象徴天皇制

象徴天皇制について少し考えさせられました。

というのも、先週末、訪問して歩いていた先で、「共産党は天皇制打倒でしょ? それが私にはしっくりと来ないし、支持が広がらない原因では?」というかたがいました。ごく日常会話で天皇制が話題になったのは久しぶりで新鮮でした。

そのときには、戦前の絶対主義的天皇制に対してはそうだったけども、現行憲法のもとでは、象徴天皇制として厳格に守ることこそ、共産党が主張していることで、その制度そのものをなくすかどうかは、共産党はそれが望ましいと考えるけども、国民多数がそう思わなければなくせません、という話をしました。

そしたら、寂聴さんと梅原さんの対談で、天皇・皇后が災害現地へ足を運ぶ姿にも触れながら、「日本の天皇制が、今、ここで生きている」(梅原)、「庶民は『畏(おそろ)しき存在』が欲しい」(寂聴)と、象徴天皇制にいたく共鳴していました。

そこで考えさせられたわけです。

憲法は、「主権が国民に存することを宣言」(前文)し、「主権の存する日本国民」(第1条)と明記しており、日本は政治体制上は国民主権の国であって、君主制ではありません。象徴天皇制という形で天皇制が存続していますが、日本独特の形で政治制度に国民主権の原則を具体化したわけです。

しかも、憲法上、天皇は「国政に関する権能を有しない」(第4条)とされていて、その存在によって民主主義も平和も左右されない立場に置かれています。

内閣が天皇を政治的に利用することがあってはならないのです。

たとえば、「国会の召集」も天皇の国事行為のひとつですが、召集を決定するのはもちろん内閣です。国会の開会式で天皇の「おことば」がなければ国会が開会できないかのような天皇の扱いは、明らかな逸脱です。

やっぱり、「九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していく」(「九条の会」アピール、04年6月10日)主権者としての議論・行動が不可欠なときです。

写真は先日行ったアクアマリンふくしまで。

 

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