いわき公園/小振りコースで散歩/注目はつねにペロ/革新懇が原発ゼロシンポ

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両足のひざ下筋肉痛をおしての散歩はきょうは県営いわき公園

調子のいい時に公園全体をひと回りするようなコースも歩こうと思いますが、きょうは少し小振りに。

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メインエントランスゾーンの駐車場から遊歩道に入り林間アドベンチャーゾーン。

途中、サルやマムシに注意の看板。以前はマムシの看板だけだったように記憶しますが…

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しばらく歩いて池が見え始めるとピクニックゾーンとの境界。

上に森のワクワク橋をながめながら左に折れ、アミューズメントゾーンへ。

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2~3か月後に見ごろを迎えるだろうしょうぶ園を横切ると、

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すぐ目の前に、これまた秋には歩かないとならないもみじの坂。

登り切ってまた遊歩道に出て左手に向かい、管理棟を左に見ながら、メインエントランスゾーンに戻るルート。

ペロにとっては最高の散歩でしょう。すれ違う老若男女のみなさんから注目されるのもつねにペロ。

今週の11日は「3・11」から5年の節目の年です。追悼や祈り、安心して暮らせる原発ゼロの日本社会をテーマとした様ざまな行事もあったようです。

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全国革新懇(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会)と福島県革新懇は、シンポジウム「原発ゼロをめざして今、福島から―あの日から5年」を二本松市の県男女共生センターを会場に開きました。

「原発事故後5年 福島県民の現状と問題点」をテーマに原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さん(全国革新懇代表世話人・浜通り医療生協理事長)、「福島県民は訴える 原発事故をくぐり抜けて」をテーマに社会福祉法人・希望の杜福祉会結いの里(楢葉町)施設長・浜通り医療生協理事の早川千枝子さん、「科学者として、福島から問う」をテーマに立命館大学名誉教授の安斎育郎さん、「原発ゼロへの展望 ~いま、何が問われているか」をテーマに日本共産党の志位和夫委員長(全国革新懇代表世話人)が報告し、福島の現状と問題点、原発ゼロへの展望を討論。

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参加はかなわないので、くまがい智・参院福島選挙区予定候補、神山悦子県議のフェイスブックからその様子を垣間見ました。

また家では、びわ湖毎日マラソンもですが、午前・午後と、「3・11」をテーマにした報道や特集番組をテレビで意識的に視聴です。どれを見ても「被災者一人ひとりの復興は始まったところ」、「汚染水対策・廃炉作業は入口」、「再稼働の動きに福島の教訓を生かそうとする意思はない」。

直截的表現かはともかく、そういうことがわかる番組で、これからもこの種の番組の放映が続くと思います。多くの人に見てもらいたいと思います。

マタハラ

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『マタハラ問題』(小酒部さやか著、ちくま新書)を読みました。

あまりに私が世間知らずなのですが、まず驚くのが、第1章の「私のマタハラ体験」が64ページにわたり、4人の男性上司からあれやこれや。その失望、悲しみ、怒り、憎しみ…。

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その会社は、「厚生労働省が発行する子育てサポート企業の認定マークである“くるみん”を取得」し、「ワークライフバランス、女性が働きやすい会社」を謳い文句とし、著者としても「こういう企業であれば仕事とプライベートを両立できる」と思い、やり甲斐を感じていました。

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そんな時に、妊娠・流産…。驚くべき体験が64ページに綴られます。

この経済先進国・日本にマタハラ問題がはびこるのは、性別役割分業の意識、長時間労働の二つの理由があること、マタハラは人権問題であるだけでなく、労働問題であり、ひいては日本の経済問題であり、経営問題として企業が向き合わなければ問題だと強調します。

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そしてもう一つ驚いたのは、著者は自らのマタハラ体験を契機に「マタハラNet~マタニティハラスメント対策ネットワーク~」を2014年7月に立ち上げると、その8か月後、アメリカ国務省から「世界の勇気ある女性賞」を受賞した、とのこと。

日本において“マタハラ問題”という国民的な議論を巻き起こしたことが受賞の理由なんだそうです。

 

ひざから下の筋肉痛/神社を通って住宅地

けさ起きると、ふくらはぎだけでなく、ひざから下の骨のまわりの筋肉痛。

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手元にあるずいぶん昔の『人体の図詳図鑑』(学習研究社、1994年)を見ると、前脛骨筋、長腓骨筋、腓腹筋。

久しぶりにまともに歩いたからとはいえ、ちょっと先が思いやられる体力回復へ向けた始動…

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きょうもまた、そんな筋肉痛に負けじと、きのうとは違うルートをペロと散歩。

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上に見えるバイパス道路のこの地域の出入り口が右側200mほどのところにあって、朝の定時定点の街頭宣伝をしている(た)場所でもあります。

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ここからしばらく歩くと、佐麻久嶺(さまくみね)神社南側の参道。

境内には、いわき市内でも最古と言われる樹齢千年を超える杉の巨木。「御神木」です。

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北側の参道を降りると、「佐麻久嶺神社社叢の暖地植生」の標柱。

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この北側参道の真ん前が、私が住む郷ヶ丘の隣りの住宅地です。

先ほどのバイパスを通すことによる騒音防止の役割を持った公園は、この地域の住民のみなさんの運動が実現させた、と聞いています。

小池副委員長質疑視聴/ペロと2時間ばかりの散歩/震災直後以来の場も

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長期間の入院から解放されて最初の自宅での朝は、入院暮らしの延長のようで、午前4時前に目覚め。

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ネットチェックのついでに、きのうの参院予算委での小池晃副委員長質疑をYouTube録画で視聴です。

消費税増税をもくろみながら社会保障切り捨てを次つぎと企画・実行して国民の生活を持続不可能に導く安倍政治を告発し、貧困・格差拡大の政治転換と安倍政権打倒の決意を語る姿勢に頭もすっかり覚めました。

けさも快調にテレビ体操から。

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午前中、ペロといつ以来になるのか、ともかく半年ぶりぐらいに散歩。

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当面の体力回復運動の始動でもあり、2時間ばかり、ゆっくりと歩いてみました。

かつてのルートから少し足を延ばして、といっても、1、2度は寄った場所。

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青年会名の「講和記念」の碑があります。

瑞光寺(ずいこうじ)はたまたま震災直後にその存在を知って寄って以来なので、ほぼ5年ぶり。

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天田愚庵(あまだ・ぐあん)の漢詩碑があることにその時になぜ気づいたのか、ぜんぜん思い出せなく、一つのストレス要因となってしまいました。

この午前中の久しぶりの散歩の疲れかどうか、午後は休む(寝る)時間帯が長かったような。

退院荷造り/給食完食/これから先のこと

午前中、入院中の病室で退院のための荷造り。

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【2016.03.03 朝食】

きのうの血液検査結果によってきょう退院、ということでもあり、小一時間はかかったかも。

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【2016.03.03 昼食】

病院での食事もきょうの昼食まで。

ついに提供されたすべての食事を完食しました。

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退院時体重もいちおう記録。数百gの違いは、着ていたり、羽織っているもので違ってくるのを正確に見ていなかったことを今ごろ反省。

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家に戻ると、半年間の仕事をし終えたようなホッとした感じと、呆然とした感じ。

かえって、入院中よりもしっかり休んで、その後の体力・筋力回復の「リハビリ」にとりくまなければ。

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というか、これから先のことは9日の外来受診までは考えないことにするか…

追加注射/入院治療終了/あした退院!/来週9日外来

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入院中の最後のR-CHOP療法を終えてから12日目のきょう、2度目の採血・血液検査がありました。

いつもの日勤帯の最初のバイタルチェック時、「皮下注射をきょう1回だけ追加、ということです」と。

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午後、病室へ来てくれた主治医。これまでの治療経過から、きょうの検査結果によってあと3回ぐらいの注射が必要かもしれない、と思っていたそうな。

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【2016.03.02 朝食】

ところが、医師から見ると意外に回復が早く、「念のための追加1回」で、入院での治療はこれで終了、あした以降、いつでも退院できるので、家族と相談のうえ、決めてほしい、と。

午後4時半ではありましたが、仕事中の妻にさっそく電話し相談。あしたの昼休みの時間に退院の迎えに来てもらうことにしました。

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来週の9日には追加放射線治療に関する放射線科外来予約があるので、同じ日のその前に、今の主治医の外来で、今後の相談をすることにしました。

したがって、当面の受診などの予定については、すべて9日の2つの外来受診時に相談もしくは決めることとしました。

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【2016.03.02 昼食】

追加放射線治療の有無、する場合に通院か入院かも9日に決まりますが、ともかく、昨年9月28日以来、私にとっては初めてとなる、5か月超の長い長い入院生活でした。

入院治療は一区切りついたとはいえ、まだ終わったわけではないので、油断せず、入院前の「原状回復」に近づけるよう、体力回復・健康維持に努めたいと思います。

 

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【2016.03.02 夕食】

 

消されゆく母子避難・自主避難/原発避難者とは誰?

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『ルポ 母子避難』(吉田千亜著、岩波新書)を読みました。

3・11からまもなく5年です。原発事故がなければ浴びるはずのなかった放射線を避けるため、事故前よりも間違いなく空間放射線量の値が高い地域から離れた地域で子どもたちを育てたい、と、願うのは、避難指示があろうがなかろうが、親として当然のことです。

ところが現実はその願いにまともに応えるものとはなっていません。

避難指示の有無で分断され、住む場所の放射能汚染の程度で分断され、被ばく影響に対する認識の違いでもまた分担されています。

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被災者同士のなかの双方向の努力によって詰めなければならない「認識の違い」もあるかもしれません。

ともかく、原発事故は福島だけの問題とされつつあり、まして福島県外から避難した原発避難者は、ほとんど無視され続けている現実です。

だいたい「原発避難者とは誰か?」。この問いに日本政府は答える意思があるのでしょうか。

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本書には、避難した母子に寄り添い続けている著者による、「自主避難者の住宅支援打ち切りに対し、一石を投じたいという思いと…消されゆく母子避難者・自主避難者のこの五年間を決して消さない、という思い」が込められています。

けさも年度末に関係なく/注射は最後?/あすの血液検査/高橋ちづ子議員/社会保障認識を欠く首相

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世間は年度末を迎え、なにかとせわしいかと思います。

県議会も質問、常任委員会など来年度予算審議を抱えつつ、きょう3月1日は議会を休会にし、基本的には地元の県立高校の卒業式にはせ参じているはずです。

そういうこととはまったく関係なく、けさも5時過ぎにはスクワット・ダンベルで体を目覚めさせました。

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午前中の10回目の皮下注射は、予定としてはきょうで終え、あす朝に採血して血液検査です。

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【2016.03.01 朝食】

その検査結果によって、その日からの(自宅外泊など)私の日程も決められる、ということになります。

もちろん(?)、結果によっては皮下注射をあと2~3日追加、という治療方針もあり得ます。

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【2016.03.01 昼食】

昼前には衆院予算委で高橋ちづ子議員の締めくくり質問を視聴。消費税増税中止と社会保障拡充の立場から、アベお粗末政治を実にわかりやすく告発しました。

すでに youtube でその様子を全部見られるので見ていただけると幸いです。

社会保障に関する、日本国憲法に基づく基本的な認識は、アベにはまったくないことが彼の答弁でよくわかります。「自助・自立」を基本に置きながら、国として社会保障の向上及び増進に努めるといけしゃあしゃあと語る姿…

午後は読書、夕刻以降はテレビ。午前中も午後も、寝る時間も短くありませんでした。

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【2016.03.01 夕食】

ルポ 消えた子どもたち/「助けてって何度も何度も思っていた」/子どもの人権・社会保障の課題として

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『ルポ 消えた子どもたち』(NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班、NHK出版新書)を読みました。

取材班として、「何らかの理由で社会とのつながりを絶たれた子どもを『消えた子ども』ととらえ、子ども本人に直接会って話を聞くことと、独自の調査を行って、できる限り実像に近づくことを取材の目標」としました。

8人の取材班を立ち上げたのが2014年8月、そしてその取材結果は「同じ年の12月にニュースや「NHKスペシャル 報告調査“消えた”子どもたち-届かなかった『助けて』の声」で放映されました。

160301消えた子ども帯_R【オビに引用されている「はじめに」】

本書はその番組取材によるものです。

18歳まで家に監禁され、小学校にも中学校にも一度も通えず、自力で家から逃げ出し、警察に保護。

車上生活を余儀なくされ、1年以上、小学校に通えず、父親の病死をきっかけに児童相談所に保護。

母親の精神疾患が原因で、中学校にはほとんど通えず、母親が逮捕されたことをきっかけに保護。

160301消えた子どもカバー_R【カバーソデのキャッチコピー】

本書の取材に応じた子どもたちです。

どのケースも、たまたま、本人の勇気や偶然をきっかけに社会が気づき、適切な機関へと送られたのですが、もしかしたら、今もこの子どもたちは消えたままだったかもしれない、とは著者たち。

最初の子は、「もう同じような思いをする子どもが生まれてほしくない」からと取材に応じ(というか、ほかの子たちも)、「先生も、行政の人も、誰も、誰ひとり、私の存在に気づいてくれなかった。助けてって、助けてほしいって何度も何度も思っていたのに、まるでこの世に存在していないようだった。ずっとずっとこの世にひとりきりだった」…

果たして今も繰り返されていないのか…

子どもたちの「助けて」の小さなSOSの声をすくい上げる社会的しくみが当面必要ですが、根本は、本書の「おわりに」でも触れているように、子どもの人権、社会保障の重要な課題として、こういった子どもたちがそもそも生まれない社会構築へどうするか、真剣にとりくまないとなりません。

指針は日本国憲法にあるのです。