権利とこの国のかたち/憲法は語る

日本国憲法は、「権利」についてこう言っています。

「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(11条)

なぜなら、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(97条)だからです。

だからこそ、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要」(13条)とされ、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(14条)のです。

だからと言って、国民が黙っていていいわけではなく、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と、権利をいつでも侵害する権力の監視を怠らないよう、一人ひとりの国民に強く促しています。

そのうえでこう言います。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」(前文)。

日本の国づくりの方向は、戦争や貧しさに象徴される「恐怖と欠乏」から免れることであり、その国家のいちばん大事な仕事は「平和のうちに生存する権利」を保障すること、というわけです。

「平和」と「福祉」は不可分であり、日本の国のかたちは「平和・福祉国家」であることを示したのがこの前文で、これを9条と25条で具体化しました。

私は、日本国憲法をこのように理解し、この全面実践にとりくむべきなのが、日本の政治家の仕事だと受け止めています。

憲法記念日が過ぎてしまいましたが、きのう、新入職員にそんな話もし、新聞やブログで憲法に真剣に向き合う言葉も目にし、政権交代があっても、憲法が国家のあり方として民主党からもまったく見えてこない現実を目の当たりにし、書きとめたくなりました。

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