吐気止め薬で治療「終了」/「経済」誌/みぞれ・大雪・夕焼け

おとといから、入院定期内服薬といっしょに服薬している3日分の吐き気止めの最後のカプセル剤の服用とあわせ、きょうはきのうまでの治療の延長というか、一環としての吐き気止め・副作用抑制剤の点滴を午前中1時間ばかり。きょうはこれらのみにて、「終了」です。

あしたからまた白血球を増やすための皮下注射が始まります。

また、来週には月・金予定で採血し、その血液検査結果によって、また対応が決められます。きのうの主治医の話では、この間の3度の経験則から、赤血球不足や血小板不足を補う輸血の実施がまたあるかもしれない、と。

ともかく私としても、副作用のなかでの体調不良のもとで転院を迎えたくないので、30日ないし31日までには最善の治療によって転院に耐えうる体調にもっていかないとなりません。これを前後し、午前中は『経済』2月号の特集「2017年の日本経済をどうみるか」を読んでいました。私にとって生きた経済は、理解するのがいつも難儀です。午後3時ごろには、それまではみぞれ様だったモノが大雪模様。とはいえ、道路にも積もる様子はなく、2時間後には雪もやみ、雲も切れ、夕焼け模様が見えるほどでした。

柳家小三治の落語6

『柳家小三治の落語6』(小学館文庫)を読みました。1991年から2000年にかけての7演目の口演の文庫化です。そもそもなぜ私が小三治落語の文庫を「集め」始めて読み始めたか。10年ほど前の「赤旗まつり」青空寄席に小三治師匠が登場し、そのナマ落語を聞いて引き寄せられたことがきっかけと記憶しています。その1年後に『柳家小三治の落語1』が発行されたのではなかったでしょうか(なお、こちらも)。半年せずに「3」まで発行され、まとめて購入したものの、ついに読みもせず、今回の療養・入院生活まで「俟つ」こととなってしまいました。ここまでくれば、ビジュアル版も見たくなります。

広野町・高野病院の常勤医/「医師確保は長期戦」と県幹部/きょうも12時間治療コース

広野町・高野病院の2~3月の常勤医兼臨時院長が決定したとのニュースを1月12日付各紙が報じています。私の手元は地元紙「福島民友」。なお、「朝日新聞」福島・浜通り版では、県幹部は「医師確保は簡単ではない。長期戦になる」と話しており、対応に苦慮している、と署名記事。4日の知事会見で、医師確保を支援する考えを示したこととかかわってのようです。さてきょうもまた、化学療法剤のシタラビンメインの12時間コース治療。順調に推移し、現在(20時半)はきょう最後の点滴である3時間のシタラビン。きのうとほぼ同じペースで、午後10時半には終わる予定。
もっとも夕べはやや間延びして午後11時近くになりました。

12時間コースの治療

きのうのリツキサンに続き、きょうとあしたは化学療法剤シタラビンをメインとした12時間コースの治療。まずは朝のうちに吐き気止めのカプセル剤を服用。点滴治療は若干遅れて午前11時近くに吐き気止めと副作用抑制剤の開始。これが約1時間。

次にシタラビン3時間。続いてアミノ酸補給のアミパレン200ml2時間を2本、計4時間。次にまた吐き気止めを1時間。

最後にシタラビン3時間。終了は午後10時半です。

広野町・高野病院への支援/「どこでも起こり得る問題」/思い出すことしきり

広野町が町唯一の高野病院の常勤医不在の事態に、クラウドファンディングを活用してインターネット上で寄付金を9日から受け付け開始したきのう、きょうの地元紙「福島民友」の記事です。「支援する会」の医師の言葉、「原発事故の被災地にとどまらず、過疎地域ではとこでも起こり得る問題であり、全国の人に自分のこととて考えてほしい」は、医療提供など医療制度に責任をもつ国の為政者に向けた言葉でもあると、私は受け止めます。

高野病院のことでは、東京新聞記者による『高野病院奮戦記』いわき市病院協議会行事選挙での訪問など、思い出すことしきりです。

CT・リツキサン

朝一番で腹部のCT撮影をしました。10時半ごろから分子標的薬・リツキサンの点滴治療開始、午後3時半ぐらいには終了。

その後、朝のCT撮影結果について、主治医から説明を受けました。再発発見時の腹水部のふくらみ(?)が小さくなってきているのは間違いないが、薬ではなくなっていないので、骨髄移植など別の治療が必要ではないか、との話です。

別れ/指先を擦りむく転倒/体重58kg超

別れを惜しむけさのペロ。おおまじめに、転院後は、妻の実家にあずけるかもしれないので、もしかすると今後数か月間、会えないかもしれないのです。

さて、病院へ戻り、車から降りようとしたら、ちょっとしたことで転倒。転倒と言っても、左手の小指の先と中指がコンクリートの地面についてしまい、それぞれ1mm程度を擦りむき、小指の先からは出血。「骨髄抑制」を伴う治療をし、白血球も減らしているときにばい菌などが入るとたいへん危険です。病室へ戻ってただちに処置してもらいました。

夕食後、体重計にのると、58kg超。自宅で食べすぎ?

自宅での入浴

今回の自宅外泊で、何がよかったかといって、入浴です。

ゆっくり入ってゆったりして、暖まって、全身も頭も洗って、すっきりです。

この間の病院では、点滴針を刺したままの状態の日が多かったうえ、針をはずした日も、必ずしも体調がすぐれず、フラフラ感もあって、倒れるのも嫌なので、少し広い風呂場は避けていました。
その代わり、夕刻に来てもらう妻に体を拭いてもらう日々なのでした。

きょうから2泊3日の自宅外泊/10~12日は治療日程

「保険外負担のお金」問題さえなければ、10日には転院予定でしたが、「先立つもの」の話があとから出てきて、身も心もきのうはすったもんだでした。ともかく10日の転院日程はなくなったことで、10日~12日はこちらでの化学療法による治療日程が入りました。また、きょう(7日)から9日までは2泊3日の自宅外泊。気分を入れ替えてきます。

転院は今月末へ先延ばし/「同種造血幹細胞移植」

きのうは、「善は急げ」と来週10日にも転院予定と書きましたが、その病院からその後にあった連絡によると、確保している唯一の病室の保険外部屋代が、私の感覚では観光地優良ホテル並みでおよそ数か月間分の支払いがまず不能。家族とのメールでのやり取り、転院予定先病院との間に入ってもらっているこちらの病院の看護師長さんや医師の手も煩わせ、やっと方向を確認。今月末の30日ないし31日に転院を先延ばしすることで具体的調整です。どんな治療をしに行くかというと、悪性リンパ腫が再発した場合やほかの治療法で効果がないときの手段としての造血幹細胞(骨髄)移植です。移植にもいくつか方法があって、私の場合は、血清や遺伝子の型が適合するドナーから造血幹細胞を提供してもらう「同種造血幹細胞移植」です。実はドナーはすでに決まっています。

ともかく、こちらでし残した化学療法の数クール実施後ということになるので、移植そのものは3月ぐらいになるんでしょうか。物の本によれば、「造血幹細胞移植は、移植前に強力な化学療法や放射線療法をおこなううえ、移植後に強い副作用が起こるリスクもあるため、全身状態が比較的よい人が対象になります」(飛内賢正・監修『健康ライブラリー イラスト版 血液のがん』(講談社))。