先日、医師の友人から、「地震・津波で住めなくなった家の患者さんから実情を聞いた。80代のご夫妻だが相談にのってほしい」とのこと。きょうたずねました。
罹災証明のことで市の職員との間で、被害原因の口頭の話で行き違いがあったらしく、けっきょく、全壊の罹災証明を受けていました。
それはともかく、この件で来てくれた人は初めてだ、とのことで、3月11日の当日のこと、4月11日の余震でさらに被害が大きくなったこと、原発事故後に九州へ避難した友人から聞いた話、住んでいる地域から離れたくない思い、津波が床上まで来たけども何とか無事なこの家を提供してもらったことなど、小一時間の懇談でした。
時折、涙をにじませながら、「戦争の時分は若かったけども、この年になって…」と語る姿に、今回の震災の大きさと、「ドラマ」と言っては失礼ですが(ご本人がそう言うのですが)すさまじさを感じます。
その後、今月から外来を再開した、津波に直撃された病院をたずねました。「入院は、原発事故の放射能が、これからの季節の風向きを考えると再開の見通しが立たない。職員にはやむなく別の職場をさがしてもらうほかになかった」と。
原発から40km以上はなれている病院をこういう事態に追い込む原発事故です。住民の命と健康を守る機関すら原発はなくしてしまうのです。
夕刻には福島労災病院労働組合の定期大会があり、ごあいさつをさせていただきました。原発技術が未完成で危険であることが如実に示された今回の事故、原発はゼロにする期限を定めた計画を国の責任で決めるべきこと、原発に頼らないエネルギー政策への転換、なによりもまちづくりを医療・福祉と防災を柱に進めるべきことが、今回の大震災の教訓だと思う、と話しました。
大きくうなずいてくれるみなさんに勇気づけられました。