市川房枝さんの精神/赤旗の潮流/マスコミの機能

ここ数日の菅新首相誕生を大歓迎するかのようなテレビ編集報道を見たかたも多いと思います。

故市川房枝さんの選挙事務長を20代で務め、「革新無所属」で国政選挙に立候補し、「七転び八起き」の政治家人生で、いかにも市川さんの精神を受け継ぐ市民運動家、といった調子に私には見えました。

きょうの「しんぶん赤旗」の1面の「潮流」では、「市川さんの精神」から遠く離れてしまった菅首相の姿勢を浮き彫りにしています。

市川さんは1970年6月、平塚らいてうさんら9人の女性で発表した声明で「いまだに沖縄をはじめ全国にアメリカの基地があり…外交にまで介入されることを許したまま今日になっております」として、安保条約廃棄を訴えていました。

77年の「私の国会報告」では、菅さんが国政選挙に立候補したことを受けて「私の名をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たち…にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異なっていた」と戸惑っていました。

ともかく、官房機密費がマスコミにさかんに登場する政治評論家に渡っていたとわかってもほとんど突っ込みがないのはほんとうに残念ですが、「権力監視」「社会の木鐸(ぼくたく)」の大手マスコミによる機能再生はあるのでしょうか。

そういう思いをいだきながら、朝の定時定点街宣をしました。