ヨウ素剤郵送/考えさせられる「公務」/公務への信頼

今年に入り、いわき市から、ヨウ素剤が郵送され、第一原発4号機がまたぞろこうした事態を招きかねないからなのではないか、と相談がありました。

郵送によるこの配布自体は、昨年11月末、「未だ原発事故が収束していない状況にあり、また、配布した安定ヨウ素剤が本年12月に有効期限を迎え、対象となるすべての方に新たに配布する必要がある」との判断で、12月中に順次発送されたものでした。

受け取る側からすれば、政府が、およそ信じがたい「原発事故終息宣言」を発する一方で、事故原発内部は誰もわからない現実です。当然、批判的な専門家はこの現実を直視したコメントを率直に発してくれます。

こうしたなか、県や市は、事故原発の実情を把握したうえでのあらためてのヨウ素剤配布なのか、事故原発が大きな余震でまた事故を起こした場合、34万いわき市民の避難計画を市はつくってくれているのか、私たちはそのときにどうしたら避難できるのか、わかる手立てはあるのか、とりわけ子どもたちをどう守ろうとしているのか、という切羽詰った話です。

いったい、行政の責任とはなんなのか、こうした場合に備えて、住民に安心できる対応策を示し、なおかつ、現実にそうなった場合、住民に寄り添ってその対応を住民といっしょにすることではないか、と思うのです。

「公務」とはそういうものではないのでしょうか?

公務に対するそうした信頼を突き崩した原因を取り除くときではないでしょうか?

それでも公務員は減らしたらいいのでしょうか?

私は「そうじゃない!」と言い続けてきたつもりですが、現実は逆に進んできました。そうした政治家が支持されてきたからです。

どうすればいいのですか?

議員を減らせば済む問題なのですか?

いろんなことが有権者に突きつけられていると思います。