福島は訴える/普通を取りもどす努力

 

『福島は訴える』(福島県九条の会編、かもがわ出版)を読みました。

「序にかえて」と「エピローグ」を県九条の会事務局長の真木實彦・福島大学名誉教授、「プロローグ」を県九条の会代表の吉原泰助・福大名誉教授、元学長が執筆。

昨年の3月14日には県九条の会事務局会議が予定されていましたが、3月11日の大震災と引き続く原発事故による交通手段の途絶で中止になったものの、集まれる人だけでも集まり、そこでの話題から、15日には事務局長名で「この難局を力合わせて乗り切りましょう」の呼びかけをしました。

そのなかで、「生々しい見聞とご意見をお寄せください」との訴えに寄せられた意見、その後の会員の安否確認での声を聞き、大震災から3か月たった7月11日に県九条の会として「福島第一原子力発電所の『巨大人災』にあたって」と題する見解を発表。

そこでは、「九条が依拠する『平和的生存権』=『恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利』の侵害という根本的次元で、戦争の惨禍と原発『巨大人災』とは共通なものがあります。それどころか、『安全神話』を振りまいて原発路線を突っ走った利権絡みの原発利益共同体と、日本を再び『戦争のできる国』にしようとたくらむ改憲推進共同体とは、人的にも思想的にも太い地下茎で繋がっており、同じ土俵に根を下ろしている」と指摘。

その後、福島が経験しつつある実態を全国に知らせ、同じ立場からこの問題を捉えることができるようにするためにこの本の企画が進められました。

くらし、子育て、なりわいを破壊され、また自治体議員や住民としてのとりくみを、生なましいあの日の体験にも触れながら、25人が記録してくれています。

私もあの日直後にたずねた多くのかたがたとの話がよみがえってきます。そして、「普通の生活」を取りもどすことに、「粘り強い努力」が政治的にどれだけ必要なものなのか、また痛感です。

現行憲法があたりまえに実践される政治をつくりましょう。

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