『福島原発22キロ 高野病院奮戦記』(井上能行著、東京新聞)を読みました。
高野病院は広野町にある唯一の病院で、内科(療養病棟)65ベッド、精神病棟53ベッドの病院です。
3・11時には入院患者が101人(外泊が+6人)。12日午後3時36分、第一原発1号機で爆発音、14日午前11時1分、第一原発3号機建屋が水素爆発、15日午後6時過ぎ、第一原発2号機で爆発音。
広野町は12日に町民に自主避難勧告を出し、13日には避難指示。
広野病院は避難せず、町民のいない町に残り、残さなければならない患者を院長が37人に決断。
停電後の自家発電、食料調達も困難ななか、食事も、睡眠も、震災前に近い状態で入院生活を支えました。
著者は、「笑って読んだが、防災に役立つヒントが得られたという本を書きたかった。ピッタリの人が見つかったというわけだ」と書いていますが、その人が「じむちょー」の高野己保(みお)さん。
震災前から病院ブログで名前を名乗らずに「じむちょー」と書き綴っていましたが、震災後の3月21に再開・アップ時からは2か月間、「高野病院事務長の高野です」と名前を出し、病院や患者やスタッフの実情を知らせ続けました。
今現在も、地域医療を地道に支える民間病院として奮戦継続中です。あの原発震災から3年間、日の当たらない「奮戦」は山ほどあろうかと思います。よくぞ書いてくれた、の思いです。