「かけはし」/娘と被災現地へ/生々しい爪あと

「おひさま」を見終えるや、「かけはし」9月号をご近所240軒ほどに配布。すぐ近くの新居数軒では若いご夫妻たちとお会いすることができ、よかったです。 きのう、9か月ぶりに帰省した娘が、被災したいわき市の現場を見たい、とのことで、久之浜(ひさのはま)、四倉(よつくら)、薄磯(うすいそ)、豊間(とよま)と見てまわりました。

久之浜では仮設商店街の「浜風商店街」に寄り、けさのうちに待ち合わせをした高橋あき子市議といっしょに、みなさんと交流しました。 その後、久之浜の末続(すえつぎ)や、地盤沈下により海岸線が河口から内陸部に移ってしまった現場、波立(はったち)海岸で地震・津波で倒壊してしまった食堂、四倉の道の駅や四倉港の様子を見てまわりました。 ほんとうに生々しい爪あとがそのままです。

塩屋崎灯台の下でもイベントがあったらしく、近くのお店の社長さんたちとばったり。「ガレキ撤去のためなどの通行止めが続き、原発事故の影響もあり、まったくめどが立たない。どうしたらいいんだ」と切実な訴え。

ちょうど渡辺ひろゆき市議もやってきました。 暮らしと営業を根底から破壊されたかたがたの、生活の土台を再建する国・県・市がいったいとなった公的支援は不可欠です。

運転席の窓を開け/職場の病院/期待/本屋さんに不破パンフ

金曜日朝は平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いの街頭が定時定点。

毎回、運転席の窓を開けて手を振ってくれるかた、ほんとうにいつもありがとうございます。

福島県議選は、11月10日告示、20日投票に決まったこともお知らせしました。

かつての職場の小名浜生協病院へ行ってごあいさつ。医師から固く握手を求められ、「いよいよ日程も決まったね。がんばってね」と。

高校同級生が営む建築事務所に寄ると、お連れ合いに招き入れられてしばしの懇談。政権交代後もまったく前に進まない国政へのいらだちと、共産党への期待を熱く語ってくれ、おおいに励まされました。

平街中の、高校時代からなじみの本屋さんに寄ると、「原発・放射能コーナー」が設けてあって、不破哲三さんの『「科学の目」で原発災害を考える』のパンフレットもひら積みされていて、ちょっと驚きました。

きょうはペロの散髪予約日。送り迎えをしました。出かける前、玄関前でなにかの幼虫に出会い、興味しんしんでした。

 

きのうときょうの定時定点/半年前のここ

きのう、きょうと朝の定時定点の街頭から訴えました。

きのうの水曜日は、震災後に再開した最初の日でした。平日の毎日実施し始めた活動ですが、朝は唯一、JR常磐線の北側で、出勤時間に重なることもあり、わが家から30分弱の時間がかかるので、7時20分前には出発。

私が住む住宅街の北隣りの地域党支部のかたがローテーションで宣伝カーの運転に来てくれるので、ほんとうに助かります。

高齢者を近くのデイサービスに送っていくかたが車を止めて励ましのことば。ほんとうにありがたいです。

きょうは、私が住む住宅街の南隣りの大規模住宅街のみなさんが車出勤で降りてくる場所。

話し終えたら、「ずっと話を聞かせてもらいました。いい話でしたよ。ぜひがんばってもらいたい」と。この場所は、車で出勤されるみなさんに訴える、という構えで話しており、場所的にも、朝のこの時間に歩いている人はめったにいないので、びっくりでした。

近くの運送会社の営業所によると、「原発立地地域を担当していた従業員はいまだに自宅待機をしてもらうしかない。仕事がないのでほかにまわってもらえない。経営存続の危機は原発事故以来、まったく変わらない」と訴えられました。

街宣の様子を撮る間もなく、震災前の寒い時期の写真です。半年前ですが、そんな時間がたったとはまったく思えません。

原発・放射能データ

『原発・放射能図解データ』(野口邦和監修・プロジェクトF文、大月書店)を読みました。

プロジェクトFというのは、この本を出版するために結成された女性4人の環境問題ライターの集団です。

原発と核エネルギー、原発とコスト、原発と地震、世界と日本の原発、核のゴミ、放射能と半減期、放射線と人体、自然放射線、電力と自然エネルギー、原発と人間社会の10のテーマで、120の図やデータが簡潔な文章とともに紹介されています。

学習会の資料に、授業の教材に、そのまま使える最新データです。

「まえがき」も「あとがき」もなく、「私たち一人ひとりが、複雑で深刻な問題群と正面から向き合い、そのことを通じて将来のエネルギーのありようを決めていく。事実を見つめ、考え、話し合い、選択していくしかない」。その手がかりにしてほしいと収集したデータです。

 

日本の領土紛争

『これならわかる 日本の領土紛争』(松竹伸幸著、大月書店)を読みました。

韓国との「竹島」、中国との「東シナ海ガス田」と「尖閣諸島」、ロシアとの「北方領土」を取り上げています。

なにが「わかる」かといって、領土紛争がなぜ解決しないのか、関係国で意見が食い違うのはなぜか、その難しさが「わかる」というわけです。「国際法と現実政治から学ぶ」のサブタイトルは、その主旨です。

たしかに領土問題をめぐっては、ある国際法を持ち出せば自国の領土だ、といえても、別の国際法から見れば相手国の領土だ、ともいえそうだったり、同じ国際法でもいろいろな解釈が可能だったり、けっきょくは国際法ではなく政治力の問題だったり…

とはいえ著者は、本書で展開している作業抜きには領土問題の解決に向かうことはない、の確信に基づいて執筆しています。

小名浜の定時定点/平北部のみなさんと/心温まる街宣

火曜日朝は小名浜での定時定点。地域の後援会ご夫妻と、医療生協後援会からこの場によってくれて「旗持ち」してもらい、いつもいつもほんとうに感謝です。

話し終えて帰ろうとしたら、散歩していたかたがにこやかに手を振って送り出してくれました。朝からほんとうに感謝のスタートです。

きょうは党の平北部支部のみなさんと行動。支部のみなさんは、放射線簡易測定器と「原発いらない」署名を持ち、ご近所を訪問しながら対話。

うち1人は私の宣伝カーを運転してくれ、辻つじの5か所の街頭から訴えました。

たまたま、自民党から県議選に新たに立候補予定のお宅のご近所では、「今度こそ、ぜったいに頼みますよ。熱中症にならないようにね」と、いっしょに行動していた人数分の冷たいお茶の差し入れをいただきました。

またすぐ近所でも、「お騒がせしました」とごあいさつに行くと、「お騒がせなんてとんでもない、庭で話は聞かせてもらいました。ぜひがんばって」と。

ある公園近くでは、話し始めると、少なくとも5~6軒の家から出てきてくれる姿。びっくりです。なかには、かつて消防団の幹部をされていたかたも。

また別の場所でも、アパートから小さい子を連れて出てきてくれた若いお母さん。最後まで聞いてくれ、手を振ってくれました。終えてから走って行ったのですが、どの部屋かはわからず、話ができず残念!

暖かいふれあいというか出会いというか、ともかく心温まる街宣行動でした。

 

 

定時定点2か所/社長さん/「共産党が変えて」

月曜日朝は高橋あき子市議がわが家まで宣伝カーの運転に来てくれ、2か所での定時定点。

自宅近くでは、犬の散歩でこの時間、この場所を通るかたが、いつも激励の声をかけてくれます。ありがとうございます。赤信号で止まっていたドライバーが、青信号になると手を振ってくれる姿も。

もう1か所では、いつも手を振っていってくれるドライバーが少なくないのですが、先週、ハッと気づいたのが、高校同期会でいつも会う社長さん。やっぱりそうじゃないですか、きょうも手を振っていってくれました。

神谷(かべや)の党支部のみなさんと、片寄(かたよせ)という地域を、「原発いらない」署名などで訪問して歩きました。

宣伝カーで行ったので、街頭からも訴えました。話し終えると、すぐ隣りの家から「ぜひがんばってよ。原発なんかは、私も最初から危ないと思っていたんだ、誰も言わなかったが、言えなかったんだと思う。こういういい加減な政治を共産党が変えてほしい」と。

こうした声が間違いなく、広がっていることを感じます。

まぁ、偶然ですが、このお宅のすぐ隣りが私の高校時代のブラバン部活の後輩宅です。

その後たずねたお宅も、大震災後は初めてなのですが、それまではたびたびたずねていたこともあり、熱烈な激励にはほんとうに励まされました。

 

野田内閣の異常/「政権選択」仕掛けの崩壊

野田佳彦首相の行動は異様です。

2年前、自公政権は審判によって退場させられ、民主党は自公政治を変えることを使命に政権についたのでした。

野田首相の行動は、組閣前に自公両党と党首会談をし、民主党が国民に約束した政策を廃止・見直す「3党合意」を遵守し、消費税増税の協議実行などを約束したことでした。

もうひとつ、組閣前におまいりしたのが財界。

自公と一体化し、財界直結の野田内閣の姿勢は異常です。

財界による仕掛けと、大手マスメディアにより、「二大政党」「政権選択」の名のもと、民主、自民は中身のない「偽りの対立」を演出してきた2年間ですが、その仕掛けも崩壊です。

小集会/「いい景色が見られるのに」/炊事場から孫の部屋から

突然、大雨になったかと思うと、すぐに晴れ間が出て暑い日差しになったり、そんなことが繰り返すはなはだ不安定な天候でした。

私が住む地元の住宅街で、震災後、2度目の小集会がありました。高橋あき子市議と、「放射能・原発と市民のくらし」をテーマにお話しました。

「共産党が原発問題で指摘し続けていたことを無視した政治の責任は大きい」、「子どもたちの学校生活について、保護者の自己責任にするようなことがないようにしてほしい」、「地域の除汚活動について、その回収まで行政が責任をもってほしい」などなど、どこでもほんとうに、原発・放射線問題では話題がつきません。

この集まりを前後して、「しんぶん赤旗」日曜版を配達している党員の案内で、読者宅を訪問し、放射線量を測ったり、震災後の話を聞いて歩きました。

すぐ裏が山で、庭の向こうにも山が見えるお宅では、庭先の放射線量が0.33μ㏜毎時。毎日報道される県合同庁舎前の値が0.17程度なので、「やっぱり高い」と不安いっぱいです。「茶の間からこんないい景色が見られる場所に家を建ててよかった、と思っていたのに、原発事故で避難はする、心配なくらしを強いられる、ほんとうにとんでもないことになった」と。

夕刻にたずねた2世帯住まいのお宅では、門から入った庭先、庭木の下、芝の上、子どもと孫が出入りする玄関、炊事場、風呂場、孫が寝るベッドの部屋、茶の間などを案内され、測って歩きました。家の中は0.11~0.13、庭も0.16~0.22で、「測ってもらってひとまず安心した」と。

こうして歩けば歩くほど、事故対応の国家としての無策には腹立たしい思いです。

 

大雨警報/大震災後の街宣と対話/消防団へ義援金

金曜朝は平神谷(かべや)の国道6号線沿いでの定時定点。大雨警報発令中ですが、そんな様子でもなく、決行。話している間、2~3分、雨に降られましたが、なんということもありませんでした。

きのうの報道にあったように、県議選投票日が11月20日となれば、もう3か月もありません。

選挙ともなれば、有権者との関係でどれだけの活動をしてきたかを把握してこれからの活動に活かすのが私たち政党組織の常識です。が、大震災後、私個人もなかなかそういうわけにはいきませんでした。

そこで、私もせっかくこうして日々の活動を全世界に公表している以上、振り返ってみました。

街頭からの訴えは3月はさすがにする機会をつくりませんでしたが、4月から8月末までは、5か月で153回でした。直接訴えたり話をかわした人数は延べで4000人強。去年の4月からだと2万人を超えます。

ともかく、選挙は結果ですから、みなさんのあたりまえの声を活かす政治・行政を実現するために、これからまたがんばります。お力をお貸しください。

きょうは地区党として、党中央委員会からの義援金をいわき市消防団に届けました。

団長と3人の副団長、いわき市消防本部の幹部職員が応対してくれ、震災後の消防団の活動や市内の被害状況、原発事故収束を含めた今後のまちづくりや海岸地域の防災について、率直な意見交換をすることができました。

取材に来た記者が私の高校ブラバンの後輩で、今年も母校は東北代表の3校の中に入り、つい、得意になって党のみなさんに紹介しました。