小川の山間地域/平窪の農村地域/神谷つどい

月曜日朝は、自宅近くの2か所の道路沿いの街頭から、出勤されるみなさん、朝早くから仕事をされている事業所のかた、ご近所のみなさんに訴えています。

午前中は小川地域のおもに山間地域をまわり、7か所の街頭から。見晴らしがよく、家々も点在する地域なので、声を通らせようと、ついノドに力が入るようです。意識では「力を入れすぎず」なのに、無意識に力が入るようで、7回話し終えたら、声がガラガラ。

午後はその南の平窪地域で、やはり農村地域を中心に10か所の街頭から。午前中の教訓に立ち、力を入れすぎずに。

のどかで静かな風景のなか、農作業をされているみなさんからの暖かい声援に励まされました。

夕刻には神谷(かべや)地域の党後援会主催で「はせべあつしさんをかこむ会」。自由に話して、ということでしたが、案内チラシが、県議会で原発廃炉請願が全会一致で採択など、原発問題なので、この問題を中心に。

原発事故賠償や除染がちっとも進んでいるとは思えないがどうなっているのか、その財源はどうなっているのか、家庭菜園やわが家で収穫したコメの放射線量を知りたいがなぜしてもらえないのか、などなどの質疑で2時間はあっという間です。

きのうの写真ももう一枚。

「なくせ!原発」ふくしま集会に1万人

「なくせ!原発 10・30大集会 in ふくしま」にいわき市からのみなさんと参加しました。会場の福島市・四季の里には全国から1万人を超える参加者。「前の人! 立ってたらステージが見えないよ! 座って!」の声が絶えない会場でした。

あいさつに立ったのは、この集会の呼びかけ人の早川篤雄さん(楢葉町の住職でいわき市に避難中)、同じく片岡輝美さん(会津放射線情報センター)、福島農協中央会会長の庄條德一さん、馬場有(たもつ)浪江町長、菅野典雄飯館村長、佐藤栄佐久前福島県知事、志位和夫共産党委員長の7人。

とりわけ私の印象に残ったのが浪江町長の馬場さん。私が県議現職時、県の原発行政を所管する委員会でいっしょでした。私が「原発との共生を強制することは許されない」と言ったときに、「うまい!」と合いの手を入れてくれたことはおぼえていますが、全体的には東電擁護の姿勢でした。

きょうは怒りを込め、なおかつ毅然と、東電と国の責任を問う迫力あるあいさつでした。会場の共感の拍手もひときわ大きいものでした。

集会前には、県議選の党公認予定候補の6人が勢ぞろい。選挙勝利を誓いました。

白水阿弥陀堂/サケ/訪問/激変を確実な変革に

朝早く、白水阿弥陀堂駐車場へ。というのも、このすぐそばの川の土砂の堆積と草木の繁茂が激しく、かねて県に除去を要望し続けていて、その作業が終わった現場の確認です。

そのすぐ下流側が阿弥陀橋ですが、10匹ほどのサケがその下を泳いでいました。

午前、午後と、小名浜地域で医療生協でお世話になっているかたがたを訪問しました。私は初めてうかがうお宅ばかりなのですが、「毎朝、街頭の姿を見てますよ」「原発のおかげでさんざん。共産党だけが警告していたことは知っていた」「お客さんや知り合いにもぜひ広めたい」、なかには「これまで自民党を支える側にいたが、この原発騒動で資本主義はもうダメだと思った。もう共産党だ」というかたも。

自民党政治とまったく変わらない姿をあらわにした民主党への期待はまず聞かれず、失望と怒りの声。そして共産党しかない、の期待の声。私のリーフを5部、10部と手にしていただいて、「みんなに渡すから」「今度ばかりは」と、激変ぶりに私が驚いています。

政治の具体的変革に確実につなげないとなりません。

6号線/ゲートボール/全港湾/出会い

金曜日朝は平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで定時定点。

午前中はまず、私の選挙事務所がある近くの2つの公園前の街頭から話してから小名浜へ移動。団地や道路・街道沿いの4か所から訴えました。

団地内の公園では、30人ぐらいの高齢者のみなさんがゲートボール中でしたが、みなさんが手を振ってくれ、感動してしまいました。

昼休みには、冬季一時金・秋年末要求の全港湾労働組合小名浜支部全体集会があり、連帯のあいさつをさせていただきました。港が国家に貢献するのでなく、国民の命と生活安定に貢献する職場であることの原点に立ち、民営化・合理化に立ち向かい、港と雇用と職場を守ると同時に、原発のない社会をいっしょにつくろう、と訴えました。

昼食後、引き続き、小名浜地域の10か所の街頭から。赤ちゃんを抱いて出てきてくれた若いお父さん、宣伝カーの前まで来てくれて最後まで聞いて握手していただいたかた、車から降りて手を差し出しながら「今度こそはね」と来てくれるかた、庭から手を振ってくれるかた、「兄が学校であなたを担任した。わが家も一家で応援してる」と出てきてくれるかた、いろんな出会いがまたありました。

 

街道沿いの定時定点/健診/取材

木曜日朝は出勤されるみなさんが集中する通称・鹿島(かしま)街道沿いの2か所の街頭から。

1か所目は信号がある三叉路で、車は止まっているか通過するかの場所、2か所目は渋滞で車がなかなか進まない場所。前者は走り出す車や通過する車から手を振ってくれたりクラクションを鳴らしてくれる車が多く、後者は、運転席の窓をあけて手を振ってくれる人が目立ちます。

きょうは健康診断。身長、体重、腹囲、血圧、採血、心電図、腹部エコー、尿検査、視力、聴力、胸部X線、胃透視、診察。便検査はあらかじめ提出。自覚的に「後退」しているのは視力。眼科専門医を受診する機会をつくるつもりです。

検査結果はあとになりますが、腹囲の74cmは、何十年(?)も変わらず、いつまでもズボンがはけるので、経済的だと思います。

胃透視のあとの下剤を飲んでからの数時間後の時間がいつも苦手です。

なのに、新聞社の取材がありました。震災直後のこと、議員になった際のいちばんしたい仕事、政治家を志すきっかけ、高校時代のブラバン活動のことなど、あれこれ。

 

寝た気がしない地震/JR北側/地元で街宣/小名浜地区労

2時8分ごろに塩屋崎沖20数kmの深さ約30kmが震源の地震で、このあたりは震度3。数秒続いたこともあり、また起こされました。テレビの地震情報を見、6時には目覚めていつものテレビ体操でしたが、なんだか寝た気がしませんでした。

水曜日朝は週に1度のJR常磐線北側での定時定点でした。

午前中は私が住む郷ヶ丘(さとがおか)地内の5か所の街頭から訴え。すぐ前の家から手を振ってくれるかた、出てきて話を聞いてくれるかた、ちょっと離れたお店から手を振ってくれるかた、「声が聞こえたから来たよ。市田さんが来たときにも行ったんだ。私もがんばるから」と出てきた近所のかた。やっぱりご近所だなぁ、と感動です。

午後は、今回の県議選で私を推薦してくれている小名浜地区労の役員のみなさんが傘下の労組を案内してくれました。

「自宅に来てくれましたもんね」、「学校は別ですが、ウチの子がサッカーと陸上で娘さんといつもいっしょだったんですよ」、「いとこが自民党市議をしているが、今度ばかりはがんばってくださいよ」などなどと、いろんなつながりがあります。

 

小名浜定時/街宣/「今度ばかりは」「思想・信条を超え」

火曜日朝は小名浜での定時定点。小名浜生協病院が今の場所に引っ越す前の場所の街道沿いです。

午前中は、平東部の夏井地域を中心とした団地・住宅や道路沿いの5か所の街頭から。道路沿いでは、店舗や事業所から出入りする車を含め、行き交う車から手を振ってくれる人が多く、励まされています。

ある事業所にとあるきっかけがあって社長さんとお会いすると、現職保守系国会議員の後援会役員もされたらしいのですが、「今回ばかりは仕事をしてくれるのは共産党だけ、と思うに至った。チラシもみんなに配りたい。親族にも全部声をかける。ぜひがんばってほしい」と。びっくりする出会いは少なくありませんが、すごくびっくりです。

その後、別の事業所をたずね、「思想・信条を超えて今回ばかりは応援したい」と言っていただいたかたに、この言葉をお名前入りで掲載させてチラシをつくりたい、と相談。快諾していただきました。ありがたいです。

夕刻には私の地元にもどり、地元の党支部のかたと震災前にたずねていたかたがたを再度訪問。顔を合わせるや、「今度ばかりは私もがんばるから」「私もまわりに広げたい」「仕事をしてくれるのは共産党しかない、と身近な人はみんな言っている」「医療のことなら共産党、と仲間に宣伝させてもらったばかり」と、いや~、驚きました。

月曜日定点/訪問/国や行政は何のため/萌芽

月曜日朝は、わが家からほど近い2か所の定時定点の街頭から。毎回、それぞれの地域の党支部から「旗持ち」に出てきてくれます。ほんとうに力づけられます。

出勤されるみなさんからの「注目度」も増している実感です。クラクションを鳴らしてくれたり、手を振ってくれたり、「視線」を送ってくれたり。

午前、午後と、医療生協職員後援会員と生協でお世話になっているかた宅をたずねました。

原発を福島県に建設し始めた時期の県知事と「○○ちゃん」と呼び合うような仲だったかたとも対話になりました。「原子力という科学のことを、科学の言葉で危険は危険、と言わずに持ち込んだことが大きな間違いだった。友人に教師もいたが、生徒に科学的に危険であることを客観的に言わなかった姿勢を批判したんだが」と。

このお宅は海に近いうえ、2つの川からの津波で床上までつかってしまいました。すぐ近所の高齢者は避難しないまま津波の犠牲に。毎日、3月11日の話を聞き、やりきれない思いが続きます。そして、国や行政は何のためにあるのか、と怒りを毎日ぶつけられます。

そのたびに私も、住民に寄り添う行政にするにはどうしたらいいんでしょう、と問いかけるのですが、今回の大震災と原発震災は、間違いなく、政治家を選ぶ際には自分の考えに基づいて、という思いを強くさせていることは間違いないと思います。

それは、「地元の人だから」とか「会社の上の人に言われたから」とか「親戚だから」とか、そんなんじゃダメだ、とはっきりおっしゃるかたがふえていることからも感じます。

率直に言って私は、政治的民主主義の萌芽を感じています。

 

除染作業/健康まつりで学習会/篆書/帰宅難民

全市いっせいの「秋の清掃デー」にあわせ、私の地元では、小学校通学路側溝の土砂除去作業もしました。要は除染作業です。朝7時集合。

今月に入ってからの自治会からの案内文書には、「国・県・市では、安心して住める環境を整えるために、様々な手を打っているようですが、皆が満足するような施策は皆無です」とあります。

ともかくかなり大勢のかたが出て作業しましたが、私も全身びっしょりでした。

たいへん申し訳なく、途中で抜けて、9時過ぎには、浜通り医療生協第27回健康まつり会場の小名浜生協病院へ。

10時開会前にテントをひとまわりし、10時半からは、クリニック待合室を会場にした「原発学習会」で講師。野外の中央舞台で「よさこいソーラン」や「フォークダンス」のプログラムと並行した企画でした。赤ちゃんを連れた若いお母さんやその親御さん、関心をもった組合員さんたちが参加してくれました。「話を聞けてよかった」「よくわかった」と感想を語ってくれて、ひと安心です。

病院地元の小名浜高校の吹奏楽部演奏やフラダンスもあり、たいへんな盛り上がりでよかったです。

まつりの締めの「大抽選会」もまた、番号が発表されるたびに大歓声です。

その後、市内の中学同級生宅を訪問。あるお母さんは篆書(てんしょ)を木に彫る趣味。作品を見せてもらって感心です。

同級生の一人は、3月11日には日立の職場にいて、その日は日立に一泊、翌日に徒歩で大洗港まで行き、そこでやっとタクシーを見つけることができて帰宅したそうです。「帰宅難民」は、首都圏だけの話ではなかったことを知りました。

 

電気料金のしくみ/語る会/世代の責任/熱い激励

朝から大雨でしたが、四倉地域で街宣を始めたら、2か所目からはやんでくれました。5か所で訴えました。

さすがに外を歩く人はいませんが、通っていく車からの声援が多いこと。県議選日程が発表されてからの際立った特徴と感じています。

ある場所の街宣場所のすぐ前のお宅に寄ると、「電気料金は電力会社が必ずもうかるしくみなのは、原発事故後に初めて知った。原発やプルサーマルについて勉強せざるをえなくなったが、プルサーマル導入を許した県知事がひとことも県民にあやまらない姿勢に驚いている。原発もいらない」と。

電気料金についてはあまり書かなかったかもしれませんが、「こんなしくみを初めて知った」というかたは少なくありません。

そのかたは、「地縁・血縁のしがらみで政治家が選ばれて政治が成り立つと思い込んでいたが、そんな政治じゃダメだと思うようになった」と。こういう話を有権者のみなさんとかわすことで、あたりまえの民主主義政治に近づくんだと思います。あたりまえは、なかなか難しいです。

午後は伊東達也さんが住む地元で、党後援会主催の「原発事故と放射能を語る会」に伊東さんと参加。

私は、震災翌日に津波に襲われた地域で高齢者を病院に連れて行った体験など、震災直後の活動と、原発事故後の訪問先での対話を紹介しながら、原発をなくす世の中にする契機に今回の県議選をしなくてはならない思いを語りました。

「水道水は大丈夫か?」「空間放射線量はいくら以下なら安心なのか?」「わが家の室内の0.17μ㏜毎時はどう受け止めたらいいのか?」などなどと、いつでもどこでもほんとうに深刻です。こんな思いをこれからの世代にさせないためには、原発のない社会を残す私たちの世代の責任を果たさなければならないのです。

夕刻には、私が党のチラシ配りや医療生協ニュース配りを担当している地元中の地元で、地元の党支部のお2人と訪問。熱い熱い激励を受け、こういう活動も不可欠です。