たて続けの地震/孤立する高齢者/民医連会長/オムツ

けさの7時12分・36分・53分とたて続けにいわき市内の内陸部を震源地とした地震がありました。閼伽井岳(あかいだけ)・水石山(みずいしやま)という、いわきを代表する山の間の地下約10kmが震源らしいです(北緯37.1度、東経140.8度)。マグニチュードはそれぞれ6、5.8、4.9でした。震度が市内でいちばん大きかったのがそれぞれ5強、5強、3でした。

阪神・淡路大地震以来、地震活動期に入った日本列島。まず地震はない地域と思い込まれていたいわき市の直下も震源になるのです。

朝、水道が復旧している党地区委員会へ行って飲料水の確保。事務所にきた電話を受けると、「私は80歳。私も近所の高齢者も孤立して、給水場所に来てとか食料をとりに来てとか言われても、行けない」と助けを求められました。

その地域の党の責任者に連絡すると、ただちに対応してくれました。

いったん家にもどると、途中でガソリンを入れようとする車の長い長い行列。営業を再開したガソリンスタンドが今週からふえる、という情報です。

きょうも小名浜生協病院へ行き、午後の拡大職責者会議では、私も市内避難所で受けた相談や医療生協総代さんなどと話したことなどを報告しました。

ちょうどその時間、自衛隊が病院への給水のために来てくれていました。

その後、病院には、全日本民医連の会長・副会長が来られました。藤末衛(ふじすえ・まもる)会長は、阪神・淡路大震災時には神戸の民医連病院の勤務医で、全日本民医連理事会でその生々しい体験を報告する姿をおぼえています。私は当時、全日本民医連事務局員でした。

病院には全国から様ざまな支援物資が届けられ、病院ではとりあえず必要がない幼児のオムツなどを、避難所で寄せられていた声に応え、届けました。

住む家/処方箋/液状化?/尽きない話

自宅にいたら、小名浜の避難所にいる、というかたから電話。

いっしょに避難所にいるかたのご家族についての相談でした。ともかく避難所に出向き、お話を聞きました。

家族は4人。ご両親と本人と娘さん。お父さんは気管切開で言葉が発せなく、必ずしも健康体ではない状態。お母さんが透析を受けていて、きょうも受け入れてくれた医療機関へ行っていました。自宅は津波で床上まで浸水したものの、2~3か月あれば住めるようにできそうなので、その間の住む家をなんとかしたい、ということでした。

被災者のこれからの「住む家」問題は深刻です。いわきの場合、家そのものを流されてしまったり、このかたのように時間があれば自力で住めるようにできる程度の被害だったり、そのうえ、原発災害でいわきに避難せざるを得ない市外のかただったり、あまりに多くの避難者の住む家が必要になっており、市だけでは対応しようがなく、国・県や、東京電力が責任をもつべき事態にもなっているわけです。

そうこうしていたら、この避難所にガソリン切れでとどまらざるを得なかった楢葉町のかた。障害者手帳をもつ目が不自由なかたで、処方箋があるので薬局に行きたい、と。

避難所の市職員や保健所に開いている薬局情報を聞き、処方してくれる薬局に案内することができました。

【岡小名 高田公園】

その帰り、小名浜花畑町の高田公園を通りかかると、消防自動車。公園内の防火用水槽がある部分が盛り上がっているのか、その回りが地盤沈下したのか、ただちには判断しかねるような場所。

【岡小名・高田公園】

公園内には、水が噴出して液状化したような様子。地震によってどこで何が起こったかすら、いまだ全貌がつかめていない状態のようです。

小名浜生協病院に寄ると、ちょうど拡大職責者打ち合わせ。地震後、毎日、朝と昼と、院内や市内のいろんな情報を共有する場としています。

家にもどってからは、町内ご近所の「しんぶん赤旗」日曜版読者宅に2日前の日付の新聞を、お話をうかがいながら配りました。いつもは地元の党員が配ってくれていて、たぶん、配るだけなら1時間ですみそうですが、4時間かかりました。

もちろん、地震当日のことや、その後の原発事故のことや、ご近所の様子のことや、話し出すと尽きないのです。

11日ぶりの入浴/励ましありがとう!/なにより安心できる国を!

いわきは朝からずっと雨模様です。

地区党の災害対策本部会議もきょうは中止しました。

市内の水道復旧はきのう時点で4割ですが、わが家がある郷ヶ丘はいまだ断水です。実家がある内郷(うちごう)の高坂(たかさか)団地はおととい復旧したと連絡がありました。

わが家と実家は直線距離で6km弱とはいえ、ガソリンは限られる、いろいろ事情がある、というわけで2日間いけませんでしたが、やっときょう、実家へ行き、11日ぶりに入浴。頭も体も2回洗いました。こんな爽快なことはありません。

飲料水も40リットルばかり、トイレ用水も18リットルばかり、わがまましてもらってきました。

この10日間、いわきで高校時代をいっしょに過ごした仲間、いわきがふるさとのかた、京都大学の学生時代の仲間、東京都内で働いていたときの仲間から、このブログ、メール、自宅への電話で多くの励ましをいただいています。

みなさん、ありがとね! 私はこうして発信しているように元気だからね!

ほんとうにありがとう!

なにより、これからの日本、子どもたち・孫たちが安心できる国にするために、いっしょにがんばりましょうよ!

地域のネットワーク/避難所/生き残った私たち

車椅子生活のだんなさんと2人暮らしのお連れ合いからきのう、電話がありました。

地震の日からずっと自宅から出られず、食料も水ももうなくなる、という訴え。

私は、隣組の班長さん、自治会連合会の会長さん、そのかたが住む自治会長さん宅に寄ってからそのお宅をうかがい、介護保険のケアマネジャーの緊急連絡先にも連絡し、相談しました。

自治会長さんがそのお宅の状況を承知していたこともあり、なんとか対応することができました。いろいろな家庭事情があるにせよ、介護事業所を含めた地域のネットワークの重要さを知らされました。

と同時に、行政がこうした非常事態時に住民から離れてしまっている現実は、これまでの自民・公明政治がつくり出したものと告発せざるを得ません。

午後は市内の避難所になっている3か所を高橋あき子市議とたずねました。

車が飲み込まれて流される津波から必死で逃げたかた、だんなさんが津波にのまれて亡くなられて遺体が見つかったんだ、というかた、90歳の私が助かったのに、と涙を流すかた、もう、ほんとうに、話を聞くだけでやりきれない思いですが、「生き残った私たちが亡くなった人たちの分までがんばらないでどうする」という言葉には、ほんとうに心の底から励まされます。

いわき市の被害の実情は、伝えても伝えても伝えきれないのが実態だと思います。

【豊間・坂本整形前】

【薄磯】

【薄磯北ノ作市営住宅前】

【久ノ浜町田ノ網】

【沼の内】

【永崎のクリニック・薬局】

いわきは安全/平街中の被害/涙が出る

党地区委員会として、原発事故とその現況、とりわけ放射線量に関する正確な知識と情報に基づき、市民が冷静に対応するように伝えてほしい旨、市災害対策本部と地元紙に要請しました。

きのう、小名浜生協病院では、被爆医療の専門家である斎藤紀[おさむ]・福島医療生協わたり病院医師が、現状ではいわき市内の放射線量では人体被害がごくごく少なく、安心して、地震、津波被害の復興に全力をあげてほしい、と話されました。

放射線防護学が専門の野口邦和氏によれば、福島市で観測された20マイクロシーベルトの10倍高くなるようなら、行政の指示がなくても一時的な避難を考える必要があるが、20マイクロシーベルト毎時の状況が長く続かず数日で収まるのであれば、避難することはないでしょう、とのこと。福島市では夕刻には10を切っていますし、いわき市は1を切っています。

こうしたことをふまえたきょうの要請でした。

避難先で疲弊したり、「いつ落ち着けるのかわからない」と困惑するより、いわき市内にとどまることがいちばん安全なのです。いま避難しなければならない状況でなく、復興にこそ全力をあげるべきときです。

【平二町目・角忠】

【平二町目・ナカノ洋品店】

【平三町目東急イン前歩道】

要請後、平の街中などの様子を見て歩きました。古い建物の倒壊・ひび割れなどや、道路・歩道の被害があります。平二町目の老舗の本屋さん「角忠(かどちゅう)」が跡形もなくくずれ、いまは瓦礫もなくなった姿は残念です。

【平五町目】

【平紺屋町】

【内郷小島町一丁目・二丁目交差点】

小名浜へ行き、市災害対策本部に渡した資料をもって支所に寄り、それから医療生協組合員宅をたずねて歩きました。親族が津波で亡くなられたかたもいらっしゃいます。

国策として原発政策を進めたこと、、医療、とりわけ医療機関と薬局を強制的に「分離」し、民営化を推し進めたこと、その政治と政治家の責任など、必然的な話題です。

きのうもきょうも、「お宅はまだ水が出ない地域。ウチは出始めたからこれまでためておいた水を持ってきな」といってくれるかた、「これはウチの手作りだ」と冷凍漬物を冷凍庫から取り出してくれるかた、涙が出るほどうれしいです。ありがとうございます。

市内では、きのうまでに水道復旧地域は3割ぐらいになったようです。

「市内状況がわからない」/自転車/放射線/漁港の被害など/薬不足

あの日から1週間。

この間、医療生協でお世話になっているかたがたの様子をうかがって歩いていますが、きのう、きょうと小名浜の生協総代さんなど組合員宅をたずねています。

すでに自宅から避難されているかたも少なくありませんが、ご自宅にとどまっているみなさんからは、なんと言うか、大歓迎を受けます。

「いわき市内の状況がさっぱりわからない」という高齢者に、その場でラジオの「FMいわき」(76.2MHz)をつけると、「これを知りたかったんだ」というかたが3人いらっしゃいました。

自転車屋さんは、「修理や、中古を売れるようにする作業で労働量が3倍になった」と。

みなさんから例外なく聞かれたり、話題になるのは放射線の影響。親族の電力会社社員から「報道と実際はぜんぜん違うよ」と聞かされていたご夫妻も。

いま発表されている数値から、健康被害がないことだけははっきりしていることを伝えるだけでも安心されます。問題は、今後待ち受けているありうる事態とその対処法がまったく伝えられていないことです。

【「小名浜漁協冷蔵庫」前】

【小名浜漁港】

【小名浜漁港】

そうこうしながらきょうは、県道小名浜港線の船引場から小名浜漁港に寄り、三崎公園入口までの被害の様子を見ました。

【小名浜下神白綱取】

【トンネルに小船】

【小名浜船引場】

【小名浜・天地閣・ホテル三崎入口】

【マルト御厩店】

午後には、いわき市立総合磐城共立病院をたずね、とくに「薬が足りない」という実情についてお話をうかがいました。病院前の民間調剤薬局は「5時間待ち」という状態でした。

「原発があるからこんな事態を招いたんだ」と、怒る患者さん。

市内の薬問屋さんの配送は徐々に動き出しているようです。

津波が貫通した施設/支援食料・物資/放射線測定

水道の復旧が始まりつつありますが、いまだ市内全域で断水です。

妻の叔父宅の井戸水が飲料用にも使える、とのこと。日ごろ行き来しているのに、こういう事態のときに初めて知るわけです。実家にも行って、トイレ用の水ももらってきました。実家では、魚介類卸をしている義兄から冷凍食材も。

【新舞子ハイツヘルスプール】

【新舞子ハイツ前道路】

実家の近くには、津波が直撃した海岸沿いにいわき新舞子ハイツや、長春館病院や老人保健施設のシーサイドパインビレッジがあります。

【長春館病院】

これらの施設の1階は、津波が「貫通」です。老健施設の裏の田んぼには、流された送迎車がまだそのままです。

【老健・シーサイドパインビレッジ裏の田】

【老健・シーサイドパインビレッジ】

小名浜生協病院へ行くと、福島県農民連や全日本民医連からの支援食料・物資が届けられています。きょうは日本療養病床協会からいわき市内の療養ベッドを持つ病院に支援物資が届けられました。

【病院・救援物資搬送】

【救援物資】

放射線技師がポータブルの電離箱式放射線測定装置で放射線を測定しています。通常は0.02~0.05マイクロシーベルトですが、きょうの午前11時は2.1マイクロシーベルト。通常値からは40~100倍というのが事実。

【放射線測定】

一方でいま、テレビ・ラジオで強調されているのは、「胃のエックス線検査一回の撮影で600マイクロシーベルトであり、観測されている値がただちに健康に影響は与えない」という事実。

問題はだから、政府が、最悪の事態が起こった場合の対処方針を持って伝えたうえで、正確な事実を公表する、という姿勢が見えないことだと思います。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」みたいな発表は、不安を広げるばかりです。

ガソリン6時間待ち/小名浜港1号・2号埠頭

事情がよくわからないのですが、「きょうはあそこのガソリンスタンドで給油している」と聞いたので、とにもかくにも並びました。

大地震後、給油している数少ないスタンド前は必ず大行列で、それを見て給油しているスタンドを知るのでした。

きょうはたまたま並ぶ前に情報を得たので並んだのですが、けっきょく6時間待ち。あきらめかけたときにタンクローリー車が入る姿を見かけ、ラッキーというほかありません。おかげで、雑誌『経済』(新日本出版社)4月号の特集「安全・安心の社会基盤整備へ」の諸論考、「地域主権改革」批判の2人の専門家へのインタビュー、来年度国家予算案に関する論文を車中で読むことができました。

【いわき・ら・ら・ミュウ】

小名浜港の1号埠頭(いわき・ら・ら・ミュウ)・2号埠頭(アクアマリンふくしま)に寄ってみました。

【一号埠頭】

ここは津波直撃を受け、当日のテレビ放映や翌日の新聞でも写真報道されていました。1号埠頭には「なぜこんなものが陸上に?」と思わざるを得ないような船が打ち上げられ、ら・ら・ミュウの中の店舗は無残です。

片付けようにも片付けようのない現場に来ていたお店のかたは、「復興がいつになるやら、数年はかかりそうだ」とおっしゃっています。

【アクアマリンバス昇降口】

アクアマリン前のバス昇降場や駐車場、入口前の高速バス利用者専用駐車場、近接の福島臨海鉄道、1号・2号埠頭の間の倉庫前のコンテナ散乱や流された車など、津波被害はほんとうに甚大です。

【小名浜・高速バス利用者パーキング】

【小名浜・倉庫】

配達中止/井戸水をトイレ用に/被災予防/安全神話

【永崎・大平川橋決壊】

【江名・江の浦】

けさの一般紙2紙の折り込みチラシは新聞店による配達中止のお知らせ。

社員・配達員の被災・避難、原発災害による健康被害防止、ガソリン枯渇が理由です。いますべての事業所、住民がこうした事態に直面しています。

近くの小学校に、津波で家を流された医療生協職員家族が避難してきている、と聞き、見舞いに行きました。私も2日前にまったく家がなくなっている現場をシカと目に焼きつけていた職員です。

いっしょに仕事をしていた人であり、家族全員がぶじで、ほんとうによかった!

妻の実家に寄り、畑用の井戸水をもらってきました。トイレ用です。とにかく水道復旧の見込みがなく、そのうえ原発震災で外に出ることは控えなければなりませんから、もうたいへんです。

【小名浜四倉線・沼の内】

それにしてもいわき市に住んでいる以上、少なくとも被災を軽減・予防する知恵を活かすためにも、今回の災害を後世に残さねば、という気持ちが先走るので、海岸沿いの平沼ノ内・豊間、江名・永崎と見てまわりました。

【波打つ小名浜四倉線・沼の内】

【平豊間兎渡路】

国際競争力だとか自己責任だとか、こうした事態のもとで言っていられますか? 住民の福祉こそ政治と行政の最優先の課題だ、ということこそはっきりしているのではないですか?

原発震災では、事業者から「事象はありましたが心配ありません」「安全です」「健全性は保たれています」と聞かされるばかり。政府も「事業者から問題ないと報告を受けています」。

何があっても安全だ、という「安全神話」が崩壊している事態に至っても、住民の福祉よりも神話に縛られているというほかないと思います。

大地震の日から5日間、水がないために風呂にも入れず、頭も洗えず、節水の極限です。

放射能から身を守るには

原子炉から放射能が放出されてしまったら、私たち自身が自分で身を守らなければならなくなります。とくに子どもと妊婦(胎児)を放射線被ばくから最優先に保護しなければなりません。年齢が低くなればなるほど放射線被ばくの影響が大きくなるからです。

被ばくを軽減するための一般的な注意

放射能雲は、ガス状のものと1000分の1ミリ程度の超微粒子で成り立っています。超微粒子は触れるものすべてに付着するので、呼吸で吸い込んだ場合はすべて肺に残ると考えなければなりません。したがって、自分の住居が放射能雲の通路に当たると考えられる場合は、緊急避難が必要な場合も、そうでない場合も、次の措置が肝要です。

①窓を閉め、すき間を目張りして家屋を気密にする。ビルなどの空調は止める。日本様式の家屋は気密性が悪いので、その場合はできるだけ気密のよい家屋に避難させてもらう。

②市役所が保管しているヨウ素剤を指示に従って服用する。

③放射能雲に巻き込まれている間とその後しばらくは、屋内でも何枚も重ねた濡れタオルをマスクにして、直接空気を吸わないようにする。また、できるだけ家屋の奥、つまり外部とひとつでも多くの壁で隔てられているような場所がよい。2階よりも1階、1階よりも地下室があればもっとよい。窓のそばに長くいるのは禁物である。

④ありとあらゆる容器に飲料水をためる。風呂桶を洗って水で満タンにする。すべてにフタをきちんとする。これらは当座の飲料水である。保存食をできるだけ確保する。

⑤放射能雲に巻き込まれている間は外出を控える。もしどうしても外出する必要が生じたときは、帰宅後、衣服を着替え、脱いだものは屋外に廃棄する。

⑥放射能雲が到着したあとは、井戸水はもちろん水道水も飲まないほうがよい。

⑦雨や雪が降っている場合は特別な注意が必要である。浮遊している放射能超微粒子は雨や雪に付きやすく、雨粒や雪には上空から地上までの広い範囲の放射能が濃縮されているからである。雪が積もった場合は、それがとけるまで放射能はそのままの状態で固定されているが、雨の場合も雪の場合も、降らない場合にくらべて数十倍も地面汚染が強いと考えておかなければならない。衣服についた雪は払うこと、水たまりには近づかないことなどの注意が必要である。