1か月後の連続余震/無事確認/放射能学習会

午後5時16分にいわき市内各地で震度5弱~6弱の地震がありました。震源は先月23日にあった市内内陸部の閼伽井岳(あかいだけ)と水石山(みずいしやま)の間付近から20kmほど南西の四時(しとき)ダム近くの地下10kmぐらいで、マグニチュードは7.1。

これ以来、夜10時過ぎまでひっきりなく余震が続いています。あの3・11からちょうど1か月で、たいへんな4・11です。

午前中は内郷地域で、中学時代の同級生や同期生、その実家をたずねてお互いの無事を確認して励ましあっていました。

ある事業所では、3月11日のあの時間、たまたま休憩時間で、厨房の大きな天ぷら鍋の油が地震の揺れで全部飛び散り、火を止めていて危機一髪だった、とのこと。

午後は内郷高坂団地一丁目集会所で「いわき市内の放射能の状況について」の学習会がありました。伊東達也さん、早川篤雄さんとともに参加しました。そう広くない集会所に80人近いみなさんが集まるたいへんな熱気でした。

「毎日、基準があるのかないのかわからない数値が発表され、そのたびに、‘ただちに健康に影響はありません’と聞かされていたら、今度は累積の被ばく線量の値で避難する必要がある地域が出そうだ、という話。いったい、われわれは何をもとに判断し、どうしたらいいのか」と切実な話です。

こうした疑問をいだかせない、もしくはこうした疑問に答えうる、政府としての責任ある姿勢と態度と発表が必要なのですが。

【天田愚庵邸】

「かけはし」配布/「大連立」?/桜/お墓

通信「かけはし」をご近所240軒ほどに配布しました。

この日誌の先月28日に書いた文章がベースで、「原発震災は人災」としました。

先月は3月12日に配布しようとしていましたが、11日の大地震でそれどころではありませんでした。

「いつになるの?」と路上で出会うかたがた。県議選のことです。なかには「復興のために全党派が一致してあたっている時に、民主と自民だけで大連立の話が出てくるわけがわからない。復興以外のことでいろいろ意見があるから政党のはずなのに」と。まったくそのとおりです。


平の街中に出かけました。いわき芸術文化交流館(アリオス)前の平中央公園ではもう咲き誇る桜の木もあります。

いわき市の桜の名所・松ヶ岡公園は、地震による危険個所の修繕がまだで、当面、立入禁止です。

たまたまその近所のお寺に行くと、かなりのお墓が倒れています。

よもや、と思いウチのお墓があるお寺へ行くと、やはりかなりの被害。わが家の墓は幸いにも無事でしたが、いったい、地震被害はどこまで広がるのやら、と思わざるを得ません。

住職さんとしばし、この間の避難所訪問やボランティア活動の様子を交流しました。

わが家の庭の桜もまもなくです。

原発推進・支持をしてきた議員/私の努力

きょうたずねたかたと話をしていたら、あたりまえですが、県議選の話になりました。

これだけの原発震災を受けての選挙になるが、原発立地県でもあり、これまで原発推進の立場で議員になったり候補者であったりする人が圧倒的多数だが、彼らのその立場を有権者の前にはっきりさせるべきだし、推進・支持してきたことについてどう考えるのかも、その態度をはっきり示させないとならない、と。

まったくそのとおりです。

【久ノ浜支所】

防災や原発事故への対応が必要だ、とは誰でも言うでしょう。しかし、それですむのか、有権者の判断がその程度だと思っているのか、と強い調子ですが、ともかく私も、的確な判断をしていただけるよう、努力しなければならないと思います。

写真はきのうたずねた先での様子。

片づけ/「原発国策をやめさせて」/久之浜

【小名浜古湊】

大地震後、2度ほど来ている小名浜地域の医療生協総代さん宅をたずねましたが、きょうもルスでした。津波が少なくとも庭先まで押し寄せていますが、前もきょうも片づけにもどっている様子がうかがわれるので、ちょっと安心はしています。

押し流されてガレキ状態の家屋にふさがれていた道路も通れるようになっており、近所のかたがたがあれ以来、ずっと片づけにおわれています。

【市役所市議会棟入り口】

市議会党控え室で高橋あき子市議と待ち合わせ。東京都青梅市議候補が市内の被災現場や住民・行政のなまの声を聞いて歩きたい、とたずねて来ていました。

【久ノ浜蔭磯橋】

きょうは、久之浜在住で、お隣りの茨城県内に避難していて、今は家にもどっているというかた宅をたずねる約束をしていました。茨城県内で、たまたま駅頭で救援募金活動をしていた山中たい子前県議と出会い、いろいろ話をしていると、共産党に聞いてほしい話がいっぱいあるので、ぜひ話を聞いてほしい、と山中さんから連絡があったのでした。

いっしょにたずねてお話をうかがったのですが、ひと言で言うと、「国と東電が進めてきた原発国策をやめさせてほしい」ということなのです。

原発敷地内で働く機会もあるかたで、働く環境のことを含め、2時間にわたって話してくれたのですが、「まだごく一部でしかないんです」とのこと。

原発の身近で働いていたかたからこれだけの話を聞かせていただいたのはもちろん初めてのことです。

【久ノ浜東町・北町】

その帰りに、大地震・大津波に加え、漏電による火災に見舞われ、原発災害のただなかの久之浜北町・東町に寄りましたが、ここもまた壊滅です。

いわき市久之浜・大久支所も津波に襲われて機能喪失し、四倉支所内に間借りし、きょうから四倉公民館に移った支所もたずね、お話をうかがい、激励しました。

「どうなるの?」/放射線量の発表

訪問して歩く先で、顔をあわせるなり「どうなるの?」がほぼ間違いない第一声です。

原発事故や放射能汚染のことです。

最近になって、「1年間に1ミリシーベルト」が一般の人たちの線量限度であることが「正しく」言われ始めました。一方で原子力安全委員会が5日、「20ミリシーベルトに引き上げるべきか検討を始めた」という話が出てきました。

これまでは、各地の環境放射線測定値が発表されると、「目安として、1回の胃のエックス線検査で受ける放射線量は600マイクロシーベルトです」といったことや、「現在の数値はただちに健康に影響はない」とよく聞かされました。

けっきょく、はっきりしていることは、今回のような原発事故はぜったい起こらないので、そのときの対策は考えない、というこれまでの国策です。

ともかく、被ばくする放射線量について、「いっぺんに被ばくした場合なのか、累積した被ばく線量なのか」、「空気中からの外部被ばくだけの線量なのか、水や食料や吸引を通した体の内部からの被ばくも含まれる線量なのか」、「その数字が出た場合に私たちはどんな行動が必要なのか」、こういうことがわからないデータ公表は、「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と言っているだけに聞こえて、「じゃ、あしたはどうなるの? けっきょくどうしたらいいの?」の不安をかきたてるばかりです。

死者数と不明者数/入学式/お見舞いと激励

きょうの午後4時現在でのいわき市災害対策本部発表によると、市内での死者数は285名、不明者数は82名、あわせると367名です。

不明者数は3日前まではずっと「調査中」でわかりませんでした。4月4日に初めて70名と発表されました。12名ふえています。

きょうは公立小学校で市内いっせいの入学式でした。教師にとっても、親にとっても、原発事故の不安を抱えながらの実施でした。さまざまな思いを去来させながらのきょうだったことは間違いありません。

内郷地域では、党と党後援会として、地域の人たちにみそ汁を配ったり、来週11日の原発事故と放射能問題についての学習会の案内をしたり、街頭からお見舞いと激励をするいっせい行動をしました。

私は街頭からの話です。

大地震と大津波、原発震災と、いわき市民すべてが被災者です。そのお見舞いと、亡くなられたかたがたへのお悔やみ、そして原発震災は、想定外などではなく間違いのない人災であること、原発に頼らないエネルギー政策への転換、防災・福祉のまちづくりこそが復興の指針にしなければならないことをお話して歩きました。

写真スタジオ・運送会社・卸問屋・ラーメン屋/前向き

【小名浜港の埠頭】

少し街中を歩きました。

室内や設備に被害がないかちょっと心配していた写真スタジオをたずねたら、ちょうど、入園式を終えた子どもと両親が、おもちゃ遊びをする子どもを真ん中に撮影中。その様子を目にした瞬間、久しくもちえなかったなごやかな気分になれました。

マスターいわく、「撮影することを通して、住民のみなさんが日常を取りもどす手助けをしたい。それぞれの立場で日常復興の支援の仕方は違うが、いっしょにがんばりましょう」と。

運送会社の営業所では仕事は半減。「トラックが全部流された会社もあると聞くから、ウチは幸運とも言えるが、比重が大きい原発立地地域の集配のめどがたたない」と困惑気味です。

【県港湾建設事務所前】

食品・日用品の卸し問屋さんが言うには、今でもいわき市へ納品しに来ることをさける業者もあるとか。また、地元の小売店舗が営業再開に動き出したタイミングで、市が支援物資の一般市民向け配給を始めたことに困惑が広がった、の話はたしかに難しい問題です。

配給場所に出かけられる人は、小売店舗にも出かけられるわけです。出かけられずに家の中にとどまらざるを得ない高齢者や障害者にこそ、物資が届けられないといけないはずです。彼もそう言っていました。

ラーメン屋さんには、津波で家を流されたかたが何人か来るそうです。明るく語ってくれる人ばかりだそうで、元気と勇気を分け与えてもらっている、とマスター。

道のりがけわしいことは間違いないとみんなが承知していますが、前を向いて、励ましあいながら進みたいと思います。

【港湾労働者福祉センター前で 宮川県議と】

写真はすべてきのう。

メール/尽きない話/小名浜港湾の実態

先日たずねた避難所に避難されていたかたからメールがあり、自宅をたずねました。

本人は畑作業に出かけており、お母さんとしばし。「この年になってこんな恐ろしい出来事に出会うとは思わなかった」と、あの日の様子、この家を残してくれただんなさんの話、市外在住の娘さんがまもなく来てくれる話など、尽きる様子がありませんでした。

息子さんがいる畑の場所を教えてもらい、行くと、その場で1時間半にわたっての立ち話となりました。農政のこと、原発のこと、政治のこと、ご自分の仕事探しのこと、ほんとうに話さないではいられない境遇のお一人だったと思います。

困難ななかでも、前向きの姿勢でいっしょにがんばりましょう、と言うほかありませんでした。

【県港湾事務所】

午後は宮川県議と全港湾労組、県小名浜港湾建設事務所をたずねて実情や要望をお聞きしつつ、港湾の様子を見てまわりました。

港湾建設事務所は津波の直撃を受け、市の小名浜支所の部屋を間借りしていました。

小名浜港を面前にする企業群、下請企業、トラック業者などが、原発の影響も加わり、操業再開のめどが見えないばかりか、働く人たちの職場が失われかねない実態です。

国による一刻も早い救済措置が求められる小名浜港湾の実態です。

【3号埠頭】

新入生の学生服/縄文干し/船を降りて原発

【江名魚市場のガレキ】

江名(えな)地域のかたで、間接的に無事を確認できているお二人をたずねましたが、出払っていました。二人のことなので、元気に仕事やボランティアに出かけているものと察しました。

津波の被害を直接受けた江名漁港前の様子をうかがいました。もちろんどこも片付けの真っ最中です。

呉服店のかたは、「避難が呼びかけられたとき、なによりもなくしちゃいけない、と思ったのは注文を受けていた中学新入生の学生服。金庫や通帳は行方不明。この建物も2・3階は大丈夫だし、何とか再開したい。1階はいろんなものがやられてしまっていて、回復できるかどうかの点検や、修繕などで支援がほしい」と。

すぐ隣りの商店でも、「1階はこのとおり全滅だが、すぐ隣りの家に傾いたわが家が寄りかかっている状態で、すぐにでも解体して二次被害を防ぎたいが、自力でできるわけでもなく、業者にすぐお願いして自己負担でできるわけでもなく。まもなく、行政の点検は来てくれる思うが。なんでもしてほしいとは思わないが、こうした被害救済のしくみはぜひ考えてほしい」と。

やはりすぐそばの丸源水産食品。冷蔵庫が津波の直撃を受け、「事業をやめようと思う」と。被災直後に、「縄文干し」の無料提供をしたのも、保管する手段がなくなり、食べたい人の手元に早く渡したい、との思いから。

この「縄文干し」は、浜通り医療生協でも組合員の人気商品であるばかりでなく、『丹精で繁盛』(瀬戸山玄(ふかし)著、ちくま新書、07年12月刊)でも最初に取り上げられています。

この際、私は、この「縄文干し」をなくさないで、の支援を市内ばかりでなく全国から集中してほしい、と強く思います。

【中之作漁港】

江名の隣りの中之作(なかのさく)漁港も津波直撃。まん前の商店にお2人のおばあさんがいるので寄ると、「津波で店の中の冷蔵庫が倒れていた」とのこと。

【中之作 鉄工所】

話が政治に及び、「政治家はこういう現場をちゃんと見てよ。そのうえでなにが対策として必要か考えなさいよ。原発だっていっしょ。この地域の船の人間は、船を降りている時期は原発で働く人が多い。生活とお金のため。だけど、原発はやめたほうがいい、って言う人も多かった」と。

原発をめぐっても、日ごろはなかなか聞けない話が出てきます。

被災写真/アクアマリン/残される爪あと/ペロの散歩

市内被災の実態を医療生協職員のみなさんにも知ってもらおうと、大地震後に撮り続けてきた写真をまとめ、医局はじめ職場に3部ほど渡してきました。

【アクアマリン 海側から】

【アクアマリン 建物入り口付近】

被災後、ずっと気になっていたアクアマリンふくしまの様子を見に行きました。市外・県外ナンバーの車が次つぎとやってきていました。

【改札付近外側】

【蛇の目ビーチ】

【金魚が生きている ! 】

なんとか早く再開してほしい、という願いをもっての訪問のように私には見えました。

【小名浜漁港】

【1、2号埠頭間】

【臨港道路沿い】

【臨港道路沿い電柱】

近くの臨港道路沿いも、隣りの小名浜漁港も、大津波の爪あとは残されたままです。

市民いちがんとなって復興へ向けてがんばりたい気持ちです。

午後、わが家の中に閉じ込めっぱなしにして、ず~と申し訳なく思っていたペロを、ほんとうに久しぶりに県立いわき公園への散歩に連れ出しました。

いつものコースはがけ崩れや道路の陥没で入れませんでしたが、3度もウンチをして、気分爽快だったに違いありません。

公園近くには、公民館前の空き地に、災害派遣で来ている自衛隊がテントを張って寝泊りしているようです。連日、市内を走り回っている隊員のみなさんには感謝です。