完全賠償をさせる会臨時総会/政治的無策と被曝

「原発事故の完全賠償をさせる会」臨時総会がありました。

昨年12月23日、いわき市民を中心に原発事故を人災と認めさせること、県内のすべての被害に対し完全な賠償をさせること、福島原発を廃炉にさせることを目的に設立されたのがこの会です。

私も78人の呼びかけ人の一人でしたが、きのう現在で382世帯867人が会員になっています。市外・県外の会員ももちろんいらっしゃいます。

総会では、①国・東電に要求(政策要求と賠償)を提示し、これを世論にアピールし、要求実現をめざす、②国・東電を被告とする訴訟を提起し、要求実現をめざす、の基本方針を確認。

福島原発放射能被害補償法の立法をめざし、健康管理手帳の交付、無料によるがん検診を含む定期健診受信の保障など、17項目の具体的施策を求めます。

賠償額については、(A)避難の実費、(B)精神的苦痛に対する慰謝料は一人一律25万円、(C)今後の人生への全面的負荷などを包括し、子ども・妊婦は1か月8万円、おとなは1か月3万円を、福島原発の廃炉完了までとし、(B)(C)について一律にできない地域などについては個別に請求することとしました。

総会に先立ち、斎藤紀(おさむ)医師(医療生協わたり病院)による「低線量被曝と内部被曝の問題」についての1時間の講演がありました。

13か月がたって、加害者が被害者を「圧倒し押している」現実、放射線の子どもへの影響が大人よりも大きいことの証拠は原爆被爆の研究・検証から示されており、しかもそれは政治的無策が背景にあることを冷静に見るべき、の話には目を見開かされた思いです。

医療生協支部総会/ベクレルモニター/原発震災シンポ

午前中、浜通り医療生協の私の出身職場によると、「きょうは上神白(かみかじろ)支部の総会があるよ」と。

上神白地域は今の小名浜生協病院の足元の地域で、新病院建設時には事務長としていちばんお世話になりました。当時、支部はなかったのですが、病院建設後に支部が結成され、私は「医療制度のしくみ」をテーマに話をさせていただき、その後もずっと親密におつきあいいただいているみなさんです。

生協にもどると、「ベクレルモニター」で地場産作物の放射線量測定中。この機械は生協に2台あり、この場と支部を通して測定することができます。

午後は、「起きてしまった原発震災! 今、福島の復興を考える」をテーマにした浜通り医療生協主催のシンポジウム。

今年は「国際協同組合年」でその協賛事業です。

シンポジストは、佐藤栄佐久・元福島県知事、開沼博・「フクシマ論」著者、小池晃・日本共産党政策委員長、日野秀逸・東北大名誉教授・日本医療福祉生協連合会副会長の4人。

この面々は、あとにも先にもないんではないでしょうか。2時間強に渡るシンポジウムの中身も感銘深いものでした。

小池さんは「自民党参院議員もされたきょうの佐藤さんの話には全面的に共感しました」と。

シンポ後は4人そろってサインセール。それぞれに行列で、いわき市内ではなかなかお目にかかれない光景です。

亡くなられた息子さん/特別委理事会

朝から県庁の党県議団控え室に「出勤」すると、浪江町議の馬場積さんから電話。昨年の震災後、町民から亡くなられた息子さんの相談を受けていた件でした。

災害救助法に基づく対応なのですが、原発震災を想定した法律ではないために、この1年間、まったくと言っていいほど対応できない事態が私たちの目の前で次々と起こっています。

杓子定規ではなく柔軟対応をとったとされても、遺族からすればとても納得のいかない事例です。県の担当部署の職員にも来てもらい、町議・ご遺族と話を聞かせてもらいました。

午後は県議会の「子育て・健康・医療対策特別委員会」の理事会でした。

これまでの執行部聴取調査を受け、当初の予定を変更して中間報告を委員会としてまとめて執行部に要望する日程を加える提案を委員会にしよう、ということにしました。

県内外調査についても、委員会テーマに基づくものについては、積極的に調査すべきと思います。理事会は6人なので、かなり率直に意見を出し合えます。

3日目/防災ヘリ/風力発電

調査3日目はまず、福島県消防防災航空センターへ行き、防災ヘリの活動状況などを調査しました。

昨年3月は、災害応急対策で13件、約13時間の運航、救急・救助を加えると40件、約32時間の運航だったとのこと。年間ではここ数年、300~350時間の運航だそうです。

機体や機器類の定期点検もおこたるわけにはいきません。

質疑後、2班に分かれて防災ヘリに試乗。震災でのがけ崩れ現場と堤防決壊現場を地上約300mの高さから見て回りました。

午後はまたバス移動。田村市滝根町といわき市川前町小白井(おじろい)にまたがる風力発電所「滝根小白井ウインドファーム」。事業会社は㈱ユーラスエナジー滝根小白井。

23基の発電機で、4万6000キロワット(一般標準家庭約3万世帯相当分)の発電能力があります。到着したときは、風速5.5m/s、発電量3000kw、標準世帯7000軒分、と表示されていました。

電気は東京電力に売電しています。

ともかく、多種多様な再生可能エネルギー活用の技術開発と爆発的普及はこれからです。

委員会調査2日目/復興庁・環境再生事務所/除染現場

きのうのうちに福島市にもどり、午前中は福島市内の復興庁福島復興局、環境省福島環境再生事務所をおとずれ、国のそれぞれのとりくみを聞きました。

復興庁は、「被災地のあらゆる要望・相談を一元的に受け付け、対応する窓口」とうたっています。

が、対応してくれた局次長がおっしゃるように「スピード感がないといわれる」「職員自身が現地を見て、“やはり現地はこうだった”と気づくことも多い」とのこと。

私からも新潟に「自主避難」されているかたがたの声も紹介しながら、警戒区域などからの避難指示者と変わらない対応の迅速な解決を要望しました。

環境再生事務所では、国直轄の除染工程などの説明を受けました。各委員から、除染そのものが線量にかかわらず国の責任であること、安心して住める状態にもどすことが求められていて、「強制的にもどされる」と住民が疑念をいだくことのない対応を求めるなど次つぎ。

午後はまたバスで移動し、計画的避難区域内に入り、葛尾村(かつらおむら)の「みどりの里 せせらぎ荘」での国直轄除染作業の現場を視察しました。

委員会県内調査/新地町・相馬市

県議会企画環境委員会で3日間の県内調査です。

初日は、役場の駐車場まで津波が浸水し、すぐ東側にあるJR新地駅が津波の直撃を受け、町全体では5分の1(約904ha)の面積が浸水した新地町。亡くなられたかたは115人にのぼり、500戸を超える住宅が全半壊しましたました。

町の復興計画に基づき、宅地など買い取り、集団移転など、住民合意を前提に進めようとしている現状です。

全壊した新地駅については、この区間を含めたルートをやや内陸側に変更して復旧予定です。土地買収なども含め、具体的にはこれからです。

次におとずれたのは相馬市。ここでも津波の被害は大きく、亡くなられたかたが457人、全半壊住宅が2900戸を超えています。

こちらでは大震災で発生したがれきの処理について、市内に設置された仮置場とそこでのがれきの破砕・選別処理作業を調査しました。

県庁を出発し、長時間に及ぶバス車中移動でした。

金澤翔子美術館/「共に生きる」

今年1月2日、いわき市遠野町に、東日本の復興を願い、金澤翔子さんの日本で初めての常設館である「金澤翔子美術館」か開設されました。

それから3か月、「特別内覧会」の案内をいただきました。

1985年生まれの翔子さんは、ダウン症でありながら5歳で書道をはじめました。今年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字は彼女が書きました。

これまでもテレビ出演したり、紹介もされ、知る人ぞ知る若き書家です。妻もよく知っていました。

館長はお母さんの泰子さん。最初で最後と思って2005年に開いた個展が、新たな書の道の出発点になったようです。

被災地のがれきの中で、小さな花に希望の光を見、被災者に寄り添う思いがほとばしる「共に生きる」。美術館に入ると正面のこの書に、感動もし、勇気もでます。

きょうのうちに福島市へ移動し、あす朝9時出発で県議会常任委員会の県内視察に出かけます。

「放射線と健康障害」講演会/姿勢に共感

昨年10月、「放射能から子どもを守りたい! いわきに住み続けたい!」の思いからつくられた「放射能から子どもを守るいわきママの会」主催の講演会がありました。

会場のいわき市総合保健福祉センター入口は毎時0.093マイクロシーベルトの表示。

「放射線と健康障害」をテーマに、福島市の医療生協わたり病院の渡部朋幸医師が講演しました。

渡部医師は、私が小名浜生協病院事務長の時期に、福島県民医連の研修医として勤務していただいた医師です。

内外の公表されている文献を詳細に調査し、現時点での知見を知らせてもらえる有意義な話でした。

「被曝量は少ないほど良い」のが世界の合意であり、ただ、低線量、とくに20ミリシーベルト以下の被曝ではその健康障害のリスクが分かっておらず、それだけに、被曝を減らすために、行政に対する私たちの継続的で粘り強い行動が重要、と受け止めました。

「影響が分からないってどういうこと?」「除染をどう進めるかの話がなかった」といった感想ももれ聞きましたが、私には内科医として誠実に客観的に現実を伝えようとする渡部医師の姿勢に共感です。

わが家にほど近い県立平工業高校の桜も咲き誇っています。

13・14日に震度1以上が21回

11日には新潟市内に泊まり、翌12日は福島市内、13日には県内浜通り北部の相馬市へ行き、その夜からいわきにもどったわけですが、12日夜には福島市が揺れ、いわきにもどってからもずいぶん揺れを感じたので、気象庁ホームページの地震情報で調べました。

11日以降、県内といわき市で震度1以上を観測した回数です。

すると、11日にはなく、12日の午後8時20分に福島市で震度1(いわき市は2~3)、同じく午後11時51分に福島市内で震度2~3(いわき市で2)。

13日はいわき市内で0時台に震度1が1回あってからは、午後7時10分に震度3~4の地震があり、その日は計10回。午後9時21分に震度2~3。それ以外は1。

きのう14日は、深夜の0時台に3回、1時台に1回あって以降は、午後5時46分に震度1~2。それ以降も6回揺れて、計11回。震度はすべて1、もしくは2でした。

日付がきょうに変わってからも、0時5分と8分に揺れ(震度1~2)、朝の5時41分にも震度1でした。

これらの地震の震源は、北緯38.1度・東経142.8度の三陸沖が1回、北緯36.7~36.8度、東経140.8度~141.4度の範囲の茨城県沖が6回、それ以外の19回は北緯36.9~37.4度、東経141.2~141.8度の範囲の福島県沖でした。
(朝8時記)

桜の開花/雨の「お花見」

きのうは東北地方のトップを切って、小名浜で桜の開花が確認されていました。

けさ、庭の桜を見ると、しっかりと開花。市内の桜の名所・松ケ岡公園はすでに五分咲きだとか。

それはともかく、きょうは一日雨模様。きのうは晴れで、あしたも晴れの予報。党のいわき・双葉地域後援会の「お花見まつり」が決行されました。

会場の三崎公園も二~三分咲きのようで、この花のもとで思いっきり「お花見」とはなりませんでした。が、市内各地から参加されたみなさんと、じっくりと交流することができました。

いわき市出身で、劇団前進座の横澤寛美さんもひょっこりと顔を出してくれました。