「かけはし」/憲法街宣/永年党員/同志の実家

8時過ぎ、涼しいうちにと思って、通信「かけはし」をご近所240軒ほどに配布しました。

雲に隠れていた太陽が途中から照りだし、まっ、けっきょく汗だくで全部着替えです。

月の第3土曜日は日本国憲法を守るいわき市共同センターの市内いっせい宣伝日。小名浜では、医療生協九条の会の生協職員といっしょにいつものスーパー前で実施しました。

駐車場で聞いてくれる人、自転車や車から手を振ってくれる人、クラクションで声援してくれる人、ありがとうございます。

午後は党地区委員会主催で「党創立88周年、50年・永年党員の顕彰のつどい」がありました。共産党に入って50年、30年の人たちが語ってくれた話に、参加されたみなさん全員が、心打たれたと思います。

私は閉会のあいさつ。生きた学習会になったことに感謝しました。

終えてからその会場のすぐ近くの中学・高校でのブラスバンド同志の実家に寄りました。その同志は県外で医科大学の准教授をしていますが、お母さんとも中学時代からなので、話がつきませんでした。お父さんの介護でお寄りしてもなかなかお会いできなかったこともありました。

「中間とりまとめ」の経過/訪問と街宣

きのう、福島県エネルギー政策検討会の02年当時の「中間とりまとめ」についての経過に触れましたが、不正確でした。

02年1月の第11回検討会で日本のエネルギー政策についての論点や検討課題が検討され、同年7月の第18回検討会では、その論点などやその後の検討、そして予定されている原子力委員会との意見交換を踏まえて中間とりまとめをまとめる、と確認されました。

同年8月5日の第20回検討会が原子力委員会との意見交換で、その場で示された県による「エネルギー政策における疑問点」に対する回答の検討と対応を8月26日の第21回検討会で議論、その直後に不正問題が発覚し、それを議題にしたのが9月6日の第22回、そして9月19日の第23回で「中間とりまとめ」が確認されました。

きょうは朝の定時定点の街宣後、神谷(かべや)地域の後援会員とお知り合いを訪問し、夕刻は下荒川地域の後援会員2人といっしょに平地域の5か所で街宣。

訪問先でのお客さんも含めたなごやかな懇談ができたり、街宣ではご近所のかたから「老人が安心できるようにね」と声をかけられたり、子連れのお父さんから「がんばってくださいね、応援します」と声をかけられたり。

車で帰宅されるみなさんからクラクションで声援されたりと、元気になる一日でした。

プルサーマル市長要請

いわき市長に対して、「いわき市原発の安全性を求める会」として、「プルサーマルの受け入れを表明した福島県知事に対し、『十二分の説明』を求めるとともに、実施中止を求める要請」をしました。

6月市議会の市長答弁で、「プルサーマルのことついては…県がオーケーと言った時点で、十二分に県には説明にはオーケーにした説明責任はある…(そ)の説明については、県に求めてまいりたい」といった言明を受けての要請でした。

応対してくれたのは、危機管理監を兼務する行政経営部長。

会の代表としての私からは、県が2001年5月に県エネルギー政策検討会を設置し、02年7月には「中間とりまとめ」をし、8月には原子力委員会とその「中間とりまとめ」に基づいて意見交換し、その直後に原発での自主点検作業における不正問題の公表があり、その検討を受けて02年9月に最終的な「中間とりまとめ」がまとめられ、そのうえで県が98年11月に事前了解したプルサーマル導入を白紙撤回した経過があり、その到達が市町村に県から知らされているのであり、説明抜きに政策転換をすることは、原発を近くにかかえるいわき市民としても納得しようがなく、市が市民の立場で要請に応えてほしい、と話しました。

マスコミのみなさんも注目して取材をしてくれましたが、県の「中間とりまとめ」について市側は目にしたことがないかのような様子でした。

ともかく市長は、県が「中間とりまとめ」をした当時、県議会議員をつとめており、その経過を十分に承知している立場なので、要請に応えていただくことを強く訴えました。

土津神社/討議と報告/そば/原発の安全

学習交流合宿2日目。

朝6時過ぎに起きだし、近くを散歩しました。土津(はにつ)神社といって、会津藩祖・保科正之を祀(まつ)った神社を散策。1675(延宝3)年に創建され、戊辰戦争で消失し、1880(明治13)年に再建された神社だそうです。

地元生まれの野口英世(1876~1928)も尋常高等小学校時代から参拝していたらしく、1915(大正4)年に帰郷した際に参拝した写真もあります。

高さが7.3mで重さが30tあるという、神社の碑石としては日本最大だそうです。保科正之の履歴を刻んだ石碑です。

そういったことはともかく、学習合宿では、きのうの講義や意見交換をうけ、県委員会の提起も受けて、各地域ごとに分かれて討議しました。

それこそいろんな意見がその後の各地域からの報告でも出されましたが、そこは共産党、政治を国民本位に変えていくために、住民の苦難に寄り添うその方向は一致です。

昼前に終了後、地元の自家栽培・自家製粉・100%そば粉のこしの強い食べ応えのあるそばをいわき・双葉地区委員会の参加者と食べ、帰宅。

夕刻には、いわき市原発の安全性を求める会としての打ち合わせ。

学習交流合宿/原点・存在意義

党県委員会が主催した学習交流合宿がありました。

会場は磐梯山のふもとにある猪苗代町の施設の研修室。

党県書記長が「参議院選挙結果と党創立記念講演」と題した話と、委員長からは「日本政治の転換期、党常任・専従者の活動について」をテーマとして講義があり、それぞれ質疑・意見交換をしました。

委員長の話は、戦後の党再建後から現在に至るまでの大会や中央委員会で決定され、おおやけにされている文書を跡づけたもので、改めて共産党の原点やその存在意義を確認できるものでした。

こうした機会を持つことは、組織として当たり前ですが、大事だと思います。

宿泊は会場近くにある民宿街。夕食後の交流もきわめて重要。

日本固有の祖霊祭/定数削減の欺瞞

仏教が日本に伝来する前から、日本には、お盆の時期も、正月とともに、祖先の霊を迎えて、生活の繁栄を祈り祝う習俗があったそうです(岩井宏實著『正月はなぜめでたいか』1985年刊)。

たまたまお盆の時期のほうは、仏教のならわしが日本固有の祖霊祭と結びつき、仏教的色彩が強い行事になりましたが、「盆はやはり正月とならぶ二大年中行事の折り目として祖先をしのぶときとして、日本人の心の故郷として、宗教とはかかわりなく何らかのかたちでうけ継ぎたいもの」です。

それはともかく、きょうの「しんぶん赤旗」テレビ・ラジオ欄には、東大名誉教授でNHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表の醍醐聰(だいご・さとし)さんが国会議員定数削減についてのメディアの役割を書いています。

「衆議院調査局がまとめた資料によれば、人口100万人当たりの国会議員数はアメリカ1.8人、イギリス22.8人、フランス15.0人、ドイツ8.4人に対し、日本は5.7人で先進国では2番目に少ない。アメリカの議員定数が極端に少ないのは同国が連邦議会に準じる立法・行政・司法の各権を持つ50の州からなる連邦国家で、各州に多数の地方議員がいるためである」

「多くのメディアも定数削減=『国会議員の身を削る努力』という欺瞞(ぎまん)的な議論の構図に追随し、定数削減が憲法前文で謳(うた)われた代議制に対する重大な脅威を意味するという警鐘を鳴らす務めを果たしていない」ときびしく指摘しています。

6日付の紙面では、元日本テレビプロデューサーの仲築間(なかつくま)卓蔵さんが語っていました。

「比例定数削減が実行されたら、日本の政治と国民にどのような影響をもたらすのか。いろんな材料を掘り起こして、読者、視聴者に示すべきです」「『無駄削減』というのなら、年間320億円もの政党助成金こそ廃止すべきでしょう」。

あしたからは一泊で合宿学習会に参加します。

敗戦から65年/日本の憲法/戦争の火種のない世界へ

今年は、お隣の韓国を国として抹殺し、植民地支配を強行した「韓国併合」から100年、日米安保条約改定から50年、そしてきょうは日本の敗戦から65年目の日です。

高橋あき子市議と、日本が平和を世界に発信できる国づくりのため、みなさんと力を尽くしたいことを、平市街地の6か所から歌えました。

この8月15日にいつも思うのは、日本共産党の歴史です。

日本共産党は88年前、1922(大正11)年7月15日に生まれました。主権在民、侵略戦争反対の主張が犯罪であり、逮捕・投獄され、命まで奪われた時代です。

いま日本は、主権在民が当たり前であり、国家として戦争を放棄し、戦争の手段となる戦力を持たないことを世界に約束した憲法を持っています。

この憲法が日本社会のすみずみに根づき、核兵器のない世界、戦争の火種のない世界のために、積極的な働きかけが政府レベルでもできる国にこの国をしたいと心から思います。

介護現場/じゃんがら/政策と現場の矛盾

きょうは新盆を迎える医療生協職員宅を中心に妻といっしょにたずねました。

妻と介護職場でいっしょだったり、亡くなられた親御さんがその施設に通われていたりで、介護現場のきびしい現状や、生前の親御さんの様子が自然に語られます。

とくに、介護現場の労働が、介護保険上の介護度にかかわらず、誰に対しても同じように心から接することが必要なのに、まったく割に合わない制度になっていることには、ご家族を含めて感じ始めています。

あるお宅では、たずねた時間にちょうど「じゃんがら」踊りがありました。

このお宅では、お連れ合いが医療生協とは別の医療機関関係者。国の医療政策と医療現場との矛盾についていろいろと語ってくれました。

医療・介護の現場の声を政治がしっかりと受け止めるべきだ、との声を聞かせていただいた新盆です。

途中、昼食はいわきでは知られている「悠悠(ゆうゆう)」というラーメン屋さんでネギミソラーメン。

新盆/墓参り

新盆を迎えた親族や同級生、お世話になったかたをたずねました。

亡き人が初めて迎えるお盆に、亡き人やそのご家族の身近な人や知り合いがどうかかわるか、というのはおそらく全国でさまざまなんだろうと思います。

父の墓参りもしました。

このお盆の時期は、亡くなったかたの生前の意志や姿も話題になり、その意志を大切にしたいとおっしゃる親族の言葉を聞くにつけ、身がひきしまる思いです。

「中間とりまとめ」/「確固たる考えのもとに対処」/説明責任

福島県エネルギー政策検討会(エネ検)が02年9月にまとめた「中間とりまとめ」を基に作成された『あなたはどう考えますか? ~日本のエネルギー政策~』をあらためて読みました。

02年10月にはA4版の26㌻のパンフレット、同年12月にはA5版の130㌻の冊子として発行されました。

エネ検はもともと「エネルギー政策全般について検討する」ことを目的に2001年5月に設置されました。「国策」である「エネルギー政策」について福島県が検討を加えざるを得なくなった経緯は要するに、「国や事業者のブルドーザーが突進するような進め方」の「動きに左右されず、地域の自立的な発展を図っていくためには、電源立地県の立場で、エネルギー政策全般について検討し、確固たる考えのもとに対処していく必要がある」からでした。

エネ検は02年7月の第18回検討会では浮かび上がった疑問点を「中間とりまとめ」にまとめ、8月5日には国の原子力政策の最高意思決定機関である原子力委員会に示して意見交換しました。

東京電力と国の原子力安全・保安院から「原子力発電所における自主点検作業記録の不正問題」が公表されたのはその直後の8月29日でした。

エネ検は02年9月6日の検討会でこの問題をとりあげ、「検討会で指摘してきたことがまさに現実の問題として顕在化したもの」との認識のもと、9月19日の第23回検討会であらためて「中間とりまとめ」をしました。

苛酷事故を含めた防災対策や労働者被曝問題などにはいっさい触れていませんし、「原子力発電の健全な維持・発展を図る」ことを前提とした提言ですが、きわめて真剣な提言書であることは間違いありません。

こうした経過があって、県として98年10月に事前了解していたプルサーマル導入を、02年9月には「白紙撤回」して現在に至っていたのでした。

これだけの真剣なとりくみの末の現知事によるプルサーマル受け入れではまったくないのです。なにせ、知事自身の言葉でこの「中間とりまとめ」をくつがえす理由を、私たち県民は聞いたことがないのです。「どうせ県民はそんなことは知らない」というつもりなのでしょうか。自民党より原発推進の民主党政権に変わったから、県民の声を聞くことなく進めやすくなったとでも言うのでしょうか。事業者がらみの何か甘みがあるのでしょうか。

説明責任を知事は果たすべきです。