雨の定時定点/共産党訪米/民主主義

けさは雨降りでしたが、「定時定点」の街宣は決行。宣伝カーの運転にその地域を担当する党後援会員が来てくれました。

濡れるドアの内側から片手をあげていってくれるドライバーの姿に勇気づけられます。

ところで、志位和夫委員長を団長とする訪米団が4月30日~5月7日の日程を終えました。

訪米での仕事のひとつは「核兵器のない世界」を願う被爆国・日本の声を国際社会に伝えること。

NPT(核不拡散条約)再検討会議議長、同会議第1委員会委員長、軍縮担当の国連上級代表、それに核保有国、非同盟諸国、新アジェンダ連合、北大西洋条約機構諸国の各国代表と要請・会談した様子が「しんぶん赤旗」で日々報じられました。

訪米のもうひとつの仕事が「基地のない沖縄」「対等・平等・友好の日米関係」を願う日本国民の声を直接アメリカに伝えること。

アメリカ国務省との会談、連邦議会の民主党・共和党議員との懇談、全米法律家協会主催の講演会での発言などを通し、普天間基地の解決方法は「移設条件なしの撤去=無条件撤去」しかないことを伝えました。本来、その民意は首相が伝えるべきでしょうが。

アメリカ政府の立場は、06年に日米合意した「現行案」がよいとする立場ですが、「見解がちがっても意見交換するのは有益であり、民主主義の基本。これからもできるだけやりたい」と米側が表明したことは重要です。

実はこれに先立つ4月21日、志位委員長は在日米国大使館でジョン=V=ルース駐日大使と会談し、NPT再検討会議の成功と、普天間基地は移設条件なしの撤去しか解決方法はないことを伝えていました。

ルース大使も「立場の違いはあっても、敬意をもってオープンなコミュニケーションを持つことは重要と考えています」と述べていました。

なんでも話し合える関係になっていくことは大事です。

日本近現代史

『日本近現代史を読む』(宮地正人監修、新日本出版社)を読みました。

1853年のペリー艦隊来航に先立つ幕末の様子を序章に、昨2009年8月の総選挙で自公政権が崩壊するまでの通史です。

アジアにたいする膨張主義と植民地支配にたいする歴史認識を国民的レベルで確立すること、戦後日本の対米従属から抜け出し、日本の自主性を回復すること、経済力の成果が公平に社会に還元されるまともな経済社会に転換することを、21世紀を展望した現代日本の課題として提起しています。

歴史を大局的に見ることの大切さと、歴史は「男女人民と多くの民衆のたたかいと努力、そして失敗と挫折の積み重ね」であることをつくづくと感じます。

1901年、8時間労働制、普通選挙制、貴族院廃止、治安警察法の廃止、言論抑圧の新聞条例の廃止などを実行綱領として掲げて日本で最初の社会主義政党(社会民主党)が結成されたとき、ただちに治安警察法によって結社が禁止されました。

109年後の今、「この実行綱領の多くが日本人の常識とするものとなり、廃止されたのは逆に治安警察法であり、亡んだのはこの法律をみずからの法的支柱とした天皇制国家でした」(「刊行にあたって」)。

当時、その実現を信じる人びとはどれほどいたのでしょうか?

そして今、「抑止力」といって世界へ殴りこむ戦力を日本におくアメリカと、軍事同盟関係はやめて、対等な関係を築く日米友好条約締結の実現性を信じる人びとを多数にする時代だと思います。