Jヴィレッジ/原発作業の拠点

【74式戦車】

今月15日にANN NEWS が映像で報じ、19日には防衛省が映像を公開したJヴィレッジをおとずれました。

福島第一原発から約20kmに位置し、今まさに原発での作業の拠点施設です。

全世界を震撼させ、この事態を収めるために最前線で作業する人びとについて、どのように放射線被ばく管理がされ、どんな作業条件のもとで、なによりどんな思いで作業にたずさわっているのか、全世界に知らせるべきではないでしょうか。

【Jヴイレツジ内】

福島第一原発敷地内のさまざまな場所の放射線量測定値や、作業内容などの資料が張り出されています。

若い作業員が「作業中に死んじまったら…」と、仲間に語りかける姿を見ました。

【防護マスク】

原発を運転し続けようとし、明らかな人災である原発事故を人災と認めようとせず、「安全神話」を社員や協力会社・下請けの人びとに意図的に植えつけてきた東電経営陣と、その影響を受けて「安全神話」を信じ込まされ、こうして今、事故収束のために必死に働く東電社員や協力会社関係者はまったく別です。経営陣と社員をいっしょくたにしてバッシングすることだけはやめてください。

【Jヴィレッジ前道路】

【海上自衛隊】

安眠妨げの余震/お見舞い宣伝/あの日に原発内で作業

とにかく余震にはまいります。4月11・12日の大きな余震までは、「あっ、これは震度3だ」「これは2だな」ぐらいに体も受け止めていたように思いますが、その後はちょっと自覚的にも過敏になっています。体が勝手に、という感じ。

きのうの夜中の11時47分ごろ、けさの4時29分ごろの市内の震度は2~4の地震でしたが、けっきょく安眠を妨げられました。

そんなことはともかく、きょうも先週に続き、内郷宮町地域に入り、被災のお見舞いとこれからの新たなまちづくりへ向け、激励の宣伝をして歩きました。

「ごいっしょにがんばりましょう!」と呼びかけたら、犬と散歩されていたかたから「がんばりましょう!」のエールがありました。家の中から手を振ってくれるかたも。

午後は、縁があって、3月11日に福島第二原発内で作業をしていたかたから話を聞く機会がありました。

水密性の高い原子炉建屋内にあった非常用電源はいくつか水没して使えないし、健全性を保ったといわれる熱交換器建屋のポンプ類も水没した、とのこと。

第一原発の今の事態に至る冷却水喪失は、津波による電源喪失が原因なのではなく、地震による配管破損が原因と考えるのが普通じゃないか、と。

『世界』5月号では、元原子炉製造技術者の田中三彦さんが「配管が地震時に激しく揺れて破損し、その破損個所から高温高圧の冷却材(水または水蒸気)が猛烈に噴出したのではないか…電源喪失という事態がこの冷却材喪失事故と関係し始めるのは、あくまで“噴出後”」でないか、指摘しています。

震災後、しばらくは通ることができなかった海沿いの県道豊間(とよま)四倉(よつくら)線は一部、通ることができました。

【仁井田浦キャンプ場・駐車場】

地震速報で目覚め/支援物資/水道局申入れ

けさは6時34分の携帯電話への「緊急地震速報」で目が覚めました。

6時25分からの毎日のNHKテレビ体操に間に合わなかった寝坊です。ちょっと疲れているかも。

避難所がある地域の自治会長さんから電話があり、「避難所のみなさんから要望がある支援物資はないだろうか?」と。いくつか問い合わせをし、小名浜生協病院に届けられている支援物資から提供ができる、とのことでさっそくお願いしました。

宮川県議、高橋・伊藤両市議とともにいわき市水道局をたずね、日夜の職員のみなさんの活動への敬意を表しつつ、大地震後、自主的に自宅の水道を使って給水活動をしている事例があること、あるいはまた水道管被災による漏水があることなどから、「使用水量」が著しく多くなっている世帯への料金配慮の申し入れをしました。

十分に承知されているであろうことを承知のうえでの申し入れです。

それにしてもきょうは朝から一日、比較的雨量の多い雨模様。時どき雷鳴が鳴ったり、強風が吹いたり。不気味な感じをいだいたりしますが、余震続きで地割れしたり地盤がゆるんだりしている地域もあるはずで、心配がまたつのります。

先日、足立区議と永崎被災地域を訪ねた際の様子。

原発事故と放射能/県議会/「ぜったいない」

お隣りの住宅地集会所できょうも「福島原発事故と放射能汚染」をテーマにした勉強会がありました。講師は伊東達也さん。

話のなかで、原発の安全性を求める福島県連絡会は、大津波がくるとポンプが動かせなくなることが2003年に分かったので、2004年から7年間、対策を取るよう求めてきたが、東電は聞く耳を持たなかったことにふれていました。

ある参加者が、その当時の県議会ではこの件で議論はなかったのか、議員だった者が参加しているので、話してほしい、と。

私の問題意識としては、2004年12月にスマトラ沖での大地震があり、大津波の映像を見て、日本でも当然にありうることで、05年2月議会で、大地震・大津波・原発事故が重なって、地震災害と大規模放射能災害とが増幅し合う破局的災害は何としても避けなければならない、と質問していたことを話しました。

前にも書きましたが、この「原発震災」がありうることは、1997年から石橋克彦さん(当時の神戸大学教授)が警鐘を鳴らし続けていたことです。私は、この警鐘と、市民団体が把握した事実と、前年のスマトラ大津波を受け質問したのです。

「何があっても大丈夫、と東電は言っています」。要するにそう言っているだけの県当局答弁にもあきれましたが、今回の原発事故に伴うあらゆる被害は人災です。「自然の驚異」とか「想定外」とかの言葉が出たら、まったくの責任逃れです。

この間の勉強会で出される質問は、もちろん切実ですが、「原発事故による放射能もれはぜったいない」という「安全神話」の罪はほんとうに重いです。

「風向きが季節によって変わり、今後はいわき市に放射性物質が流れてくることになるんじゃないか」

「ヨウ素131やセシウム137はよく報道されるが、ストロンチウム90が検出されたとも聞く。いったい人体にそれぞれどういう影響があるのか」

「生後6か月の孫をその母親の娘と県外に避難させている。今の放射線量状態でもどらせていいのか」

まったくもって当然の不安です。

制御しようがない放射性物質の放出、という事態は、「ぜったいない」と国と事業者が言い張り、その対策は国をあげてしてこなかったのがこの日本です。「対策が必要だ」という私たちの声は無視され続けました。

政治の責任なのではないですか? 「事故はありえないから大丈夫」とのうのうと支援者に言い続けたり、「原発推進の国策に物申すなど思い上がりだ」などと言っていた地方議員も現実にいるのです。

そういう人たちは議員として住民の立場で働けるのでしょうか? 私のおおいなる疑問です。なぜ議員に選ばれるのか、誰か教えてください。そしてなぜ「いちばんまともなことを言ってくれる」共産党候補者が選ばれない確率が高いのか、誰か教えてください。

この不思議な現象を、国民的レベルで明らかにする時期だと思います。

日本共産党/弁護士勉強会/緊急報告/江川紹子さん

午前、午後、夕刻と、集まりと勉強会がありました。

午前中は震災後初めてになりますが、「東日本大震災・原発事故 被災者支援党員集会」。

いわき・双葉地区委員会の地域内で、原発事故のために避難生活を強いられている浪江(なみえ)町の馬場町議、大熊町の石田町議、広野町の畑中町議がみずから被災しながら、避難先の町民に寄り添う支援活動、いわき市内で地域住民や避難所のみなさんにおにぎりや味噌汁の炊き出しをしたり、相談を受ける活動、渡辺市議が漁民のみなさんと生活再建のために活動している報告は、日本共産党ならでは、と心から思います。

午後は福島県弁護士会いわき支部有志の原発事故をめぐる勉強会に参加させていただきました。原発事故による補償は、法律的にもかつてない事態が寄せられています。

夕刻には、私が代表をしている「いわき市原発の安全性を求める会」と「原発の安全性を求める福島県連絡会」の共催で「東日本大震災・原発震災緊急報告会」。

県連絡会代表の早川篤雄さんのあいさつ、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さんの「復興にあたっての浜通りの課題」の提起、きょうのメインの安斎育郎・立命館大学名誉教授による「放射能 そこが知りたい」の講演、そして尽きそうになかった質疑応答がありました。

ジャーナリストの江川紹子さんが取材で来ておられ、「原発被災地には、普通に花が咲き、畑も耕されているのに、人がいない、これが原発被災なのか、と衝撃を受けた」と語る姿が印象的でした。

私の閉会あいさつでは、放射能放出による被害の補償は東電と国によって全面的に実現させなければならないこと、被災地の復旧・復興に向け、被災者いちがんとなって、心ひとつにいっしょにがんばろう、と訴えました。

気分転換と前向きへの契機/心に花を

3月11日、そして朝7時台に3連続の地震があった3月23日、さらに4月11・12日の引き続く大きな余震と、かなり心身に影響を与えています。

遠くから近づいてくる車の音とその振動が地震のように感じたり、風による窓の揺れが地震のように感じたり、寝ていると、揺れていなくても揺れているように感じたり。

しかも1日、2日でなく、数日にわたるので、寝ても寝た気がしなかったり。かてて加えて先が見えない原発事故への不安と怒り。

話をしていると、そんな感じをもっている人も少なくないようです。

こういう時こそ、心をなごませる気分転換の契機や、心を前向きにする契機をつくれるといいなぁ、と思います。

ふと視界を広げると、あちこちに咲く花。

このところの新聞でも「大震災に負けず」の見出しで桜満開の写真も掲載されています。

まぁ、勝ち負けの問題ではありませんが、季節がやってくれば必ず咲く花を見ると、「明けない夜はない」の気持ちになれます。

心に花を! 地震も自然なら、花も自然だ。

足立区から支援物資/変わり果てた二見ヶ浦

党の東京都足立区後援会が、ぬかが和子・鈴木けんいち両区議とともに支援物資を届けてくれました。

足立後援会のみなさんは、4年に一度、大型バスを連ねていわきをたずね、スパ・リゾート・ハワイアンズ、いわきら・ら・ミュウをまわり、浜通り医療生協党後援会を中心に迎え入れる関係なのです。

お2人の区議を避難所や被災現場を案内しました。

午後、生協病院に寄ると、ちょうど、コープあいづから医療生協への支援物資。

その後、津波被害を受けた豊間合磯(かっつぉ)地域へ。被災者支援制度の冊子を求めて党事務所をたずねてきたかたが、「はせべさんにがんばって、と伝えてほしい」とのことだったので。おおいなる励ましを受け、ほんとうにありがたいです。

すぐ近所の医療生協組合員宅にも寄りました。海がすぐ目の前で、実は私は、この家は流されてしまっている、と思い込んでいたのでした。ちょうど斜面になっており、床下まで津波が押し寄せたものの、家そのものも無事でした。

あの日、高台から、自分の家も飲み込むいきおいの津波の様子を見て、「わが家も流された」と思ったそうです。

すぐ前の「二見ヶ浦」の岩も変わり果てました。

【震災前の二見ヶ浦】

久之浜/「自主避難」解除/苦悩の渦中

【御厩小学校・入浴サービス】

久之浜地域の住民のみなさんが避難されている、いわき市平体育館、御厩(みまや)小学校、湯本高校の避難所を高橋あき子市議とおとずれました。

久之浜は、津波と火災による甚大な被害を受けたことに加え、3月15日以降は、「原発20~30㌔圏内」の「屋内退避区域」とされ、自主避難が促されている地域です。

【湯本高校・散髪ボランティア】

今月11日、国が新たに「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」を設定し、これらの区域にいわき市が含まれなかったために、市としては「国がいわき市の安全性を認めたものと受け止め」、「自主避難を解除」しました。

【湯本高校・避難所昼食】

これを受け、住民のみなさんからは不安の声が上がっている、と聞いたのでした。

「放射線量が低くなっているし、安定している、というが、原発事故の終息はまったく見えない状態で、なぜ安全といえるのか」、「自宅にもどったとして、原発でまたなにかあったときに、高齢者がすぐに避難、という対応はもう取れない」、「高校へ通うためのJRが開通していないし、小学生もこちらに通うことになっていて、帰ろうにも帰れない」、「何度か家の様子は見に帰っているが、大きな余震でまた断水になった。帰っても生活できなければまた避難所にもどることになる」というかたがた。

一方で、「ちゃんと文書で‘安全’といってくれただけでもよかった。原発は安心というより不安だが、家に帰りたい」、「家族5人の避難所生活はたいへん。不安だが、これから相談して帰ろうとは思っている」というかたがた。

誰もが口にするのが原発と放射線による被害。原発事故がおさまらないと、まったく先が見えない、といった苦悩の渦中です。

【湯本高校・ 3.11震災被害】

白水でお見舞い/がけ崩れ/政治の使命/まちづくりも根本的転換

先週に続き、午前中、内郷白水地域でお見舞いをして歩きました。

街頭から話していたら、家から出てきてくれた人が、「原発事故があって、子どもがいる東京に避難していました。原発はやめてほしい」と。

【内郷内町桜本地内のがけ崩れ】

この地域から隣の町に抜ける道は3・11の地震によるがけ崩れで通行止め。「90年生きてきた」というかたが「共産党がさっそく配ってくれたチラシを読ませてもらった。さすがだ」と言いつつ、「何があったのか見ておきたいんだ」とデジカメを持って写真に記録していました。

【内郷白水入山地内のがけ崩れ】

磐城三十三観音第四札所「つるし観音」前は、おとといの地震によるがけ崩れで通れませんでした。

またあるお店に寄ると、お客さんが「あの地震後、初めてたずねてきてくれたのが、おにぎりを持った共産党の人でした」と。お店のかたは「震災後、話をしに来てくれたのは共産党が初めて。新聞で、原発の危険性を指摘し続けていたのが共産党というのも知りました」と。

大震災の事態のもと、街頭から話すことでお見舞いして歩いていても、、「共産党の宣伝目的じゃないか」といった声もあるようです。まったくそうではありませんし、まして、こうした事態を前にして政治は何をしなくてはならないか、積極的に考えをお伝えすることは、私の使命みたいなものです。

【市役所市民課ロビー】

午後、高橋市議と市役所をまわると、市民課窓口の市民待合室がやはりおとといの地震で沈下し、休止の状態でした。

福島高専の広野町住民の避難所をたずねました。「福島原発で働く町民は多いし、自分もそうだった。原発は安全で安心だ、としか聞かされていなかった。ほんとうなのか、と思いながら働いていたが、完全にウソだった。共産党の人たちがずっと危険性を言ってくれていたことも知っている」と。ちょうど東電社長の会見が報道されていて、「自分たちが町から離れていわきの人たちにお世話になっているのも、東電の原発のためなんだ。しかも経営者は、事故直後、福島原発の運転をどう続けるか、を最優先に考えたとも聞いた。いい加減にしろ、と言いたい」と。

生活の場を奪われたかたがたの声を、私はどう受け止めたらいいのでしょうか。

この学校で、まちづくりを研究対象としている教授・助教授と話をする機会も得ました。こうした大震災を目の当たりにし、政治の責任だけでなく、まちづくりを専門に研究する立場としても、根本的な転換を考えないとならない、と真剣に語ってくれました。

雨・雷・地震/また6弱/復興共同センター

きのうの夕刻5時16分ごろの地震により、1時間ほどの停電となり、きょうからまた断水となりました。きのうまで復旧率が97%に回復した矢先でした。しかもあの時間は、雨が降り、雷光と雷鳴が鳴り響くという事態。

きょうも体に感じる余震が小刻みに続きましたが、午後2時7分ごろ、また市内各地で震度5弱~6弱の地震。突き上げるような揺れでした。震源は市内内陸部。まったく気が休まる間もない地震続きです。ちょうど、地元の居住党支部会議に参加していた最中でした。

個人的にいうと、不覚にもちょっと高いところにおいていたプリンターがきのうの地震で落下して壊れてしまい、午前中、新しいプリンターを大枚をはたいて購入し、新たなスタートを切った気分になっていた矢先でした。

ともかくさまざまな思いと体験をさせてくれる天災です。原発震災は人災ですが。

「東日本大震災・原発事故被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター」(浜通り復興共同センター)の第1回代表者会議がありました。「いわき市原発の安全性を求める会」代表として私は参加。

今月24日(日)には、第1回相談会を午前10時から午後7時まで、いわき教育会館で行なうことを決めました。生活支援相談はもちろん、原発事故の影響で売り上げが減った、原発立地地域での販路や仕事がなくなった、農作物を作っても売れない、漁をしても売れない、などなど、どんな相談でもお寄せください。

なお、4月17日(日)には、安斎育郎・立命館大学名誉教授を招き、労働福祉会館で「東日本大震災・原発震災緊急報告会」を開催します。原発の安全性を求める福島県連絡会・いわき市原発の安全性を求める会の共催です。

【内郷御厩町三丁目】