

決起集会/あの日から198日/生き生きした姿

党内の「県議選勝利へむけた全県決起集会」に参加しました。

私が住む住宅街から参加するみなさんの車に乗せてもらって会場へ向かいました。

午前中は党中央の大幡基夫選対局長の講演と久保田県委員長の報告。震災後の全国の政治状況や党の姿と役割が浮き彫りです。

午後は県議候補6人の決意表明に続き、全県からの参加者の発言。

私はネクタイを締めたスーツ姿で参加したのですが、考えてみれば、この格好は3月11日以来。198日前のあの日のこと、翌日には津波に襲われた小名浜地域の道路上でふらつく高齢者を病院へ連れて行ったこと、安否確認で歩いた先ざきで、そして今に至るまで、「原発はなくしてほしい。原発の危険性を指摘し続けていた共産党の言うとおりになってしまった。今度こそがんばってほしい」と励まされ続けていること、今度の県議選で、「原発をなくそう」の「フクシマ」の意志を示すことは、世界的・世界史的な意義があり、その先頭に立つ決意を表明しました。

全県からの発言では、東電に賠償を求める直接交渉の様子、避難生活を強いられている議員の活動、延期された選挙で議席復活を果たした議員、県議選へ向け、被災した住民に寄り添いながらの地域での活動の様子、全国から党ボランティアを迎え入れている活動の様子など、生き生きとした党の姿が語られました。

 

「原子力ムラ」/後悔も言い訳もない活動

『「原子力ムラ」を超えて』(飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎著、NHKブックス)を読みました。

著者の一人、飯田さんによれば、この本の構想は10年前から担当編集者と議論していたそうです。

飯田さんは、京大工学部原子力工学科・同大学院・東大先端研博士課程を経て、原子力産業の一端である神戸製鋼所、そこから電力中央研究所に出向派遣で、学生時代を含めれば、10年にわたって原子力のアカデミズムと産業界の現場と電力会社の裏舞台と国の裏舞台を経験した人です。

生まれた年が私と同じなので、同時期に私は同じキャンパス内をウロウロしていました。そんなことはともかく、閉鎖的で、ほぼ全員が顔見知りの狭い世間でしかない「原子力ムラ」の生態・実態がよくわかると思います。

このムラは、「科学技術庁(現・文部科学省)・動燃」の官に閉じたムラと、「通産(経産)省・電力会社」の半官半民のムラの2つで構成され、経産省のなかには、市場原理主義を信望する東大法学部出身者を中心とするスーパーキャリア系グループ、東大電気工学科・現職工学科、京大電子・電気工学科や原子核工学科などを出た技術家キャリアグループの2つのグループがあるようです。

2009年の政権交代後、民主党が原子力輸出や原発14基新増設へ暴走する経過では、電力総連や電機連合を基盤とする民主党のエネルギー族という「岩盤」がむき出しになり、そこに自制を脱ぎ捨てた経産省の原子力官僚が悪のりしたさまも。

大手マスコミも、こうしたムラ=原発利益共同体の一員である(だった?)ことは間違いない事実で、私たちはこうした実情を知る機会がありませんでした。

ともかく、「将来世代に対して、後悔も言い訳もない活動をしていくほかない」(飯田さん)覚悟が私には必要だと受け止めました。

彼岸/「いちばん身近」「原発のない世の中」/広野町

迷いの此岸から悟りの彼岸に渡る期間の中日、父の墓参りをしました。お寺では、「報恩廟」で檀家のみなさんがお焼香。

墓参りの前に、党のポスターを貼ってくれている、近くの小さくて古いお店で、供えの花と線香を買ったのですが、「写真では大柄な人かと思っていたらそうじゃないね、話も気軽にできるしね」と。

午後は、中央台という住宅街で、医療生協でお世話になっているかたがたを党後援会員とたずねました。

「党の名前で身を引く人もいるみたいだけど、共産党がいちばん身近でがんばってくれることは知っていると思う」、「民主党にはまいった。もともと共産党を応援してるけど、今度こそはね」、「原発のない世の中をこれからの人たちに残さないとならないと思う」とおっしゃってくれるかたがた。

小名浜から引っ越してきて1年ぐらいで、ご近所とのお付き合いがあまりない、というかたは、「お線香をあげにでも来てくれた人かと思いましたが、わざわざ来てもらってありがたい」と。

途中、広野町から避難されているみなさんの仮設住宅にも寄りました。「原発は事故を起こさない、ぜったい大丈夫、と思わされてきた。なにより子どもたちが、ふるさとにもどれるようにしてほしい。原発はたくさん」と、無念の胸の内を語ってくれました。

車が数珠つなぎ/「正心誠意」/意識も激動の2年

木曜日朝は、中央台という団地からの道が通称・鹿島街道に出る場所と、福島高専近くの2か所での定時定点。どちらも、出勤するみなさんの車が数珠つなぎです。

そんななかで手を振っていってくれる人が少なからず、元気づけられるのです。

それにしても野田総理。原発事故の原因究明もされておらず、収束のメドも立たず、独立した権限のある規制機関を確立させることもないまま、「原発再稼動」の前のめりだけは明確。「正心誠意」がどこを向いているかもこれで明確です。

現在は自民党の参院議員で、その彼を市議時代から応援していた、というかたと出会いました。以前にも、いわきの医療を真剣に考えている共産党には共鳴するところがある、とおっしゃっていたのですが、今回は、「自民も公明も民主もダメだ、信用できない、共産党だ。というよりあんただ」と。「以前」というのは、政権交代直前で、いわき市立病院の民間譲渡方針が進められていたときで、この2年間の政治状況と政治意識の激動を見る思いです。

 

朝の渋滞/白水で街宣とつどい/尽きない質疑

水曜日朝は、週で一度だけ、JR常磐線の北側へ。通勤の車が震災前よりずっと増えているかもしれません。自宅から現地まで35分。帰りは現地から自宅まで15分。渋滞で20分は遅れる勘定です。けさも、小雨のなかの街宣でした。

きょうは内郷(うちごう)の白水(しらみず)地域での行動。

台風15号の影響が出始め、午前中は強い雨が降ったりやんだり。午後の「つどい」の案内を兼ねて、会場の近所の4か所から訴えました。

あるかたは、「震災直後にこの地域で共産党が炊き出しで訪問してくれていた。こうしたことができるのは共産党だけだ。実は、以前から地元の共産党市議が相談にはすぐにのって解決してくれていて、応援していたんだ。これからも応援したい」と。こうしたことを口に出したことはなかったんだそうです。

午後はみぞぐち民子市議と「つどい」に参加。あらかじめ案内していたチラシは、党と党後援会連名ですが、「知りたいことを話し合う会」。

いよいよ本格的な強い雨のなか、ご近所から参加していただきました。

放射線の子どもたちへの影響、原発事故の原因、原発撤退後の雇用のこと、地域での放射性物質の除去のこと、県議選や来年の市議選のことなど、尽きない質疑応答でした。

このつどい後の予定もありましたが、それぞれ中止です。