農村部で訴え/プルサーマル/懇談会

午前中は草野(くさの)地域の農村部の4か所の街頭から訴えました。

それぞれの場所で拍手や声援をいただき、こうして話をして歩くことの意義をわれながら実感しています。

正午をはさんでは、「原発の安全性を求める福島県連絡会」と「いわき市原発の安全性を求める会」として、いわき駅前での宣伝行動。安全性も必要性もないのに福島県が導入しようとしているプルサーマル計画について、県民の声を聞くことが大前提のはずなのに、それすらしない県政の問題を訴えました。

午後2時からは平地域で「くらしについて考えるつどい」でお話しをさせていただきました。

介護保険制度にかかわる問題、民主党の表紙だけが変わって政治の中身はどうなのか、といった問題、大企業・財界の言いなりの政治が民主党政権でも変わらないこと、普天間基地でも自民党時代にもどってしまったことなど、いろいろな意見交換ができた有意義なつどいでした。

政治屋/対話/理事会/海岸街宣

午前中は小名浜の地域後援会員と赤旗読者や元読者、私の高校同級生実家などを訪問しました。

ほんとうに率直な話が聞けます。「ウソを公然とつかれるのでは、投票することそのものに疑問を感じる。政治を真剣に考える政治家ではなく、政治を自分の生活の糧にするだけの政治屋としか見られなくなってしまう」、「新党があれこれ生まれ、首相が辞め、私たちはどうしたらいいのか、共産党の話をじっくり聞きたかった」。対話は重要です。

午後は浜通り医療生協総代会の議案を決定する理事会に出席。

終了後、2人の後援会員といっしょに海岸沿いの4か所の街頭から訴えて歩きました。ある漁港では漁業者が出てきてくれ、「民主党にはほとほとあきれた。政治を変える絶好のチャンスだと思っている。共産党の出番だ」とハッパをかけられた思いです。

自転車に乗って来てくれて、「共産党の言うことがいちばんまともだと思って投票してきた。いよいよそういう時代だ」と言ってくださるかた。

ガッツポーズ・Vサイン/妻の実家地域/中身は変わらない

鳩山首相辞任後の最初の朝の定時定点での街宣では、4方向から通勤するそれぞれの車から声援があります。とくにガッツポーズやⅤサインにはこちらも力が入ります。

午前中は妻の実家がある地域の7か所の街頭から訴えました。わざわざ「妻の実家がある地域」というのも、義父の友人というかたが「おまえがシゲちゃんの息子か、初めて会えた」と言って拍手してくれたり、叔父が「外には出てこないが家の中で聞いている人がけっこういるんだぞ」と言ってくれたりするもんですから。

確かに、話し終えると家の中から拍手するかたがあり、ごあいさつに寄ると、「言うとおりだよ。私の身近に契約期間が切れた、と言って仕事がない若い人たちがいる。こんな世の中にした政治は変えないとならない」とエールを送られました。

午後の行動予定時間に突然の雷雨。読みかけの『思い出袋』(鶴見俊輔著)を急いで読みきったしだいです。

1時間半後、雨があがってから平地域の後援会員とお知り合い宅を訪問しました。ちょうど菅直人首相が生まれた直後でしたが、民主党の公約破りの8か月半に責任がある人物であり、表紙が変わるだけで中身が変わるとは思えない、共産党がちゃんとがんばってくれ、応援する、という声が多い訪問でした。

ペロはきのう「散髪」しました。

思い出袋/「勁く」/「北斗七星」

『思い出袋』(鶴見俊輔著、岩波新書)を読みました。岩波書店の読書家の雑誌『図書』に80歳から7年にわたって連載した「一月一話」をまとめ、終章に「書ききれなかったこと」を書き下ろした本です。

80代の戦後思想史の専門家がどんな言葉を残してくれているのだろうか、という関心から読みました。こうしたかたがたが残してくれる言葉は財産だと思うので。

それより、オビに「勁くしなやかな思想と言葉」と書いてあるのですが、「勁く」が読めなくて、ほんとうに久しぶりに漢和辞典を調べました。「つよく」と読みます。

鶴見さんは、「九条の会」呼びかけ人の一人でもありますが、私の頭に強烈に残っているのが大学時代に読んだ久野収さんとの共著『現代日本の思想』(岩波新書、1956年発行)の次の言葉です。

「すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。それは、北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか、自分がどれほど駄目な人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、1926年(昭和元年)から1945年(昭和20年)まで、日本の知識人によって用いられてきた」。

普天間基地解決の道(「かけはし」6月号)

民主党としての公約反故

5月28日、日米両政府が普天間基地の沖縄県内移設と全国へ米軍の訓練を拡散する日米合意をかわしました。

鳩山首相が辞任を表明したのはその5日後です。

辞任の理由に普天間問題をあげたものの、「名護市辺野古移設」を撤回しませんでした。

この日米合意は、菅首相になったからといってなくなるわけではありません。民主党とその政権が進めたものだからです。

民主党は旧自公政権が結んだ米軍再編計画について「見直しの方向で臨む」としていたのです。

ところが民主党政権下の日米合意では、旧自公政権時の「再編案を着実に実施する決意を確認した」のですから、党として公約を完璧なまでに反故にしたのです。

生活の場だった「普天間基地」

 普天間基地の場所にはかつて、民家も、村役場も、国民学校も、郵便局も、墓地も、サトウキビをしぼって黒糖をつくる製造所もあった生活の場だったそうです。

 1945年3月下旬、アジア・太平洋戦争の末期、米軍が上陸し、地上戦が始まりました。住民は収容所に強制的に収容され、同年6月、日本本土を攻撃するために建設されたのが普天間基地です。

 基地は、サンフランシスコ条約が締結された1951年以降も、米軍が銃剣とブルドーザーによって、抵抗する住民を強制的に排除し、さらに拡張されました。

無条件撤去が解決の道

 ハーグ陸戦法規では、戦闘状態でも、敵国の民衆の財産権は侵害しない、戦闘が終わったらすみやかに返還するべき、と規定しています。

 普天間基地は、この戦争法に反し、米軍が住民の土地を強奪してつくった基地です。返すのが当たり前で、返すのに条件をつけるほうがおかしいのです。

 だから、無条件撤去こそが普天間基地解決の唯一の道です。

首相辞任の根本/ゆがみをただす転換

普天間の問題も、「政治とカネ」の問題も、後期高齢者医療制度の問題も、労働者派遣法の問題も、なぜ公約した方向すら示せず、鳩山政権が転落したかといえば、けっきょく、旧自公政権時代の政治の異常なゆがみをただせないからです。

「海兵隊は抑止力」というアメリカの論理に屈し、学べば学ぶほど抑止力が尊いものと察してしまい、普天間基地の県内移設と全国への拡散という、自公案よりも悪い日米合意です。

財界が社会保障抑制の号令をかけると、後期高齢者医療制度の撤廃を4年後まで先送りし、「うば捨て山」を拡大する新制度の検討です。

労働者派遣法改定も、財界の圧力で抜け穴だらけ。使い捨て労働温存法案です。

日本経団連が4月13日、「成長戦略」の名で「法人税減税」「消費税増税」の方向を打ち出すと、内閣中枢からいっせいにこれに呼応する発言。

アメリカと財界にモノが言えないという政治のゆがみが鳩山首相辞任の根本であり、このゆがみを正して政治を転換することがいま大事です。

「安定した指導者の不在」「政治手法や体質の違い」をあれこれあげつらってもいいのですが、政治の根本を議論したいものです。

朝のなじみ/首相辞任/自民と変わらない/「聞く耳」

いつものように朝8時をはさむ「定時定点」は福島高専近くの街道沿い。すっかりなじみのかたも生まれ、窓を全開して声をかけてくれるかたも。

10時からは内郷地域での毎週定例の行動。鳩山首相辞任の報が流れた直後でした。

首相がやめれば済むような公約破りではなく、民主党政権そのもの、民主党そのものの問題です。けっきょく、アメリカにもモノが言えない、献金をもらう財界にもモノが言えない、ここに、自民党政治を変えてほしいと願った国民の願いを裏切る最大の問題があることを4か所の街頭で訴えて歩きました。

午後は地元の後援会員とご近所を訪問。首相の辞任に「びっくりした」というかたも少なくありませんが、期待したのに自民党とぜんぜん変わらない、という声が圧倒的でした。「アメリカにもしっかりとモノを言う、財界にも社会的責任を果たしてもらう、それが日本の今の政治に必要」というのが大きな流れだと思います。

それにしても、鳩山首相としての最後の話が「国民のみなさんが聞く耳をもたなくなった」。どこまで国民を愚弄するのでしょう。

冷たい大気/朝・午前・午後と街宣/出会い

きょうから衣替えですが、朝から街頭で話すには、ちょっと冷たく感じる大気。透き通る青空ではありましたが、衣替えには至りませんでした。

火曜日は7時半には家を出て、小名浜での定時定点の街宣。江名地域の後援会ご夫妻が旗持ちと手振りに出てきてくれました。通勤されるみなさんの様子に、日に日に選挙モードが高まる印象です。

午前中は平東部地域の後援会のかたに運転してもらって、5か所の街頭から訴え。後半2か所は回りが田んぼの農村地域でしたが、街宣中に飲み物の差し入れをいただいたり、話し終えたら農作業を中断して拍手していただいたり。

午後は平北部地域の後援会員のみなさんとチラシまきと宣伝行動。私は2人といっしょに6か所の街宣。

「義理の妹があんたの話をよくしてる」とか、「息子があなたのずいぶん下の後輩だが、よく知ってるんだ」とか、意外な出会いがありました。