自宅にいたら、小名浜の避難所にいる、というかたから電話。
いっしょに避難所にいるかたのご家族についての相談でした。ともかく避難所に出向き、お話を聞きました。
家族は4人。ご両親と本人と娘さん。お父さんは気管切開で言葉が発せなく、必ずしも健康体ではない状態。お母さんが透析を受けていて、きょうも受け入れてくれた医療機関へ行っていました。自宅は津波で床上まで浸水したものの、2~3か月あれば住めるようにできそうなので、その間の住む家をなんとかしたい、ということでした。
被災者のこれからの「住む家」問題は深刻です。いわきの場合、家そのものを流されてしまったり、このかたのように時間があれば自力で住めるようにできる程度の被害だったり、そのうえ、原発災害でいわきに避難せざるを得ない市外のかただったり、あまりに多くの避難者の住む家が必要になっており、市だけでは対応しようがなく、国・県や、東京電力が責任をもつべき事態にもなっているわけです。
そうこうしていたら、この避難所にガソリン切れでとどまらざるを得なかった楢葉町のかた。障害者手帳をもつ目が不自由なかたで、処方箋があるので薬局に行きたい、と。
避難所の市職員や保健所に開いている薬局情報を聞き、処方してくれる薬局に案内することができました。
【岡小名 高田公園】
その帰り、小名浜花畑町の高田公園を通りかかると、消防自動車。公園内の防火用水槽がある部分が盛り上がっているのか、その回りが地盤沈下したのか、ただちには判断しかねるような場所。
【岡小名・高田公園】
公園内には、水が噴出して液状化したような様子。地震によってどこで何が起こったかすら、いまだ全貌がつかめていない状態のようです。
小名浜生協病院に寄ると、ちょうど拡大職責者打ち合わせ。地震後、毎日、朝と昼と、院内や市内のいろんな情報を共有する場としています。
家にもどってからは、町内ご近所の「しんぶん赤旗」日曜版読者宅に2日前の日付の新聞を、お話をうかがいながら配りました。いつもは地元の党員が配ってくれていて、たぶん、配るだけなら1時間ですみそうですが、4時間かかりました。
もちろん、地震当日のことや、その後の原発事故のことや、ご近所の様子のことや、話し出すと尽きないのです。