この9か月半、あの3月11日を忘れるわけにはいかない毎日でした。
会う人、会う人、あの日、そして原発事故にみまわれて避難した日々、子どもたちの未来を迷わざるを得ない日々をお互いに語り続けました。
思い出すのは、3月12日、砂と瓦礫の道路上で足をふらつかせて病院に連れて行ってほしい、と言っていた人に出会わなかったら、あの人はどうなってしまったんだろうか、とか、避難所で4~5人のおばあさんたちが「生き残ったオレたちががんばらないでどうする!」とにこやかに語る姿やら、とか。
あの日から1週間後に、「誰も来てくれない、飲まず食わずだ」とお二人から電話もありました。
私たち共産党に対する期待が大きいことは強く感じますが、共通しているのは、行政への不信なのです。
行政を支えるのは私たち住民・主権者であり、私たち自身の問題として、真剣に考えさせられる大震災の年だったと私は強く思っています。