先週に続き、午前中、内郷白水地域でお見舞いをして歩きました。
街頭から話していたら、家から出てきてくれた人が、「原発事故があって、子どもがいる東京に避難していました。原発はやめてほしい」と。
【内郷内町桜本地内のがけ崩れ】
この地域から隣の町に抜ける道は3・11の地震によるがけ崩れで通行止め。「90年生きてきた」というかたが「共産党がさっそく配ってくれたチラシを読ませてもらった。さすがだ」と言いつつ、「何があったのか見ておきたいんだ」とデジカメを持って写真に記録していました。
【内郷白水入山地内のがけ崩れ】
磐城三十三観音第四札所「つるし観音」前は、おとといの地震によるがけ崩れで通れませんでした。
またあるお店に寄ると、お客さんが「あの地震後、初めてたずねてきてくれたのが、おにぎりを持った共産党の人でした」と。お店のかたは「震災後、話をしに来てくれたのは共産党が初めて。新聞で、原発の危険性を指摘し続けていたのが共産党というのも知りました」と。
大震災の事態のもと、街頭から話すことでお見舞いして歩いていても、、「共産党の宣伝目的じゃないか」といった声もあるようです。まったくそうではありませんし、まして、こうした事態を前にして政治は何をしなくてはならないか、積極的に考えをお伝えすることは、私の使命みたいなものです。
【市役所市民課ロビー】
午後、高橋市議と市役所をまわると、市民課窓口の市民待合室がやはりおとといの地震で沈下し、休止の状態でした。
福島高専の広野町住民の避難所をたずねました。「福島原発で働く町民は多いし、自分もそうだった。原発は安全で安心だ、としか聞かされていなかった。ほんとうなのか、と思いながら働いていたが、完全にウソだった。共産党の人たちがずっと危険性を言ってくれていたことも知っている」と。ちょうど東電社長の会見が報道されていて、「自分たちが町から離れていわきの人たちにお世話になっているのも、東電の原発のためなんだ。しかも経営者は、事故直後、福島原発の運転をどう続けるか、を最優先に考えたとも聞いた。いい加減にしろ、と言いたい」と。
生活の場を奪われたかたがたの声を、私はどう受け止めたらいいのでしょうか。
この学校で、まちづくりを研究対象としている教授・助教授と話をする機会も得ました。こうした大震災を目の当たりにし、政治の責任だけでなく、まちづくりを専門に研究する立場としても、根本的な転換を考えないとならない、と真剣に語ってくれました。
これらの声を集めたい。私たちの組織で、と思うのですが、作戦会議が・・・
余震の被害も大きいですね。どうぞ、気をつけてください。一斉地方選挙前半戦が終わりました。私は4期目の当選を果たせましたが、京都市会議員団は4議席後退し、15議席となりました。議席が減るのは初めて経験で、これが大変です。以前ご相談しました早川さんの娘さんが、小学校の演説会の応援弁士に立っていただき、日本共産党の値打ち、福島原発の問題などを切々と語ってくださり、参加者一同が感動し、大きな力となりました。京都民報にも掲載されました。そして、その応援を受け、この党を大きくしなくてはならないと私も頑張ることができました。
後半戦が終われば、一度ボランティア活動に行きたいと思っていましたが、何か手伝うようなことがありますかねー。民医連からのルートも聞いてみようと思いますが。
選挙はたいへんお疲れさまでした。
来てもらって声をかけてもらうだけでありがたいと思いますが、ちょうどきょう、集まりがあるので、相談します。