国会議員定数削減/「身を削る」は方便

『国会議員定数削減と私たちの選択』(坂本修・小沢隆一・上脇博之著、新日本出版社)を読みました。

「ムダを省く」「自ら身を削る」ことは、議員定数削減とはまったく別問題です。国会議員一人当たりに要する年間費用は、議員歳費・文書通信交通滞在費・立法事務費・秘書人件費を含めて、衆議院が約7142万円、参議院が約6710万円だそうです。

民主党のマニフェストでは衆議院80人、参議院40人削減です。あわせると84億円あまり。

一方、口をつぐんですまして手にしている政党助成金は、共産党を除く政党を合わせて年間約320億円。民主党が言うとおりに議員数を減らしても、その4倍近く。これが政党にばらまかれているわけです。そして政党・政治家を堕落させているわけです。ムダの極致ではないですか?

議員を減らすその先は、足元から早くも揺らいだ「二大政党制」を立て直して少数意見は徹底して切り捨てる単純小選挙区制であり、憲法9条や25条は投げ捨てる「壊憲」国家・強権国家への国家改造です。

今月18日には、この大震災復興に全力をあげるときに、民主・自民・公明・みんな・国民新・たちあがれが、参院本会議で、改憲手続法に基づき改憲原案の審査権限を持つ憲法審査会の規定を賛成多数で可決しました。

これで、改憲の国会発議に必要なしくみが衆参両院でできあがったことになります。

本書は、「定数削減」が、まったくの方便であることを見抜き、誰もが納得する選挙制度を提案しています。

小名浜の定時定点/本/振興局

けさの定時定点は小名浜。

福島原発事故で明らかになった、原発技術が本質的に未完成で危険なこと、安全神話が事故対策をまったく考えない原因だったこと、事故はまったくの人災であること、原発をゼロにする期限を決めてエネルギー政策を転換すること、といったことを中心に、住み続けられるまちづくりの基本的柱は福祉と防災にあり、憲法を活かす政治と行政に変えることを話しています。

きょうは放射能汚染の記事掲載の週刊誌、その臨時増刊号、放射能汚染の基礎知識、食卓の放射能汚染、原発にかかわる本を買い求めました。

午後は県のいわき地方振興局へ行き、被災した介護事業所の事業の対応を聞いたり、局長さんと懇談したり。

市長へ第二次要望/市の実情/愚庵の漢詩碑

けさは自宅近くで朝の「定時定点」の街頭から。

午後は、4月28日に続き、いわき市長あてに、党のいわき双葉地区委員会として第二次の要望書を提出しました。 学校給食、校庭・園庭の表土の入れ替え、児童生徒のストレスに向き合うカウンセラーの配置など教育環境の整備、原発事故の被害補償を求めること、地域コミュニティに配慮した被災者の入居先決定など被災者支援・住宅提供、小規模水道復旧や民有団地での排水溝を含めた生活機能維持のための助成など、18項目を要望しました。

対応してくれたのは前回に続き鈴木英司副市長。

副市長からは、給食センターが調理ができない状況があること、原発事故の影響で遅れていたガレキ処理が、その後も環境省から放射線量測定値基準を示すまで「待った」をかけられている実態、津波被災地の復興へ向けて部局横断的に地区のみなさんの声を聞くことに心がけていること、被災にかかわる行政としてのさまざまな実務に全国自治体からの支援を受けざるを得ないこと、などなど、実情を聞かせていただきました。 きょうも国会で議論はしていますが、政府の対応は、被災自治体の立場に立った迅速なものとはとてもいえません。

午前中、いわき新舞子ハイツのあと、以前にご先祖さまのお墓が倒れてしまった、と聞いていた瑞光寺(ずいこうじ)にも寄ったのですが、ここに、天田愚庵の漢詩碑があることは、恥ずかしながら、きょう初めて知りました。

いわき新舞子ハイツ/流木/絵画は無事

いわき新舞子ハイツをたずねました。

支配人の渡辺善男さんからお話をうかがいました。3月11日は老人会や社協のかたがたが企画された歌謡ショーの最中でしたが、津波が来る前に宿泊客を含めてすべてのかたがバスなどで避難することができたそうです。

建物への津波は、すぐ隣りを流れる滑津(なめつ)川から襲ってきたようです。流木が建物のガラスを割り、そこから流入した海水が大半かもしれない、とのこと。

フロアと同じ高さだった支配人室は、地盤の陥没で斜めになってしまい、いまは修繕して、フロアよりは十数センチは低くなっています。

建物内に入った海水は1階フロアの20~30cmぐらいで、床は全部張り替えてあります。壁の絵画類は無事です。

温泉設備などの復旧がこれからで、当面、住宅などの建設関係者の宿泊施設として使ってもらうようです。全面的な営業再開は秋口になろうかと思いますが、ホームページでお知らせはあると思います。

大震災と原発事故を語りあう/関心が高い放射能

渡辺ひろゆき市議が住む赤井地域の集会所で、「大震災と原発事故を語りあう」つどいがありました。党の平北部後援会の主催です。

渡辺市議、伊東達也さんとともに参加し、お話ししました。

3月11日から市内を歩き、とりわけ原発事故後に寄せられた原発事故への不安や怒りの声、原発事故の影響で売上が落ち込む事業者のみなさんの訴え、事業所閉鎖で解雇されたかたの声など、ありのままに報告しました。

あわせてこの原発事故が、共産党や市民団体、学者などの指摘や警告をまったく無視し続けた結果であり、人災であることを明確にさせ、事故がなかったならばあったはずの収入を全面的に補償することがあたりまえであることを認めさせよう、と強調しました。

みなさんの関心はやはり放射能の影響です。「週刊誌の新聞広告を見ていたら、発表される環境放射線量値が過小なんじゃないかと不安になった」、「野菜を栽培していて、きょうも雨を期待して苗を植えたが、心配ないだろうか」、「広いいわき市で、1か所の測定値だけを代表させて問題ない、というのは問題じゃないか」などなど。

こうして網の目で語りあう機会をもち、放射能問題・原発問題について市民レベルで考え、理解を深めることの大切さを強く感じます。と同時に、市民のこうした不安に応えないばかりか、不安を助長するばかりの日本政府の言動って、なんなの? 2年前まで原発推進で政権を担ってきた自民党は責任を果たす行動をしているのでしょうか? 国会議員も福島県議会議員も。あきれてばかりいられないのですが、毎日、そう思っています。

中村哲さん/「いわきの皆さんを応援」/緊急講演会

「いわき市九条の会連絡会」主催による緊急講演会が開催されます。

今度の水曜日、25日のことなので、お知らせも緊急です。

もともと今年は、福島県九条の会が5月22日のきょう、いわき市の「アリオス」を会場に中村哲さんをむかえて講演会を予定していました。が、大震災と大規模余震の影響で会場が使用不可状態となり、中止となっていました。

講師を予定していた中村さんから、「ぜひ、被災されたいわき市の皆さんを応援したい」との連絡があり、緊急の講演会企画となりました。

会場はいわき駅前「ラトプ」6階会議室1、時間は午後6時半からです。講演前に「アフガンにおけるペシャワール会の活動」の上映もあります。

九条の会連絡会緊急講演会110525

岩見隆夫さん/「不破講義の一読を」/トイレなきマンション

きのうは不破哲三さんの「原発災害講義」も参考に、学習会用にと思ってレジュメなど資料もつくりました。

きょうの「毎日新聞」では、岩見隆夫さんが「近聞遠見」でこの「不破講義」を「トイレなきマンション」と題して紹介していました。

「原子力への理解を深めるためにも、不破講義の一読をおすすめしたい」というわけです。その講義は「しんぶん赤旗」5月14日付に3ページにわたって掲載されています。

岩見さんは不破さんを「二十数年間、原発災害という同じテーマで質問し続けた唯一の政治家」と紹介し、この話が「日本の原発について歴史的、体系的に振り返り、なにしろわかりやすい」と評しています。

不破さんが最初に質問したのは1976年ですが、それ以来ずっと「政府側の反応はすべて〈安全神話〉に浸りきったもの」で、岩見さんは不破さんが「政府側がほとんど何も知らないことに驚いた。それから35年たっても、原発の後始末の面では何の手も打たれていない。だから、原発は〈トイレなきマンション〉と言われてきたのだ」と語っていることも紹介しています。

きょうは党の全県活動者会議があり、久保田県委員長が最初の報告でこの記事を紹介していました。

窓際で日向ぼっこする、ウチのペロ。

原発推進から撤退へ

17日に志位和夫委員長が菅直人首相あてに提出した「復興への希望がもてる施策、原発からの撤退をもとめる―大震災・原発災害にあたっての提言(第2次)」と、10日の不破哲三さんによる「古典教室」での講義を参考に、学習会用レジュメを作ってみました。

原発推進から撤退へ

一 福島原発事故で明らかになったこと

Ⅰ いまの原発技術が本質的に未完成で危険であること

①   軽水炉の構造上の本質的欠陥

核反応が止まっても、ウランから生まれた核分裂生成物が出し続ける崩壊熱を冷やし続けるために、水を供給し続けなければならない。ところが今回、地震と津波の影響で電源が全部失われて水が止まってしまった。

原子力発電の根本的・本質的欠陥

原子炉内に生まれる大量の“死の灰”を原子炉内部にぜったいかつ安全に閉じ込める技術を人間はまだ手に入れていない。

使った核燃料の始末ができない

原子炉から取り出した“死の灰”である「使用済み核燃料」を始末するシステムを人間はいまだ開発できないでいる。日本は使用済み核燃料を、使えるプルトニウムと残りカスに分ける「再処理」路線を強行しようとしている。

さらに危険な残りカス=高レベル放射性物質

放射能が半分に減るまでに、何千年、何万年もかかる高レベル放射性物質をどこでどう始末するかも、人間は答えをもっていない。

Ⅱ 世界有数の地震・津波国に集中立地することの危険

日本列島のどこにも、大地震と大津波の危険性のない「安全な土地」と呼べる場所は存在しない。大地震・大津波にみまわれる危険性がないと断言できる原発はひとつもない。

Ⅲ 「安全神話」の大罪

いまの原発技術が本質的に未完成で危険という認識ももたず、その原発を地震・津波国で大増設することの危険性の認識ももたず、どんな技術にも「絶対安全」は存在せず事故の可能性は排除できないという認識ももたず、「安全神話」にどっぷりつかってきたために、対策をもたなかった。現在の事態を招いたのは歴代政府、電力会社の大罪。

Ⅳ 原発事故は明らかな人災であること

「安全神話」を追及し、最悪事態を何度も警告した共産党や市民団体の声を無視し続けた結果に起こった事故であり、明らかな人災。「自然の驚異」「想定外」の言葉は責任逃れ。

国会では、監視体制の問題 (76年1月、99年11月)、使用済み核燃料の危険性・処理不能の問題(76年1月、99年5月)、「安全神話」の問題 (80年2月)、震源域への立地の問題 (81年2月)、冷却水喪失の危険の問題 (06年3月)でも、国と電力会社は聞く耳を持たなかった。

とくに冷却水喪失の危険は、「原発の安全性を求める福島県連絡会」の指摘に基づき05年2月に私が福島県議会で明らかにし、「連絡会」が同年5月には文書で「福島原発の抜本的対策」を東電に求め、07年7月には党県委員会・県議団・「連絡会」連名で「冷却材喪失による過酷事故に至る危険」を指摘し、「福島原発の耐震安全性の総点検」を東電に求めていた。

すべて無視された。

人災と認め、風評被害を含めて被害への全面賠償をさせなければならない。

二 原発推進から撤退への転換のとき

Ⅰ 原発からの撤退の戦略的決断

原発からの撤退を政治的に決断し、原発をゼロにする期限を決めたプログラムを政府の責任でつくること。そのさい、

・    福島第一・第二原発は廃炉にする

・    原発の新増設は中止する

・    浜岡原発は廃炉とする

・    老朽化した原発の運転は中止する

・    住民合意のない原発の運転は中止する

・    放射性廃棄物の再処理施設を閉鎖する

・    プルサーマルから撤退する

・    自然エネルギーの開発・普及・促進、低エネルギー社会への移行のために知恵と力をそそぐ

Ⅱ 安全優先の原子力管理体制の確立

原発の運転停止後も、廃炉までには20年かかるといわれ、その過程で放射能が外部に流出しない最大限の努力が不可欠である。また、未確立の使用済み核燃料の処理技術を確立し、処理作業が完全に終了するまで、きわめて長い期間、核廃棄物を環境から厳重に隔離し、監視し続けなければならない。

原発ゼロにいたる期間のすべての段階を、厳重な安全優先の管理と規制の体制のもとで進めるためにも、強力な権限と体制をもった原子力管理体制の確立は緊急につくりあげなければならない。

以上

原発事故緊急対策マニュアル/人災/科学と社会

『原発事故緊急対策マニュアル』(日本科学者会議福岡支部核問題研究委員会編、合同出版)を読みました。

もともとこの本は、22年前の1989年6月に出版された本の新版です。チェルノブイリ事故の3年後でした。

旧版は、「国民に原子力発電に伴う危険を正確に知らせず、しかも、万一の事故の場合の対策を示さないことは許されない」として書かれましたが、その「万一の事故」を目の当たりにしての新版です。

旧版が出版された89年正月には、福島第二原発3号機で深刻な事故が起こっていました。原子炉のアクセルとブレーキに当たる重要な装置である「再循環ポンプ」が大破損していたのです。警報がなっているのに、約1週間後の定期点検予定日まで運転を引き延ばそうとしていたと推測されています。

再循環ポンプや配管が破損した場合、冷却材喪失事故を起こす危険があるわけですが、「そうした事故は起こらない」とする安全神話が現場に浸透していたというほかありません。

そうしたときに発刊された旧版の警告はけっきょく生かされませんでした。どこからどう見ても今回の事故は人災にほかなりません。

この新版は、「原発由来の放射能というまったく無用な人為的被ばくから市民の命と健康を守るために少しでも役立つとともに、科学と社会の関わり方、とりわけ科学者の社会的責任に関して新しい議論の契機にもなることも願って」書かれました。

ボランティア/塩屋崎灯台と美空ひばり/全面賠償

きのうからあしたまでの3日間、兵庫県と群馬県の党のみなさんが、水害にあった家の泥かき、床下の海砂の撤去、家の前のガレキの分別や撤去などのボランティアに来てくれています。

出かける前の芦屋のみなさんと。

きょうは豊間地区に入りましたが、2か月以上たっても、片づけがなかなか進まないのが現状です。

塩屋崎灯台近くの「永遠の美空ひばり像」は、あの大津波のあとでも、前に立つとちゃんと歌声が流れ出します。

平市街地の食品卸問屋さんに寄ると、「4月の売上は昨年の7割台、今月はゴールデンウィークはぜんぜんダメで、現時点で6割台。完全な赤字で従業員の雇用もむずかしい。原発事故がなければこんなことにはならない。補償の対象ではないのか」と。

「原発事故がなかった場合の収入と、現実の収入との差をすべて賠償するのが筋で、そのことを声に出すことがいま大事なこと」と伝えました。

この「全面賠償」の原則を国は明確にすべきです。