迅速な介護を妨げる介護保険/サービス抑制改定

いわき市には、警戒区域内から避難してきているかたが多くいます。

原発事故前は、浪江町で元気に一人暮らしをされていたAさん。いわき市内に住む娘さんの家に避難してから閉じこもりがちになり、認知症の症状も出始めました。

娘さんから相談を受けた居宅介護支援事業所のケアマネジャーがさっそくたずね、介護認定の代行申請をしました。

申請先は浪江町長で、申請書も市町村でそれぞれですが、ともかくいわき市長宛ての用紙を町長宛てに書き換え、二本松市の浪江町の役場に送らなければなりません。

浪江町では、町民の避難先の市町村に、介護認定のための訪問調査と一時判定の手続きを委託しているようです。いわき市では市職員が訪問調査をし、いわき市の介護認定審査会で一次認定をします。

認定結果は、いわき市から二本松市の浪江町へ送られます。そして浪江町役場からいわき市内の本人に通知され、代行した事業者が結果を知るのはそれからです。

文章でこう書くと、簡単に見えますが、実際には、「訪問調査になかなか来てくれない」、「浪江町としてはいわき市に委託している」、「あす行きます」、「認定結果は浪江に送ったのでいわきではわからない」などなどのやりとりが何度もあったようです。

これが楢葉町からのかただと、会津三里町の楢葉町役場と本人の間に楢葉町いわき出張所が入ります。

避難を指示された要介護者は介護サービスをもっとも迅速に必要とすることは自明です。介護保険制度がこの当たり前のことを妨げています。

「要介護」でなく「要支援」の認定であれば、代行した事業所から今度は包括支援センターにまわさなければなりません。

ケアプランやサービス提供は民間まかせ、サービス提供から撤退した市町村は人減らしを進めたうえに保険者としての責任を推しつけられ、いちばん困るのは要介護者、という構図がこの震災で浮かび上がっています。

そんなときに、参院厚生労働委員会では14日、軽度認定者のサービスを市町村判断で安上がりサービスに置き換えることなどで、介護サービスのいっそうの抑制を可能にする介護保険改定案を、民主、自民、公明、みんなの賛成多数で通してしまいました。

写真はわが家の庭の様子。

きょうも雨で断念/「原発・正力・CIA」/党支部勉強会

夕べから午前中までの雨で、きょうも朝の定時定点と午前中、予定していた街宣は断念。

『原発・正力・CIA』(有馬哲夫著、新潮新書)を読みました。3年前の発刊で、たぶん、昨年買って、途中のままでした。最初からまた読みました。著者は、「日本の電力消費量が下がることはまずないのだから、これからも正力の導入した原発に対する依存は強まると見るべき」と書いている早稲田大学教授です。

先日、たまたま出会った県議は、元自民党で、現民主党ですが、ほぼ同じことを言っていました。この著者は原発事故後、考えは変わったのか変わらないのか、興味があるところです。

本書は原発の是非を語るものではありません。「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書は従来の説を覆す多くの事実が記されていて、こうした事実を中心に、日本の原子力発電導入にまつわる連鎖を詳細にたどることによって、戦後史の知られざる一面を照らし出すことを目的にしています。

午後は居住党支部会議に参加し、原発と放射能問題の勉強会をしました。

ある町内会では、町内各地の環境放射線測定結果を全戸配布したそうです。ほかの町内でこうしたことはないようなので、やはり行政の責任として実施させなければなりません。その数値の意味が住民にわかるように説明もちゃんとすべきです。

東電は30km圏内の補償しかしないので、私たちが言ってもムダみたい、と学校の先生が言っていた、の話も出されました。

これまた困ったものです。原発事故被害に「線引き」などありえないので、原発事故によって「自主避難」したり、避難した家族のもとに行くための費用はすべて補償対象です。自給自足の家庭菜園の野菜を廃棄せざるを得なかったことも補償対象にすべきです。「全面補償・賠償」とはそういうことです。あたりまえのことだと私は思うのですが、けっきょくこれも、世論と運動で実現させなければなりません。

みなさん、ひとごとにしないでください。

「原発をなくそう市民集会」/5か所で案内

朝と午前中に予定していた街宣は、雨模様により断念。

四半世紀以上も前の安斎育郎さんの『からだのなかの放射能』(合同出版)を読みました。

昼前からは雨もやみ、あさって、15日に予定している「原発をなくそう いわき市民集会」の案内を兼ね、平市街地5か所の街頭から訴えました。

あるスーパー前では話し始めると宣伝カーの近くによって聞いてくれるかたがた。そのおひとりは、話し終えると私に走りより、「2人の親族が津波で行方不明のまま。原発事故のためにさがすこともできない。原発は日本からなくしてほしい」と、詰め寄られるような訴えでした。

また別の場所に出てきて聞いてくれていたかたは、「いわき市民だが、職場は広野町だった。まもなく定年というこの時期に、その会社は閉めざるを得なくなった。住所がいわきなのでなんの補償もない。原発事故さえなければこんなことにならなかった」と、見通しが立てられないこれからの生活の不安を訴えられました。

そのかたもおっしゃっていましたが、原発事故による被害・損害は、原発に関係なく、原発立地地域の会社で働いていた人たちにはかなりのもんだ、と。

すべて東電が補償すべき筋合いですが、行政としてもその実態を把握すべきですし、私たちとしても、その把握に努めなければなりません。原発事故は、なんということを住民に強いたのか、東電経営者は自覚すべきです。

「市民の暮らしと放射能・原発」学習会/放射能汚染マップ/カニ

私が住む住宅地の隣りの住宅地の党支部が主催した「市民の暮らしと放射能・原発」をテーマにした「市政報告と懇談会」がありました。この地域の恒例といっていい集まりです。高橋あき子市議と参加しました。

最初に私から、45分ばかり話をさせていただきました。原発推進から撤退へ、と言った話を少しして、大半は放射能と人体影響について考えるための材料の提供です。

先日、県のいわき地方災害対策本部に張り出されている放射線測定値のグラフもデジカメに撮ったので、その説明も加えました。これは毎日1時間ごとに測定している県合同庁舎での地上1mでの測定値ですが、ひとつの参考資料です。

3月14日深夜までは0.09~0.1マイクロシーベルト(μ㏜)の間でしたが、15日0時には0.57μ㏜になり、未明4時にはピークの23.72μ㏜。午前11時過ぎには1μ㏜台に下がり、翌16日深夜にまた上がり、未明3時50分に5.72μ㏜になってからは、その日の午前中はまた1台になったかと思ったら、昼前の11時に8.35μ㏜になり、午後3時ぐらいからはまた1μ㏜台。

3月19日の朝8時ぐらいからは1μ㏜を下回りましたが、朝から雨だった21日には午前9時に2μ㏜を超え、11時にはピークの6μ㏜。以後も何日か雨の日がありましたが、数値は上がることなく漸減して現在にいたり、今は0.2μ㏜前半の値が続いています。

3月21日の雨で大気中を漂う放射性物質の大半が地上に落ちたことと、半減期8日の放射性ヨウ素の影響がほぼなくなり、半減期30年の放射性セシウムの影響が残っていると推測されます。

こうしたデータを、市内全域で、きめ細かく測定して市民に示してもらう必要があります。同時に、数値だけでなく、身体への影響など、その数値がなにを意味しているかがすべての市民にわかるように説明してほしいと思います。

「いわき市内のすべての学校などに放射線測定器があるんだから、これを活用し、市内の放射能汚染マップを行政の責任で作成し、市民に知らせるべきだ」、「ラジオやテレビや新聞を通じてしかわからないんではなく、集会所単位ぐらいで数値を張り出して住民に知らせるべきだ」という要望が出されました。当然のことだと思います。

取材に来ていた「しんぶん赤旗」記者を宮川えみ子さんの事務所に送る途中、津波の直撃を受けた小浜(おばま)漁港に寄りました。いまやほんとうに平穏で、カニさんも漁港内を闊歩しています。

事務所にはきのうに引き続き、神戸からのボランティアのみなさんが勿来地域で被災者支援活動をしてくれています。

兵庫からのボランティア/街宣8か所/噴き出した温泉

党の兵庫県委員会の呼びかけで、きのうから21人のボランティアのみなさんがいわき市内で活動してくれています。

きょうも草野地域と泉地域でそれぞれ地震被害を受けたお宅の救援活動。私も駆けつけて見送りです。

私は午前・午後と小名浜地域で街宣行動。8か所から訴えました。

午前中は街中のスーパーや団地前。地域党支部の支部長さんが宣伝カーを運転してくれました。話し始めたら、宣伝カー前に寄ってきて聞いてくれる人、話し終えたら隣の公園で聞いていた中学生2人が拍手してくれたり。

昼前に、4月13日に温泉が噴出したという現場にも寄りました。ここ数日、テレビ各局で全国放映もされていました。間近に見ると、やっぱりちょっとびっくりです。

午後は、医療生協党支部のみなさんと。買い物帰りの医療生協組合員さんが「暑いなか、ご苦労さんね」と声をかけてくれました。

たしかに、午前中は時折雨がちらついたのですが、午後は強い日差しで半そでシャツなのでした。

取材で同行していた「赤旗」記者が、「手を振って行ってくれる人が多いですねぇ」と印象をもつぐらい、多くの声援をいただき、ほんとうにありがたいです。

「かけはし」6月号

「かけはし」6月号をご近所240軒ほどに配りました。

ペロといっしょで、ちょうど近所の小学校の下校時で、小学生たちにかわいがられ、満足な様子。

今回の「かけはし」のテーマは「福島原発は廃炉 原発はゼロに」。以下、その文章です。

原発には「止める」「冷やす」「閉じ込める」のシステムがある、放射能を閉じ込める「五重の壁」(ペレット・被覆菅・原子炉圧力容器・原子炉格納容器・原子炉建屋)がある、だから何があっても大丈夫、という「安全神話」は完全に崩壊しました。

原発事故で明らかになったことは、いまの原発技術は本質的に未完成で危険だ、ということです。

原発の運転を止めても、ウランから生まれた核分裂生成物は膨大な熱を出し続けます。だから絶えず冷やし続けなければなりません。そのための水が止まってしまい、核燃料の暴走が始まりました。

水が止まったのは、地震と津波の影響で電源がすべて失われたからです。発電所の中で電気が断たれたのです。

あらゆる場合を考えて、水が止まらないようにする技術の段階にはない、ということです。

さらに、核エネルギーを取り出す過程で生み出される大量の核分裂の生成物質を、原子炉内部に完全に閉じ込める技術の段階にないこともわかりました。

「冷やす」「閉じ込める」「五重の扉」は飛んで消えました。そして核分裂生成物質が飛散したわけです。

そのうえ、原発が生み出す使用済み核燃料を後始末するシステムも人間は開発できないでいます。

しかも今回、原発だけでなく、使用済み核燃料が核事故の発火点のひとつとなりました。

こうして、原発技術が未完成で危険であることが誰の目にもはっきりしたと思います。

今、政府が取るべき道は、福島原発の廃炉はもちろん、原発からの撤退を政治的に決断し、原発をゼロにする期限を決めたプログラムを作成することです。

そして、原発ゼロにいたる期間に、原発事故の危険を最小限のものとするために、原発推進の経済産業省から完全に独立し、強力な権限と体制をもった規制機関を緊急に確立することです。

そのための、国民的な討論と合意を広げなければならないと思います。

「初めて来てくれた」/入院再開見通しなし/労災病院労組

先日、医師の友人から、「地震・津波で住めなくなった家の患者さんから実情を聞いた。80代のご夫妻だが相談にのってほしい」とのこと。きょうたずねました。

罹災証明のことで市の職員との間で、被害原因の口頭の話で行き違いがあったらしく、けっきょく、全壊の罹災証明を受けていました。

それはともかく、この件で来てくれた人は初めてだ、とのことで、3月11日の当日のこと、4月11日の余震でさらに被害が大きくなったこと、原発事故後に九州へ避難した友人から聞いた話、住んでいる地域から離れたくない思い、津波が床上まで来たけども何とか無事なこの家を提供してもらったことなど、小一時間の懇談でした。

時折、涙をにじませながら、「戦争の時分は若かったけども、この年になって…」と語る姿に、今回の震災の大きさと、「ドラマ」と言っては失礼ですが(ご本人がそう言うのですが)すさまじさを感じます。

その後、今月から外来を再開した、津波に直撃された病院をたずねました。「入院は、原発事故の放射能が、これからの季節の風向きを考えると再開の見通しが立たない。職員にはやむなく別の職場をさがしてもらうほかになかった」と。

原発から40km以上はなれている病院をこういう事態に追い込む原発事故です。住民の命と健康を守る機関すら原発はなくしてしまうのです。

夕刻には福島労災病院労働組合の定期大会があり、ごあいさつをさせていただきました。原発技術が未完成で危険であることが如実に示された今回の事故、原発はゼロにする期限を定めた計画を国の責任で決めるべきこと、原発に頼らないエネルギー政策への転換、なによりもまちづくりを医療・福祉と防災を柱に進めるべきことが、今回の大震災の教訓だと思う、と話しました。

大きくうなずいてくれるみなさんに勇気づけられました。

原発事故報道/福島から怒りの告発

 

『これでいいのか 福島原発事故報道』(丸山重威編著、あけび書房)を読みました。

丸山氏が指摘していますが、「『日本のメディアは政府、東電に支配されているのではないか』という指摘を覆す材料が紹介されないのは、非常に残念なこと」「ジャーナリズムは…権威に対抗して問題を掘り起こし、告発し、読者や視聴者に警鐘を鳴らす役割を持つものである。その原点が、いまもなお問われている」という点につきると思います。

いまテレビで流されている「公共広告機構」(AC)の「がんばろう日本」の仕掛け人や「原子力安全キャンペーン」の系譜(三枝和仁氏)も興味深いです。

塩谷喜雄氏は「2006年に共産党の吉井英勝議員が国会で、福島第一原発も含めて、津波の引き波によって原発の機器冷却が停止し、炉心溶融の可能性のあることを指摘していたことも、新聞やテレビはろくに伝えていない。事故後に、ネット上ではほぼ常識になっていることが、新聞テレビではなかったこととして処理されている」ことなど、報道と広報が限りなく「原子力ムラ」と同化してきた実態を告発しています。

本書の冒頭は、報道からは無視されてきたと言っていい住民運動から、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員で原発の安全性を求める福島県連絡会副代表でもある、浜通り医療生協理事長の伊東達也さんが、福島から怒りの告発をしています。

小名浜定時定点/大連立/大ウソ

火曜日朝は小名浜での定時定点です。

きょうも「大連立」騒ぎを怒りをもって批判しました。

だいたい、震災の救援では、与野党震災対策合同会議が二十数回にわたって開かれ、現実に、立場の違いを超えて協力しあっているのです。あたりまえのことであって、「大連立」でなくても各党の協力はできます。

3日前、高橋衆院議員がいわき市副市長との懇談の際に、「震災対策では超党派で協力しあっている姿がマスコミで報じられず、内閣不信任案や政局だけの報道は困ります」とはっきり言っていました。

そもそも、原発推進にまったく反省がなく、あいかわらずの原発推進の姿勢を改めないどころか、社会保障と税の一体改革で消費税増税の方向を決めてしまおうというなかでの「大連立」騒ぎです。民主党と自民党は同じ方向ですから。「震災対策のための大連立」など、大ウソというほかないと思います。

自公政権を批判して政権についた民主党、民主党内閣に不信任を突きつけた自公、これらが大連立を語り合うこと自体、およそ信じがたいのですが、小選挙区制によってパフォーマンスだけうまければ議員になってしまう弊害の極致のように私には思えます。

きょうはそういうことを話しました。

不信任否決で大連立?/政党の仕事/東電補償相談室

月曜朝は2か所での定時定点。高橋あき子市議がわが家まで宣伝カーの運転に来てくれ、それぞれの場所に地元の後援会員が出てきてくれます。

出勤するみなさんからのクラクションでの声援、手を振っての声援に、いつもいつも励まされます。ありがとうございます。

内閣不信任否決直後の大連立話など、根っこが同じ「二大政党」のなせるわざで、被災者の暮らしや国民の暮らしなどどうでもよく、自分たちの保身をはかる場が国会になっているのではないですか?

共産党は、震災問題、原発問題で被災者の要求実現を最優先に菅内閣と論戦をしているわけですが、それこそが政党の仕事なのではないですか?

被災者の生活再建、原発の賠償、2次補正など、被災者・国民のためにすべきことは一致してすればいいのであって、不信任が否決されたから大連立だとか、わけのわからないことをしている場合ではありません。

そういうことを話しました。

きょうも自宅に「原発は福島県にいりません!」署名が郵送で届きました。「一言」欄には「多言」と書き直し、「住宅を売りたくても放射能で土地の価値下落」「外で遊ばせられない子どもたちを2週間に1回、県外へ連れて行く」「原発事故から2週間、県外2か所を避難してまわった」、そのすべての費用を補償してほしい、という、2人の子どもをもつ4人の家族の訴えです。

まったくもって当然のことです。とりあえず、東京電力が、「補償相談室」(電話0120-926-404、受付9時~21時)を設け、避難指示がなかった地域のかたの避難費用、避難以外の損害について「被害概況」を知らせてほしい、としていることをお知らせしています。

隣組の班長さん、地元の自治会長さんたちにもお知らせして歩きました。「行政が全市民に知らせてほしいし、放射線測量も各地域で実施して知らせてほしい」と、会長さんたちも悩んでいます。

こうして東電に被害の全貌を知らしめると同時に、被害の全面補償が当然であることを、大きな世論にしないとならないと思います。