県立高校入学式/平商/全国の舞台で

県立高校の入学式でした。

私は、平商業高校に県議会議長の祝辞をたずさえて出席しました。

この高校とは少なからぬご縁があります。6年前、渡辺ひろゆき市議に、すぐ脇の小中学生の通学路の見通しが悪く、改善してほしい、と住民から要望がありまた。

さっそく市議と学校をたずねて校長・教頭先生などの話を聞き、市と県に相談し、改善することができました。

なにより35年前、私が磐城高校吹奏楽部の部長になった直後、部員数が少ないので、新人演奏会は平商吹奏楽部と合同で参加させてほしい、と当時の顧問の先生に直訴し、実現してしまったのです。

なにせそのときにいっしょのパートだったのが今の妻です。つい、写真をさがし出してしまいました。

今やこの両校は、全国トップレベルとなり、私はぜんぜん関係ないのですが、喜ばしい限りです。

そんなことにも触れながら、学校が地域社会の絆の一員として存在していること、一人ひとりがその力を3年間の学校生活で存分に発揮してほしいと前置きし、議長の祝辞を代読しました。

吹奏楽部のきょうの新入生入退場の際の演奏は、新年度が始まったばかりでしょうから、少しあらけずりに感じたので、「練習不足かな?」とちょっと言ってしまったのですが、式後、引率の先生から「ああ言ってもらって、部員の刺激になったと思います」と。

今年はまた全国の舞台で演奏を披露してもらいたいと思います。

地方の論理/「地方が地方であるまま」/持ち上げすぎ?

『地方の論理』(佐藤栄佐久・開沼博著、青土社)を読みました。

栄佐久さんは、私が県議1期目のときに、5期目の県知事を務め、その途中、06年9月でしたが、県発注のダム工事をめぐる「汚職問題」で辞職し、その後逮捕され、09年10月には東京高裁で「収賄額ゼロ」で有罪という判決を受け、最高裁に上告中です。

人生の20年も先輩の栄佐久前知事とは、憲法認識、県が進める行財政改革、教育基本法改定問題、義務教育国庫負担金の問題などで、本会議場で再質問・再々質問と議論しましたが、やはり原発・プルサーマル問題が印象に残っています。

とくに04年2月議会での総括審査会で、プルサーマル計画は白紙撤回したからその後はいっさい考えていない、と2度答弁されたことは強烈でした。私は「今後どんな考えで対応するのか」と聞いたので、なんだか答えてもらえなかったように思ったものです。

開沼さんは私の高校の24年も後輩で、まだ大学院博士課程在籍中の社会学者です。

本書で言う「地方」が、メディアや政府サイドから言われる「地域主義」「地方分権」「地方の時代」の「地方」とはずいぶん違う意味で使われています。

簡潔にいうと、「地方が地方であるままで生きていける論理」ということです。

たいへんに共感を覚えるのですが、それにしても、取材し、学ぶ対象とすることもあるかもしれませんが、栄佐久前知事を持ち上げすぎの感もないではありません。