冷温停止状態とは?/事故収束・廃炉への監視・規制機関は?

きのうの県議会常任委員会としての調査は、第一原発現場視察がメインだったこともあり、事故原発の現況や対策については、資料はもらったものの、東電による説明と質疑応答は短時間でした。

私が「公式」の場で聞いたのも、所長説明で3・4号機の使用済み核燃料プールの瓦礫撤去の作業についてだけでした。

現場視察前の休憩時に、資料をペラペラめくっていたら、「冷温停止状態」を達成、の文字があったので、「これは実測値ですか」と確認したのです。

家にもどってから見てみると、その資料のページでは、「損傷した燃料が圧力容器及び格納容器のどこに存在しているかを正確に把握することは難しい」と書いてあって、下のグラフは「原子炉圧力容器底部温度」と「格納容器内温度」。

燃料はメルトダウンして、圧力容器底部からは落ちている可能性が大きいし、内視鏡でのぞいたときにも格納容器内のどこに燃料があるかはわからなかったわけです。

このグラフも、溶け落ちた燃料がない場所の温度でしかないかもしれません。いったいどんな意味があるのでしょう?

事故収束と廃炉へ向け、監視・規制機関としての役割を果たす国家機関が存在しない、ということではないでしょうか?

原発現地調査

福島県議会の企画環境委員会による福島第一原発現地調査をしました。

建屋損傷がいまだ生々しい3・4号機では、使用済核燃料プールのうえの瓦礫はいまだ撤去作業中の説明がありました。

各原子炉内の温度は実測値ですが、「正確かどうかはわからない」「プラスマイナス20度の範囲」という第一原発所長の説明で、要するに誤差が40度もあるし、不正確かもしれない温度。

構内をバスで案内してもらうと、私の簡易放射線測定器(DoseRAE2)で、バス車内でも毎時30~40μSvはあたりまえ、3号機前の海岸側では毎時1000μSv(1ミリSv)を超え、この測定器を手にして初めてアラームです。

ピーピーとうるさくて電源を切ったよ、という議員もいました。

ともかく、東電による構内の線量測定でも、私の測定器でも場所によってかなり幅があります。

第一原発から約20kmのJヴィレッジで「防護服」を着たり、積算線量計を身につけ、それから2時間強で戻ってきたと思いますが、0.038ミリSv(38μSv)の被曝でした。

ちなみに、私の測定器でのバス車中での国道6号線での放射線量測定値は、「毎時μSv」の単位で、Jヴィレッジ入口で4ぐらい、楢葉町役場前の前後では1.1~3.9と幅があり、夜ノ森公園入口では11、第二原発前では5.5。

原発労働

『検証 原発労働』(日本弁護士連合会編、岩波ブックレット)を読みました。

昨年(2011年)8月4日の原発労働問題シンポジウムの記録です。

このシンポは、日弁連が「人間の復興を目指して」をテーマにした震災・原発問題の連続シンポの第一回でした。

日本共産党の渡辺ひろゆき・いわき市議会議員もシンポジストとして参加し、執筆者の一人として登場しています。

渡辺市議への原発労働者の相談や、日弁連貧困問題対策本部による原発労働者への聞き取りによっても、原発労働の下請け・孫請け・ひ孫請けと人夫出しの実態があり、これによって原発の現場で働く劣悪な非人間的な労働が集中的に顕(あらわ)れていると思います。

廃炉へ向け、長期にわたる原発労働は不可欠です。派遣労働があたりまえの労働法制の抜本的改正と、原発現場で働く人たちの労働環境の抜本的改善をいそがなければなりません。

中央台/常磐新春/アンコール/地元

午前中、私が住む地元の党支部長さんと中央台地域で県議選でお世話になったかたがたをたずねました。

「ああいう状況で来てもらったのが共産党だけだったんです」「一家をあげて応援させてもらいました」「頼るのはほかにないんです」などなどと、ほんとうに大きな期待をあらためて感じました。

常磐地域の「新春のつどい」に宮川さんと参加しました。市内のつどいはこれで最後。

ほかの地域ではあらかじめカラオケの打診があったりしましたが、今回はその場で突然のご指名。そのうえアンコール。

まっ、「しあわせになろうよ」と「乾杯」です。

夕刻からは私の地元の党支部のみなさんとの新年会。まぁ、まず無礼講以前の関係ですから、こういう絆は大切です。

県党会議/大雪と快晴の県内/党への信頼

郡山市内で県党の会議がありました。

いわきを出るときは、ここ数日と同様に気温は低いものの、快晴でしたが、磐越自動車道でいわきを出たあたりから雪模様。

だんだんと激しくなり、会場に着くと大雪で、すでにたいへんな積雪でした(いわき住民から見て)。

昼間はいったんやんだようでしたが、午後にはまた降り出し、帰るころにはまた大雪。

いわきに入ると、上弦の月と星ぼしが夜空を飾っていました。

同じ福島県内でも、冬の季節はいつもこんな感じです。

それはそうと、会議では、来月から来年1月までの総合計画を採択しました。これをめぐる討論では、県内各地から、昨年の3・11以降の様ざまな活動を通し、党への信頼が広がり、深まっている様子、地域での住民のみなさんとの絆の広がりや党内の活性化、若者のなかでの活動など、生き生きと語られ、きょうもまた元気をもらえました。

高橋ちづ子衆院議員の国会リアルタイム報告もまたよかったです。

介護報酬/公費削減が前提

きのう、各紙が報じたように、今年4月からの介護報酬案が決まりました。

「在宅支援強化」を看板に、「24時間巡回型訪問」の創設が目玉で、報酬全体は前回改定と比べ、1.2%増だと言っています。

ところが、これまで介護報酬とは別に国費として支出していた介護労働者の賃金引き上げ分は介護報酬に組み込んだ、というものの、この国費分を差し引くと、実質0.8%のマイナス改定です。

まして、「24時間巡回」できる体制をつくれる事業所が、都会以外の地方でどれだけあるのでしょうか? ほとんどないと思います。今でさえ、夜間対応の職員体制をつくれないのです。

だいたい、在宅強化と言いながら、民主党政権のもとでの昨年6月30日の「政府・与党社会保障改革検討本部決定」の「社会保障・税一体改革成案」では、「介護予防・重度化予防」「介護施設の重点化(在宅への移行)」で公費の1800億円削減を見込んでいるのです。

自民党政権時代からの「重点化・効率化」と称した福祉切り捨ての構造改革政治そのものです。

浜通り医療生協の介護の責任者に話を聞きに行ったら、単純に当てはめ計算すると、年間収入は今年度比マイナスです。

医療もそうなのですが、「報酬改定」のたびに、どこでどうしたら収益を上げられるか、の対応を迫られ、患者や利用者のための最善の医療・介護はこうして遠ざけられていくのです。

そして、この事実は、医療・介護に本人・家族がかかわらない限り、多くの国民が気づかされないまま、どんどんと「改悪」され続けているのです。

自民、民主と続くこうした政治をいつまでも許し続けられますか?

薄磯地区/新春つどい/黄門様からカラオケから

平薄磯(たいら・うすいそ)地区の災害復興本部を宮川さんとたずね、現況や今後のことについてお話をうかがいました。

この薄磯には、震災前は約250世帯・900人が暮らしていましたが、津波で95%の家屋が流失、130人が犠牲となりました。

私は昨年の大震災2日後の3月13日にこの地に足を踏み入れ、茫然自失でした。

この地のみなさんの声をしっかりと受け、市街地復興計画を現実化させないとならないと、強く思います。

正午からは、いわき北部・内郷(うちごう)・好間(よしま)地域の党後援会合同の「新春のつどい」に参加しました。

第一部でのごあいさつで、昨年の県議選での感謝と、これからの決意をみなさんにお伝えし、

 

第二部の余興では、いろいろな芸の披露のひとつで、私と宮川さんが「黄門様」の役をし、

余興最後のカラオケのトップに宮川さん、私はトリでした。

 

最後は参加者全員で「がんばろう!」の大合唱。こういう集まりはほんとうに元気をもらえます。みんな被災者です。

医療生協ニュース/地方道の復旧

「浜通り医療生協ニュース」の今年初春号(206号)をご近所の医療生協組合員宅に配布しました。

私の出身職場でもあり、理事を務めている浜通り医療生協では、それぞれの地域の組合員がこのニュースを配布できる組織をめざしています。

1万5000人を超える組合員にこうして手配りできるようになれば、地域での絆が支えるまちづくりが進められると思います。こうした実質的な「絆」の大切さは、今回の震災でほんとうに痛感させられました。

【2011年3月15日時点】

昨年の3月15日には波打っていた道路は、その後もしばしば自家用車で通過していましたが、きょうは復旧工事のために片側交互通行でした。

【2012年1月25日時点】

主要地方道小名浜四倉(おなはま・よつくら)線の沼ノ内地内ですが、こうした生活道路こそ、真っ先に復旧すべきと思うのですが。

福島は訴える/普通を取りもどす努力

 

『福島は訴える』(福島県九条の会編、かもがわ出版)を読みました。

「序にかえて」と「エピローグ」を県九条の会事務局長の真木實彦・福島大学名誉教授、「プロローグ」を県九条の会代表の吉原泰助・福大名誉教授、元学長が執筆。

昨年の3月14日には県九条の会事務局会議が予定されていましたが、3月11日の大震災と引き続く原発事故による交通手段の途絶で中止になったものの、集まれる人だけでも集まり、そこでの話題から、15日には事務局長名で「この難局を力合わせて乗り切りましょう」の呼びかけをしました。

そのなかで、「生々しい見聞とご意見をお寄せください」との訴えに寄せられた意見、その後の会員の安否確認での声を聞き、大震災から3か月たった7月11日に県九条の会として「福島第一原子力発電所の『巨大人災』にあたって」と題する見解を発表。

そこでは、「九条が依拠する『平和的生存権』=『恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利』の侵害という根本的次元で、戦争の惨禍と原発『巨大人災』とは共通なものがあります。それどころか、『安全神話』を振りまいて原発路線を突っ走った利権絡みの原発利益共同体と、日本を再び『戦争のできる国』にしようとたくらむ改憲推進共同体とは、人的にも思想的にも太い地下茎で繋がっており、同じ土俵に根を下ろしている」と指摘。

その後、福島が経験しつつある実態を全国に知らせ、同じ立場からこの問題を捉えることができるようにするためにこの本の企画が進められました。

くらし、子育て、なりわいを破壊され、また自治体議員や住民としてのとりくみを、生なましいあの日の体験にも触れながら、25人が記録してくれています。

私もあの日直後にたずねた多くのかたがたとの話がよみがえってきます。そして、「普通の生活」を取りもどすことに、「粘り強い努力」が政治的にどれだけ必要なものなのか、また痛感です。

現行憲法があたりまえに実践される政治をつくりましょう。

双葉町埼玉支所/避難生活/デイサービス

朝早く、加須駅近辺をちょっと散歩。

双葉町埼玉支所がある、埼玉県加須市の旧騎西(きさい)高校を党県議団としてたずね、井戸川克隆町長、井上一芳副町長、それにここで避難生活をしている双葉町民のみなさんにお会いしました。

福島第一原発の7・8号基増設を求めていた町長の、国と東電に「裏切られた」という思いは強烈です。とりわけ、原発事故による放射能被害が住民にどんな影響を与えるか、法令にすら基づかない対応への怒りはただならぬ思いが伝わりました。

ここで暮らしているみなさんの部屋(旧教室)や、「デイサービスでうどんづくりをしている調理室」を案内してもらいました。

デイサービスは、介護認定度にかかわらずに希望者に来てもらっているとのことですが、これがあたりまえの姿だと思います。「要支援1以上でなければいけません」というような、介護認定度によって「差別」するしくみそのものがまったくもって変なのです。