『ジャーナリズムニ生きて』(原寿雄著、岩波現代文庫)を読みました。
今年2月中旬の発行で、08年12月の岩波市民セミナーで話した内容がベースです。発刊直後に手にした記憶がありますが、大震災に直後に襲われ、ずいぶんと間をおきながらの読書でした。
副題が「ジグザグの自分史85年」。共同通信社の社会部記者から始まって、外信部長、編集局長、専務理事・編集主幹、1986年からは6年間、社長をつとめました。
本書の最後に「私のジャーナリズム哲学」が21項目にまとめられていますが、ずしりと響く言葉が満載のように私は感じます。
「言論表現の自由はすべての基本的人権を支える基盤的自由である」「自由とは少数派、異端の自由を保障するものである」「少数意見の報道は賛否のバランスのためではない。真実追求に不可欠なものである」「ジャーナリズムの基本は、オピニオンよりオピニオンの基となる事実の報道である」「二分割思考のテレビ報道は世論形成をゆがめる」などなど…
まったくそのとおり、と思うことばかりで、原さんのこの「哲学」の根底に、日本国憲法の精神が流れているように思えるのです。ところが、「憲法」という言葉は出てきません。
世界的に、社会的・歴史的に築かれたはずの日本国憲法の意義を、ジャーナリズムの世界に言葉として、もっと具体的に表現して活かすべきだと私は思うのです。