【永崎・大平川橋】
玉本なるみ京都市議がいわき入りし、津波被災地の実情を見、避難所やご自宅の被災者を見舞いました。
玉本さんとは、大学時代に民青同盟や党の活動をともにした仲。私が全日本民医連事務局に勤めていたころ、京都の民医連事業所で保健師として働いていて、全国交流会で顔をあわせていた仲でもあります。
小名浜生協病院では、全日本民医連の応援を受けた組合員訪問やボランティア活動の最終日で、かつて事務局でいっしょに働いていた仲間3人とも再会できました。
【薄磯南街】
玉本さんとは津波被害が大きかった薄磯・豊間・永崎地域に入りました。
【豊間中学校】
豊間地区では、「子孫が住み続けられるための復興計画を徹底して考えている」と、区長さんたちから話を聞くこともできました。
避難所から自宅にもどっていた高齢者は、「戦争中の空襲の様子もはっきりおぼえているが、津波はもっと怖かった」と、その恐怖を語っていました。
避難所では、家を流されたかたがたが、「市を通してあしたから住むアパートが見つかったが、いまこうしていっしょの隣近所のみんなとはバラバラになってしまう」と。
この訪問には、ボランティアでいわき入りしていた「女性のひろば」編集部の兼本由美さん、「しんぶん赤旗」論説委員の竹腰将弘さんも同行してくれました。
はせべさま
はせべさま、30日はありがとうございました。本日東京に戻ってきました。この目で見た被災地の現実はあまりにも圧倒的で、まだ咀嚼できないでいます。
50日以上たってもあの日と同じ状態が続くいわきの沿岸地域。
翌日は、今まで疎遠になっていた親せきをお見舞いがてらぐるぐる回り、はせべさんや共産党の活動を熱烈に語ってきました。
せめても私にできることは、いわきの名産品を買いまくることと思い、建物が壊れたまま再開したよつくら海の駅で水産品や農産物をいっぱい買いました。また、いわき復興のシンボルにするつもりで日本桜草を買いました。大事に育てようと思います。
常磐道のいわきパーキングも元気に再開していました。いっしょにうかがった永崎のかまぼこを売っていましたので、お店の人に「永崎は津波で壊滅していましたが、よくこのかまぼこがありましたね」と声をかけましたら、別の場所に保管していた在庫を使って小名浜で作っているそうです。「その在庫もあまり残っていません」という返事でした。
いまかろうじて店頭にある水産物は、震災前の在庫なのでしょう。これから水産物が今までのように並ぶ日がくるのか…。いわき出身の母に食べてもらおうと、おみやげに買いました。
トマトランドのトマト、直売のイチゴもおいしいです。「風評被害で売れない、悔しい」と生産者の方たちがいわれ、胸がしめつけられるくらい苦しいです。
これからもいわきには行き続けます。お互いにできることを地道にやっていきましょう。
ゆみ様
きょうも近所のかたや中小事業者のかたと尽きない話をしてきました。ともかく、住民のみなさんに寄り添い、できることを地道にするほかありません。
がんばりましょう!
先日はたいへんありがとうございました。やはり、この目で見てみなければわからないことばかりだと、心の深いところで、重いものを感じています。
東京に戻る日にも余震が相つぎ、このまま引き上げることに引け目さえ感じました。
全国から被災地へ、大きな支援とたたかいを集めていくことができるよう、微力ながら力を尽くしたいと思っています。
どうかお体に気をつけて。はせべさんは地域に欠かすことのできないリーダーですから、必要な休養もとられながら、リラックスにもつとめてください。
いっしょに、がんばっていきましょう。