自民党政治が身についていない自民党化した民主党

地元の党内会議がありました。

保育士さんから、自治体の保育義務をなくす「子ども・子育て新システム」はやめさせないとならない、と発言がありました。

まさにそのとおりで、私も4日前の県議会質問で、「高齢者、障がい者、子どもたちの権利を保障するはずの社会保障がすべからく自己責任の世界におとしめられ、その結果が大震災と原発震災による悲劇を拡大した」「こんな悲劇の条件を拡大するような『子ども・子育て新システム』について、県はどのような受け止めをしていますか」と聞いたのです。

国と自治体の保育実施義務をなくし、子どもの「保育を受ける権利」の保障を放棄し、保育を保護者が市場から「自己責任」で購入するしくみに変え、「多様な保育事業の量的拡大」と言って株式会社にも保育現場を「開放」し、民間に放り投げるのです。

これ以上制度が持たないといわれている介護保険制度のしくみそのものを保育にも持ち込もうというわけです。

民主党は短期間の3代目にして完全に「自民党化」したのですが、自民党政治が身についていないので、していることの意味が自分でも分かっていないようなのです。

改善要望/地盤沈下と海岸線/白鳥/理事会

匿名の手紙で、改善してほしい道路箇所がある、とのことで行ってみました。

北上する国道6号線から、右側に県道245号線に折れる場所です。相談を寄せてくれるかたは切実だと思いますが、ただちには分かりません。

より具体的にお教えいただけると幸いです。

すぐそばに大久(おおひさ)川河口。ずっと海側だった海岸線が、3・11の地盤沈下によって、橋の下にまで「のぼって」います。

家にもどる途中、平高久(たいら・たかく)地域の滑津(なめつ)川近くの田んぼでは白鳥たちが食事中でした。

午後は浜通り医療生協の理事会に参加。医療福祉生協の全国会議で震災後の活動を報告した様子の再現もありました。

「子どもチーム」/一般質問最終日

午前中、ふくしま復興共同センター(東日本大震災・原発事故被害の救援・復興をめざす福島県共同センター)の「子どもチーム」と懇談・意見交換しました。

この間、「子どもチーム」は、福島市や県、復興庁や中央省庁などとの交渉や申し入れなど、なによりも子どもたち自身が発している声を親としてそのまま伝えています。

外で遊ぶ子どもたちのテレビでの映像を見て、「放射能の影響はないの?」みたいなひとことを、どう受け止めたらいいのでしょうか?

午後は本会議で一般質問の最終日。自民、民主・県民連合、自民、未来ネット、公明党の5人。

民主・県民連合からは、「県議会唯一の社会民主党議員」と断っての質問でした。なぜ民主党と会派を組むのか、私にはさっぱり分かりません。

私が質問に立ったおとといは、自民、民主・県民連合、自民、私、公明の順でした。

高校卒業式/出身職場

議会は「議事都合」による休会ですが、県立高校卒業証書授与式なのです。

私は、自宅からすぐ近くのいわき光洋高校の卒業式に、議長の祝辞をたずさえて参加しました。

この高校は、2004年にこの地に新築移転したのですが、校門を出てからの通学路に街灯がなくて不安だ、と地元の自治会と保護者から相談があり、当時の校長先生に話を聞き、市や県に設置を求めた経緯がありました。

冒頭、そうしたことに触れ、議長祝辞を代読しました。

議会会期中にはなかなか寄れない出身職場の小名浜生協病院にも顔を出しました。

県が原産協会から退会

きのうの私の質問で、福島県は日本原子力産業協会(原産協会)を昨年10月に退会していたと答弁しました。1960(昭和35)年から51年にわたる会員でした。

原産協会は、その前身が原子力産業会議といって、1956(昭和31)年に、日本の主要企業と基幹産業をほぼ総結集して原発推進のためにつくられた組織です。

創立50周年の2006年に「自ら戦略的に行動する団体」になる、として名称変更していました。

『原発にしがみつく人びとの群れ』(小松公生著、新日本出版社)を読み、たぶん2月上旬だったと思いますが、原産協会のホームページを見て、「1月25日現在」の会員名簿を見ると、「福島県」がしっかりと入っていたのです。

そこで質問することにしました。

そして、2月20日になってからの週だったと思いますが、同じ「1月25日現在」の会員名簿から福島県が消えていました。

とはいえ、ひとつの区切りとして質問に残し、答弁を求めたのでした。

きょうもまだ「1月25日現在」の会員名簿が原産協会のホームページに掲載されています。かなりずさんな組織管理なんだと思います。