アートを楽しむ/さわやか対談

『アートを楽しむ生き方』([日野原重明+松本猛]著、新日本出版社)を読みました。

日ごろアートに親しむことも、そもそも素地もないのですが、1時間ほどで一気に楽しめる本です。

日野原さんは1911年生まれで、京大の大先輩のお医者さんですが、第三高等学校時代はこっそり京都大学に河上肇教授の講義を受けにいったりもしたそうです。

初恋の人は「美いちゃん」といって、小林多喜二が警察で虐殺され、遺体がもどった自宅に駆けつけ、弔いの日まで遺体を仲間とともに守り続けた一人だそうです。

日野原さんのそのときの恋は成就はしなかったそうな。

それはともかく、少年のころから音楽も演劇も絵画も大好きだったという日野原さん。「いのちをすこやかに保つのが医療の役割ならば、医療もまたサイエンスに基づく、癒しのアートであるべき」、「大切にすべきいのちをどう表現するかというのが芸術であって、その表現されたいのちを子どもたちが身につけて、平和を実践する行動を将来とるようになること、これを実現するのがわたしたちのつとめ」。

さわやかな対談です。

いわぶちキャラバン/ばったり出会い/つどい/訪問

朝は福島高専近くの道路沿いで定時定点。

「右翼」車がスピードを落としてジロッ、とにらんでいきました。すれ違う車から手を振って激励していただくかたが多いこと。

参院選福島選挙区予定候補のいわぶち友さんの第二次全県キャラバンがきのうから始まっていて、夕刻に常磐地域に入り、きょうは朝から内郷での行動。

午前10時に私も合流し、いっしょにスーパー前で訴え。

駐車場からの注目度は、これまでの選挙とはずいぶんと違う感触です。

その後は別べつに街頭宣伝。私は内郷駅を取り囲むように5か所の街頭から。父親が私の母親と職場がいっしょで、今は私の中学・高校の同級生と同じ職場で働いているかたとばったり会ったり、話し始めると最後まで聞いてくださり、拍手をいただいたり。

昼食後は、国宝白水阿弥陀堂にいちばん近い集会所で「党と語るつどい」。いわぶち予定候補、みぞぐち民子市議といっしょにお話しました。

夕刻には、四倉地域の後援会員のお知り合い宅を訪問。彼といっしょに歩くのは私は初めてでした。別のかたと訪問したこともあるお宅もあれば、私の中学同級生や高校同級生とつながりがあるお宅もあり、話がはずみました。

街宣・街宣/訪問/著名人への批判の声

8時をはさむ「定時定点」はかつて小名浜生協病院があった場所。

病院職員後援会員と小名浜地域後援会員の2人が旗持ちに出てきてくれました。

午前中は草野地域で後援会員といっしょに6か所の街頭から訴え。ちょっと前に、ポスター掲示をお願いに回ったところ、「なんだ、元気な共産党の姿はどうした」といわれた農村地域から始めました。

田んぼで農作業をする人が多い日で、田んぼから手を振ってくれる人、家の庭から手を振ってくれる人、耕運機から手を振ってくれる人、ほんとうにありがとうございます。お店の前ではお茶の差し入れまでいただきました。

午後は渡辺ひろゆき市議と平北部地域の後援会員のみなさんと、渡辺市議の地元・赤井地域6か所の街頭から訴えました。

「話していたことはそのとおり。民主党政権は自民党よりひどいと家族でも話している。1日50万円の子ども手当てをもらっていて、そんなことは知らなかったという首相、高慢ちきな幹事長がテレビに映るとチャンネルを変える」と、わざわざ言いに来てくれるかたがいました。

午後5時からは私が住む住宅の隣り街の団地後援会員と訪問。民主党の公約破りへの怒りはただものではない広がりを感じます。選挙のことでうかがうのは初めてのお宅がほとんどだったのですが、共産党支持者宅へのごあいさつまわりの様相でした。

著名人擁立への批判はかなり強いです。「国民をバカにしている」と強い口調で怒りをぷつけるかたもいらっしゃいました。

候補者選び/読者の投稿/つい感心

訪問して話を聞くと、近づく参院選での政党の候補者選びへの疑問や批判が相次ぎます。立候補は自由ですが、もっともなご意見に私も納得してしまいます。

私が購読しているここ数日の全国紙と地方紙の読者の投稿欄に目を通してみました。

「政治とは無縁の社会における活動を続けながら国会議員の仕事に就くなどということがあれば、心ある国民は、政治とはそんなに軽いものなのかという思いを深くする」(14日付全国紙)

「票集めのお飾り、客寄せパンダなどと、あなたが呼ばれたら、私は悲しくてたまらない」(15日付全国紙)

「このような人選からしても、公党の中枢にいる人と国民の感覚に大きなズレが生じている…人選にも良識が働くべきなのに、国民を愚弄する人選」(17日付全国紙)

「政治の本質を考えない、ただ顔や名が売れていればよいという、実に安直な候補者選び…二足のわらじをはいた新参者に、何ができるのであろうか。莫大な歳費を受け取るぐらい」(17日付地方紙)

著名人が各党の候補として名前があがった頃から、対話して歩くみなさんの声はだいたいこれらの意見です。

読者の声を選択する新聞社もたいしたもんだなぁ、とつい感心しました。

街宣/訪問/散歩

きょうは一日、医療生協職員後援会と行動しました。

午前中は小名浜地域の6か所の街頭から訴え。

公園で聞いてくれていた3世代のおばあさんが話し終えるや拍手し、お孫さんとお母さんにも拍手を促す様子です。

ある団地で話し終えて移動し始めたら、家から出てくるかたが拍手で送り出してくれました。

街道沿いでは少なくないドライバーや助手席からの声援。

政治を国民本位に変えてほしい、という願いが共産党に寄せられていることを感じます。問題は、私たちがこうして訴えて歩いている先だけにとどまっているかもしれないことです。

午後は医療生協のつながりでお世話になっているかたがたを訪問。

「民主党にはあきれた、自民党は論外、どうしたらいいのかみんな迷っている」というかた、「共産党が言っているとおり、がんばってほしい」、「『かけはし』を読んで、あつしパパが走り回る様子を知ってるよ」と、激励されました。

日が長くなり、夕刻は久しぶりにペロと小一時間の散歩。新緑のこの時期、やっぱり気持ちがいいですね。ペロの表情もそんな感じ。

かけはし/憲法街宣/女性のつどい/友さんと

朝8時から、通信「かけはし」、「赤旗」5月号外、それに参院福島選挙区予定候補のいわぶち友さんのリーフレットを3点セットにしてご近所230軒あまりに配布しました。

けさは外に出られているかたも多く、「ご苦労さま」、「いつもありがとう」、「たいへんだよね」とあたたかく声をかけていただきました。こちらこそほんとうにありがとうございます。

午前中は「日本国憲法を守るいわき市共同センター」による市内いっせい宣伝日。小名浜ではいつものように、浜通り医療生協9条の会のみなさんとスーパー前で訴えました。

午後は党地区委員会と女性後援会が主催した「女性のつどい」。地区委員長が子どもの運動会のため、私が代表あいさつ。

宮川県議といわぶち友参院選挙区候補がお話し、医療・保育・教育、それに不当労働行為裁判の現場から報告と決意。合間にティータイムや歌声が入るつどいでした。

つどい後は、宣伝カーに友さんと乗り込み、小名浜地域で街頭宣伝。

宣伝カーの前で自転車を止めて聞いてくださるかた、携帯電話で写真を撮りながら聞いてくださるかた、「ら・ら・ミュー」前では駐車場やお店の店員のみなさんからの声援に励まされました。

三方から/市街地街宣/共通する気持ち

けさの街宣は、三方の車が合流するバイパス道路の出入り口に当たるところ。

それぞれからのドライバーのみなさんが手を振っていってくれたり、クラクション「声援」をおくってくれたりします。

高橋あき子市議と、平市街地の5か所の街頭から訴えました。スーパーの前では、駐車場内で聞いていただく姿が目立ちます。

街宣移動途中でお知り合い宅に寄ったり、街宣場所のご近所や事業所にごあいさつしたりしますが、民主党政権に対する批判が強い。

「公約破りはひどいが、カネの問題も自民党といっしょ、政治をどうしたいかよりも、選挙目当ての「公約バラマキ」じゃないか。金持ち優遇をなぜやめられない」と、みなさんの気持ちは共通しているように思います。

中国侵略の証言者

『中国侵略の証言者たち』(岡部牧夫他編、岩波新書)を読みました。衝撃です。

私はこうした証言者がいることを知りませんでした。「こうした」というのは、1956年6月から7月にかけて中国で戦犯裁判を受け、その年の内に帰国し、57年には「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成し、戦争犯罪に関する加害証言にとりくんでいた事実です。

彼らが帰国当時、周囲から「アカ」扱いされて差別され、公安警察関係者の監視に悩まされ、「洗脳とやらの“魔法”にかけられて、頭の脳ミソを入れ変えられたんじゃないか」と書いた週刊誌もあったそうです。

現実は、「罪の大小にかかわらず、侵略戦争そのものの罪悪性を心底から認識できるようになったこと、その結果、中国人民に真正面から頭を下げ、二度と銃を向けないと誓うことができるようになった」、「私たちは戦犯となって初めて、人間らしい生活を送ることになった」(第5章)のです。

帰還者だけの組織であった中帰連は2002年に解散し、当事者以外の人たちを含め、「反戦平和・日中友好」を願う団体として「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に証言の聞き取りなどの諸とりくみが引き継がれています。

朝、自宅から20分/松田さん絵画展/期待を実感

木曜日朝の定時定点の街宣には、毎回、ご自宅から20分ぐらい歩いて来てくださる地元後援会員が旗を持ち、車で通勤するみなさんに声をかけてくれます。

すぐそばに私の中学同級生が勤める事業所があり、彼が出てきて写真を撮ってくれました。

きのうから開催されている「松田信三 絵画展」におじゃましました。来週の17日(月)まで、「ギャラリーアート光明(こうみょう)」(いわき市小島町1丁目4-2)が会場です。どうぞ、みなさんもお立ち寄りください。

平(たいら)地域のど真ん中といっていい地域の後援会員とご近所を訪問しました。顔を合わせるや、「どうしてあんなことになるの!」とおっしゃるかた。3年前の県議選の結果のことです。

民主党の公約破り、その姿勢がアメリカにものが言えない、財界言いなりの自民党とけっきょく変わらないことなど、話せば話すほど、マスコミが姿を示さない共産党への期待がふくらむことを実感します。

雨の定時定点/共産党訪米/民主主義

けさは雨降りでしたが、「定時定点」の街宣は決行。宣伝カーの運転にその地域を担当する党後援会員が来てくれました。

濡れるドアの内側から片手をあげていってくれるドライバーの姿に勇気づけられます。

ところで、志位和夫委員長を団長とする訪米団が4月30日~5月7日の日程を終えました。

訪米での仕事のひとつは「核兵器のない世界」を願う被爆国・日本の声を国際社会に伝えること。

NPT(核不拡散条約)再検討会議議長、同会議第1委員会委員長、軍縮担当の国連上級代表、それに核保有国、非同盟諸国、新アジェンダ連合、北大西洋条約機構諸国の各国代表と要請・会談した様子が「しんぶん赤旗」で日々報じられました。

訪米のもうひとつの仕事が「基地のない沖縄」「対等・平等・友好の日米関係」を願う日本国民の声を直接アメリカに伝えること。

アメリカ国務省との会談、連邦議会の民主党・共和党議員との懇談、全米法律家協会主催の講演会での発言などを通し、普天間基地の解決方法は「移設条件なしの撤去=無条件撤去」しかないことを伝えました。本来、その民意は首相が伝えるべきでしょうが。

アメリカ政府の立場は、06年に日米合意した「現行案」がよいとする立場ですが、「見解がちがっても意見交換するのは有益であり、民主主義の基本。これからもできるだけやりたい」と米側が表明したことは重要です。

実はこれに先立つ4月21日、志位委員長は在日米国大使館でジョン=V=ルース駐日大使と会談し、NPT再検討会議の成功と、普天間基地は移設条件なしの撤去しか解決方法はないことを伝えていました。

ルース大使も「立場の違いはあっても、敬意をもってオープンなコミュニケーションを持つことは重要と考えています」と述べていました。

なんでも話し合える関係になっていくことは大事です。