月曜日朝は、わが家からほど近い2か所の定時定点の街頭から。毎回、それぞれの地域の党支部から「旗持ち」に出てきてくれます。ほんとうに力づけられます。
出勤されるみなさんからの「注目度」も増している実感です。クラクションを鳴らしてくれたり、手を振ってくれたり、「視線」を送ってくれたり。
午前、午後と、医療生協職員後援会員と生協でお世話になっているかた宅をたずねました。
原発を福島県に建設し始めた時期の県知事と「○○ちゃん」と呼び合うような仲だったかたとも対話になりました。「原子力という科学のことを、科学の言葉で危険は危険、と言わずに持ち込んだことが大きな間違いだった。友人に教師もいたが、生徒に科学的に危険であることを客観的に言わなかった姿勢を批判したんだが」と。
このお宅は海に近いうえ、2つの川からの津波で床上までつかってしまいました。すぐ近所の高齢者は避難しないまま津波の犠牲に。毎日、3月11日の話を聞き、やりきれない思いが続きます。そして、国や行政は何のためにあるのか、と怒りを毎日ぶつけられます。
そのたびに私も、住民に寄り添う行政にするにはどうしたらいいんでしょう、と問いかけるのですが、今回の大震災と原発震災は、間違いなく、政治家を選ぶ際には自分の考えに基づいて、という思いを強くさせていることは間違いないと思います。
それは、「地元の人だから」とか「会社の上の人に言われたから」とか「親戚だから」とか、そんなんじゃダメだ、とはっきりおっしゃるかたがふえていることからも感じます。
率直に言って私は、政治的民主主義の萌芽を感じています。