津波情報/避難場所/錯綜/久之浜/現時点

【薄磯・堤防決壊】

【豊間塩場の墓地】

【豊間保育所】

2日前に路上から小名浜生協病院に案内したかたの自宅を見舞いました。

点滴で体調は回復してよかったのですが、ちょうどこの時間、余震もあり、津波の危険もあるという情報で、市内のお子さんのお宅へ身を寄せるつもり、とのこと。海から200mちょっとの距離のお宅ですが、大地震当日は床下までの浸水だったそうです。

ともかく、津波情報で高台への避難を消防が広報していたので、避難場所の小学校へ寄ると、テレビでは、福島第一原発3号機の建屋爆発の様子の映像。

そして地元地域のみなさんが自家用車や徒歩で次つぎと高台のこの小学校に避難されてきました。

その後、日用品の買い物をしようとホームセンターに行くと、「原発で臨界爆発があったので店を閉めます」と。

津波情報源は、消防庁だったり、警察だったり、自衛隊だったりのようですが、気象庁はその観測事実はない、と言うし、原発情報も水素爆発が臨界爆発になってしまったり、非常時のもとでの情報錯綜を目の当たりにしました。

【久ノ浜第一幼稚園】

【久ノ浜南町】

午後はいわき市北部の久之浜地域、四倉北部の被災状況を見てまわりました。久之浜地域は、原発の状況から、市が住民に自主避難を促していることもあり、津波被害がもっとも大きかった地域に入ることはできませんでしたが、海岸近くなだけに甚大です。

【四倉・蟹洗温泉】

家を流されてしまったかたがたの住居、食料はもとより、水道復旧の見込みがないなかでの水の確保や、車がなければ移動できなくなってしまっているのにガソリンがないことは全市民に関わり、原発震災では市外からの避難者も多くあり、そのうえ正確な情報が避難者・市民が共有できていない現実、なにか手助けしたいと思っているかたがたが何をしたらいいのかわからない状況が現時点です。

【小名浜一小避難】

断水/豊間と薄磯は壊滅/堤防決壊/教訓

【薄磯】

【薄磯・塩屋崎灯台】

大地震直後からいわき市全域で断水です。復旧時期はいまのところ不明。

介護施設責任者の妻が給水のための時間をとれるはずもなく、当然、私がわが家の水確保担当者で、きのう・きょうと給水場所に並んだものの、なくなってしまったのでした。

きょうの夕刻はいわき市水道局前で1時間ばかり待ち、やっと数日分の確保。なおかつ、水を確保しやすい条件にあった友人がゆずってくれ、大助かりです。

トイレ用には近くの川に往復して確保しました。

【豊間・堤防決壊】

高橋市議と海岸に近い平の豊間(とよま)・薄磯(うすいそ)地域に入りました。

絶句です。壊滅、全滅です。

【豊間・塩場】

積み増しした堤防が決壊した現場では、地元のかたが「強く要望して積み増ししてもらったが、なぜ最初からちゃんとしてもらえなかったのか。行政は住民の立場に立ってほしい」と訴えられました。

【豊間・塩場】

ともかく、津波の想像を超える力にはあ然なのですが、政治と行政はこの教訓を真剣に受け止めなければなりません。

実家のぶじ/四倉/目の前を津波/「病院に行きたい」

【仁井田川畔】

早朝、海岸から数百メートルしかないところに住む、妻の実家や親族宅へ。 あの津波の様子を報道でみて、連絡もできず、気が気でなく、避難所の中学校に身を寄せているだろうと思いつつ、それぞれの自宅の様子を見に行くと、みんながそれぞれの自宅でぶじでした。 海岸にいちばん近い家では、前の道の10メートル先まで海水が届いた様子。ともかく、距離的にも近いのに、連絡がとれない不安は解消。 小名浜生協病院へ寄り、みなさんのぶじと病院機能の維持確認。

【四倉6号線沿い】

四倉へ行くと、商店街メイン道路まで津波が押し寄せた様子。道路の東側が海側ですが、西側の商店店内も水浸しでした。四倉支所前もモノが押し流されてきた様子。 さらに海側の国道6号線は、津波が運んだ砂がかぶり、国道沿いの家には津波に流された車。

【四倉 道の駅】

役員を務めている社会福祉法人の特別養護老人ホーム・楽寿荘は難を逃れました。海岸は数十メートル先なので心配でしたが、ちょっとした高台でよかったです。 津波の波しぶきが目の前で跳ね上がる恐怖を施設長が語ってくれました。

【小名川ポンプ場近く】

再度、小名浜へ行くと、津波に襲われたようすがありあり。 足をふらつかせているだんなさんの手を引く高齢ご夫妻とばったり。「病院に連れて行ってほしい」と。さっそく生協病院に案内しました。

街宣/作品展/重税反対集会/大地震

平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで金曜日朝の定時定点。

午前中は私が住む住宅街3か所を含めて6か所の街頭から訴え。ドリンクの差し入れがあったり、散歩されているかたがたから声援、公園でたたずむかたからは両手を振っての声援。

午後は平文化センター4階で開催中の年金者組合いわき支部作品展鑑賞後、2階で行なわれた第31回3・13重税反対全国統一行動いわき市集会で党を代表してのごあいさつ。

この集会が最後にさしかかったときです、大地震。生まれて初めて体感する大揺れです。

つどいを予定していた地域へ行くと、どのお宅でも家の中のものが倒れたり散乱したりしている状態。ブロック塀が全部くずれてしまったお宅もありました。

【いわき市美術館前の歩道】

テレビをみると、小名浜港や宮城、岩手、青森などでの津波の被害の様子。

わが家のご近所では屋根瓦が落ちる被害。

医療生協の介護施設も被害にあい、妻は利用者とともに病院に退避し、病院泊。

海側へ向かうわけにもいかず、通信も通じず、どこまで被害が広がるのかわからないニュースに見入るばかりでした。

2か所の定時定点/「語ろう、きいてみよう会」/税金の使い道

木曜日朝は2か所での定時定点。1か所目が7時半過ぎから8時前、2か所目が8時過ぎから8時20分前ぐらいです。

どちらの場所でも手を振ってくれたり、おじぎしていってくれたり、目を合わせてニコッ、としていってくれて通勤されるみなさん、ありがとうございます。

小名浜地域で、「はせべあつしと語ろう、きいてみよう会」がありました。医療生協支部の党後援会員が企画してくれました。

「竹島問題での民主党議員のあの姿勢はどう見るの?」、「子ども手当てはどうなるの?」、「民主党が言っていたことと今の姿勢はさかさまじゃないの?」、「福島空港を使ったことがあるけど、いらないんじゃないの?」、「あぶくま高原道路はほとんど車は通らないよ」、「小名浜の人工島は何の必要があるのか、という人が多いけどどうなの?」と、まぁ、ともかくあたりまえの疑問が次つぎ。

県議会では、共産党以外の議員がすべて「与党」で、空港も県営高速道路も人工島も推進して税金をつぎ込みながら、暮らしを圧迫する税金の使い方にみなさんびっくりです。

税金の使い道をチェックできないオール与党議員はいらない! 共産党の議員こそ必要だ、とはっぱをかけられました。

職業としての科学

『職業としての科学』(佐藤文隆著、岩波新書)を読みました。

著者は世界的に著名な宇宙物理学者で、私が学生時代は現役の教授でした。お会いする機会はありませんでしたが。

本書は、「科学とはなにか」といった話でなく、日本で言えば70万人、世界全体で700万人の研究者たちが担っている現代の科学界を前提に、科学の制度が常人の職業として持続可能であることが肝要だ、という話です。

そのためには、若者が、狭い経験や眼前の現実に目を奪われずに、歴史で想像力を養う思考の転換が必要だ、と訴えています。

民主党政権の「事業仕分け」で、「世界一でないとなぜだめなのか」という詰問にハタと目を覚まされた、ということから話が始まっています。

「アメリカの政策と連動した日本での科学技術基本法制定を通して見れば、冷戦崩壊が転換期のスイッチ」といったことを含め、「歴史的に科学にこびりついているイデオロギーを俯瞰的に理解」し、「歴史から想像力を育む一助となれば」とは著者の願い。

介護保険/官僚主導/選挙論戦

民主党政権のもとでの初めての介護保険法改定案(2012年度実施)の概要がきょうの「しんぶん赤旗」で報じられています。

要するに、介護保険給付の対象となっている現在の要支援者を保険給付からはずす仕組みづくりです。

自民・公明政権のもとでの前回06年改定では、「要支援」と「要介護1」の軽度認定者にサービス利用を抑制させ、保険給付費を節減することを目的に「新予防給付」を創設しました。

今度は保険はずしです。理念を持たない民主党が政権につき、介護給付費削減を一貫して進める厚労省官僚の言いなりの姿が歴然です。「脱官僚」を言い張っていた民主党政権の成れの果てです。

介護保障と言える介護保険制度へ政治主導が求められるのに、言っていたこととさかさまなことを官僚主導で進める民主党政権では絶望的です。

けさの定時定点はJR線北側の国道399号線沿い。

きょうは一日、県党の会議でした。県政が県民の暮らしに向いていない事実、共産党以外の「オール与党」がこれを支えている事実、県にお金がないのでなく、県民への思いやりがないこと、こうした県政・県議会の現実の姿を伝えること、そして共産党の役割・値打ちをしっかり訴えることが、選挙での論戦上の基本であることを議論しました。

小名浜/赤井・小川街宣/同級生のお姉さん/とろろ芋

火曜日朝は小名浜での定時定点。きょうもこの地域・職場の後援会員4人が出てきてくれました。手を振っていってくれるかたも多く、ほんとうにありがたいです。

午前中は、赤井・小川地域の5か所の街頭から訴え。それぞれの場所で話し終えてから聞いていてくれたかたやご近所にごあいさつします。

ある場所ではちょうど出かけるかたが車を止めて運転席の窓を開け、「こうして地道にしている姿をいつも見ている。オレは間違いないが、がんばってくれ」と。

またある場所の近所の商店に寄ると、なんと、私の中学同級生のお姉さんがお嫁さん。「そういうわけで前から知ってたんだ。商売柄、表立ってはできないが、お客さんにあいさつしていって」と、お連れ合いのだんなさん。

この地域ではいつも通る道路沿いなので、初めて知ってびっくりです。その中学同級生は、私の結婚式の司会をしてくれたんです。

午後は中学教員OBの後援会員がお知り合い宅を案内してくれました。

ある教え子宅ではお母さんと何十年ぶりかの再会。77歳で毎日農作業をすることで健康を保っている、とのこと。りっぱなとろろ芋をいただきました。ありがとうございます。

冷たい雨/みぞれ/メモ

月曜日朝は、わが家のそばの街道沿いと、バイパス道路の出入り口の2か所での定時定点。冷たい雨の中でしたが、それぞれの場所で後援会員が「旗持ち」と「手振り」に出てきてくれ、通勤されるみなさんから手を振っての声援も目立ちます。ありがとうございます。

午前中は神谷(かべや)・草野・四倉(よつくら)地域を宣伝カーでまわり、6か所の街頭から訴えました。ずっとみぞれで、さすがに外に出ているかたは見かけませんでしたが、ある農家では話し終えると外に出て手を振って送り出していただくかた、そして通っていく車からのパッシングや手を振っての声援に感謝です。

午後もずっと雨模様でしたが、平市街地の東部の後援会員とハンドマイクを持って6か所の辻で訴えました。あるスーパー近くでは、話し終えると駐車場の車から出てきて寄ってくる若いお母さんから「メモ用紙」を渡されました。

「ずっと日本共産党を応援してます。がんばってください」と。

車の中で話を聞いてくださっているあいだに書いてくれたようです。なかなかない出会いです。

平東部9か所/川前町など6か所/滝

午前中は、9時からのいわき郵便局前を皮切りに、平地域の東部中心に9か所の街頭から訴えました。

ある団地前では、ベランダに出て最後まで聞いてくれるかた。拍手で送り出していただきました。田んぼの真ん中では、近所の農家から外に出て最後まで聞いていただき、ここでも手を振って送り出していただきました。感謝、感謝です。

スーパー前でも、駐車場で立ち止まって聞いてくれるかた、車で通りかかるかたがたからはクラクションや手を振っての声援。ありがとうございます。

午後は小川町の磐越東線江田駅前から始まり、川前町の駅前や上・下桶売(おけうり)地域6か所の街頭から訴えました。

「はせべさんですね」と初対面のかたから声をかけていただいてびっくりしたり、家の前に置いてあるイスに座って最後まで聞いて拍手をいただいたり、出てきて聞いていただいたり。ものすごく励まされる「街宣ツアー」です。

途中、夏井川渓谷の「篭場(かごば)の滝」に寄りました。