山中伸弥・益川敏英対談

『「大発見」の思考法』(山中伸弥・益川敏英著、文春新書)を読みました。

お二人の対談ですが、2年前の2010年のことで、山中教授はノーベル賞の有力候補と騒がれていた時期の対談です。

2006年8月25日、山中教授が世界トップレベルの学術誌『Cell(セル)』に、「マウスの皮膚細胞に四個の遺伝子を導入してiPS細胞を作った」という内容の論文を発表し、2012年度ノーベル医学生理学賞を受賞しました。

かたや益川さんは、「小林・益川理論」を1973年に発表し、その理論がほぼ30年後に証明され、08年ノーベル物理学賞を受賞。

その2人の対談は痛快です。人々の知的好奇心を刺激し、夢とロマンを与えること、人類の文化に立派に貢献することの基礎科学のありようを、政治としてもしっかり位置づけるべきです。

「なぜ一番でなければならないんですか?」みたいな馬鹿げた質問をして基礎を切り捨てる政治家は不要です。

土津神社/チェルノブイリ報告/福島からの発信の重要性

全県地方議員学習交流会議2日目の朝早く起き、日課のテレビ体操をしてから散歩。

近くに国指定史跡の土津(はにつ)神社があります。祀られているのは会津藩主松平家の祖・保科正之。

神社には碑石としては日本最大と言われる保科正之の履歴を刻んだ石碑。猪苗代町指定重要文化財です。高さが約7.3m、字数は1943。

きょうの会議では、最初に私から県議会行政視察で訪れたチェルノブイリ視察報告をしました。

その後は、いわき市、福島市、会津若松市、二本松市、矢吹町、相馬市の各議員、県議の宮川さん、宮本さん、阿部さんが発言。

加害者である東電と国の責任を果たさせる仕事はほんとうにいまだ途上です。そしてこの福島の実情を発信し続ける重要性を強く感じます。

最後に久保田仁県委員長が会議全体の感想を兼ねてまとめをしました。

こでらんに博/民医連北海道・東北地協/高橋ちづ子さん

夕べは福島市に泊まり、午前中、誰もいない県庁控え室で少し作業。

福島駅前に向かうと、福島市こでらんに博でした。「こでらんに」とは、「こたえられない、たまらない、最高だ」といった意味。

市内全域を7つのパビリオンにして、それぞれにイベントを開催しているんだそうです。7つとは飯坂、土湯、高湯、松川、飯野、街なか、信夫山で、ここは街なか。

午後はそのすぐ近くを会場に開かれている全日本民医連北海道・東北地方協議会総会にオブサーバーとして、宮城の天下みゆき県議と参加しました。

共同通信仙台編集部の所澤(しょざわ)新一郎さんが「被災地のいま」と題して講演しました。20年以上にわたって災害の取材を続けている記者で、とくに今回、仮住まいで1年半が過ぎ、住まいは「仮」でも生活に「仮」はないはずなのに、その生活が「制約」「ガマン」がキーワードになるような実態の話は、胸がつまります。

夜はきょう・あすと開かれる全県地方議員学習交流会議の宿舎へ。夕食交流会から参加です。

高橋ちづ子衆院議員も参加し、昼間も国政報告し、夜の交流会でもごあいさつ。総選挙が「近いうち」であることは間違いありません。

比例東北ブロックのちづ子さんの議席は「東北の命綱」。「日本共産党」と書いていただく人を広げに広げたいと思います。

エネ協/規制庁/東電/原発県連

県議会エネルギー政策議員協議会がありました。

午前中は、きょうで「発足」1か月となった原子力規制庁から山本哲也審議会はじめ3人が、規制委員会の今後のとりくみなどについて説明。

山本氏は、昨年は原子力安全・保安院の原子力発電課長として、6月には佐賀県唐津市議会特別委員会で、九州電力玄海原発2,3号機の運転再開について「緊急安全対策は適切に実施されており、原子炉の運転を再開しても安全上支障はない」と発言し、7月には佐賀県主催の説明会で「福島ほど大地震が起きる可能性は少なく、大きな津波を受ける切迫性はない」とも発言していました。

ここ福島では、原発事故原因もあきらかにされず、県民が塗炭の苦しみを強いられ、とりわけ避難を強いられた県民は長期化を強いられ始めた時期です。

これらの発言が事実かどうかを聞きましたが、説明を始めた山本氏。事故以前に保安院が福島原発について語っていたことと重なりました。

原発の廃炉や再稼働についても、規制委員会は安全かどうかを確認するだけで、決めるのは規制委員会ではない、の説明に終始しました。

人事を含め、出直すべきです。

午後は東京電力の廣瀬直己社長はじめ福島関係の役員4人が説明。

【東京電力の廣瀬直己社長】

今年2月以降も1~3号機合計の放射性セシウムの放出が最大で毎時約1000万ベクレル(敷地境界での被ばく線量が0.03mSv)続いている問題をはじめとした事故原発の現況、「事前の備えができていなかった問題で、対処は可能だった」と東電が見解を明らかにした点、下請け労働者の労働実態などについてただしました。

【申し入れる早川徳雄・原発県連代表】

夕刻には、原発問題福島県民連絡会の県交渉に同行しました。県に対し、「廃炉作業に向けて地元監視を強めるために県民代表を加えること」「原発事故収束作業に働く労働者の権利を守るために具体的な行動を起こすこと」「原子力災害対策計画について県民の意見を良く聞き、早急に案を作って県民に示すこと」「原発事故に伴う県の対応」を求めました。

 

団会議/母親大会要望/復興共同センター

午前中は県議団会議。

9月県議会の報告冊子用のまとめの文章を確認しました。

その後はあしたの県議会エネルギー政策議員協議会での質問事項の検討。協議会のテーマは原子力規制委員会の今後のとりくみなど、第一原発の現状などの2つ。規制庁、東電の担当者が説明する予定で、東電は社長が出席します。

午後は、まず母親大会実行委員会による県要望交渉。今年行なわれた「第55回福島県・第9回あだち母親大会」で決議された要望に基づくもので、大会後はいつも実施されています。鹿又いづみ実行委員長が要望書を手渡し、あいさつしました。

除染、福島原発廃炉、原発ゼロ政策への転換、再稼働の中止、全県民の健康管理、福祉国家づくりを求めました。

3時からは「ふくしま復興共同センター」による県要望交渉。亀田俊英代表委員(県農民連会長)が要望書を手渡し、あいさつしました。

県知事として、原発事故を人災と認めること、県内自主避難者の家賃補助など具体的支援、県・市町村職員の増員、50mメッシュの汚染マップの継続的作成、子どもたちの発育状況の調査、ホールボディカウンターや甲状腺検査結果の見方やフォロー対策、国が賠償金に課税しないことなどを求めました。

低線量汚染

『低線量汚染地域からの報告』(馬場朝子・山内太郎著、NHK出版)を読みました。

NHK「ETV特集」緊急出版! と銘打たれています。

2008年には、チェルノブイリ原発事故後の除染作業者の白血病と白内障、それに小児甲状腺がんだけを原発事故の放射線の影響と認める報告書が、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR;アンスケア)から公表されました。

一方、昨年4月、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ3国の政府関係者、IAEA(国際原子力機関)などの国連の諸機関、G8、EUの首脳が集まって、原発事故から25年が経ち、事故収束へ向けて話し合う「キエフ国際科学会議」が開かれ、「チェルノブイリ事故から25年 未来のための安全」と題した「ウクライナ政府報告書」が発表されました。

この政府報告書では、体中のありとあらゆる組織の病気が記され、これらの病気が原因で被災地の人々の健康は事故直後と比べ、著しく悪化していることが指摘されました。

限定的な影響しか認めない国際機関、数え切れないほどの多くの疾患を認めるウクライナ政府。

本書では、チェルノブイリ原発から南西に140km離れたジトーミル州コロステン市を中心に、医療関係者、政府関係者、住民を取材し、テレビ報道されたその実態が文字にまとめられています。

原発事故は、被災者という立場からすべての人が脱することができたときに終わるのです。

そのことを日本政府はシカと心してほしいと思います。

原発とは/原発に頼らないことを訴えた「国民」は?

『原発とは結局なんだったのか』(清水修二著、東京新聞)を読みました。

著者は、7月の福島県議会海外行政視察に顧問として私費で同行してくれた福島大学教授です。2008年4月から今年3月までは副学長として原発事故後の対応にも奔走されました。

財政学・地域論を専門にする立場から、原発には一貫して批判的な立場をとってきた学者です。京都大学の私の大先輩でもあります。

著者にとって、答えは出ているように思えるので、本書のタイトルでは過去形表現をとった、とのこと。

結論を書いてしまうと、原発とは、国民の「自覚なき選択」と「怠惰な現実主義」に支えられた存在であり、「国民から遊離した科学」の世界に置かれてきた技術であり、日本的な金権システムをテコに地域住民や地方自治体を「理性より利害」の世界に取り込んで立地を促進する「地域差別の構造」をはらんだもの。

原発を批判し続けたご自身を含め、原発に頼らない社会を訴え続けた「国民」の姿に触れられていないことが私の不満です。

広野町・楢葉町へ/田んぼの異様な光景

いわき市の北に隣接する広野町、その北の楢葉町を視察しました。

広野町は昨年9月30日に「緊急時避難準備区域」が解除され、町にもどることが可能になりました。が、事故前の人口約5400人(1800世帯)に対し、今年の9月20日現在で町内居住人口は493人(290世帯)です。第一原発から20km~30km圏内にすっぽり入る町です。

JR広野駅が福島県沿岸南部の「最北の駅」で、「下り」方面が消されてしまっています。

楢葉町は8月30日に「警戒区域」が解除され、「避難指示解除準備区域」にされた町です。出入りはできますが、泊まることはできません。

かつてこの時期は見事なほどの田んぼが広がる光景でしたが、その田んぼは黄色いセイダカアワダチソウに覆われています。稲刈りの農機具も人もいない異様な光景です。

国政選挙の時には私も街頭宣伝で通ったメイン通りにはまったく人影がありません。

町内のJR竜田(たつた)駅は板張りで閉鎖され、ホームもレールも草がぼうぼう。

原発問題福島県民連絡会の代表をしている早川篤雄さんが住職の宝鏡寺も楢葉町にあります。一度草刈りはしたそうなのですが、荒れた状態を元にもどすには、住める条件を整えなければ無理です。

総合運動公園内のグラウンドもまたセイタカアワダチソウが「占領」している状態でした。「原発マネー」でつくられたはずの施設です。

つくづく、原発とはなんだったのか、との思いと同時に、即時原発ゼロに、の思いはいよいよ強まります。

規制庁や東電のこと/県漁連/秋

原子力規制庁のことや事故原発状況について東電に聞くことを朝からつらつら考え続けます。

議会中、超党派の県沿岸部水産業復興議員協議会との懇談や、その際の要望に基づいて協議会として知事申し入れしたことなどについて、県漁連事務所により、お礼をかねてごあいさつしました。

健康まつりを終えた医療生協によると、きょうは東京民医連の病体生理研究所の職員のみなさんが職員旅行の一環で小名浜生協病院により、原発事故状況などについて伊東達也理事長から話を聞く、とのこと。

私も同席させてもらいました。

その後は党地区委員会事務所によったり、党市議団控え室によったり、家にもどってネット検索したり、文献にあたったり。

パイパス道路を降りると、景色はすっかり秋。

健康まつり/記事チェック/葬儀

浜通り医療生協の「健康まつり」がありました。今年で28回目。

喜百合座(よしゆりざ)の太鼓演奏の開会が恒例です。メンバーのお一人と、昨年の3月13日、大半の家屋が津波で流された薄磯(うすいそ)地域のがれきの中で出会い、声を交わしあったことをやっぱり思い出してしまいます。

せいきょうクリニック待合室では大震災時の病院のとりくみの写真展。奥のテレビでは、私が撮した津波被災現場の写真も多く流されていました。

中央舞台はいつもながら、元気な催し。トップの写真は「いわき徳姫クラブ」による「よさこいソーラン」。

津波でいろんなものが流されてしまった「豊間(とよま)諏訪神社獅子舞会」による豊間獅子舞もありました。

医療生協ではなくてはならない、健康チェックや体力測定コーナーは、これまたいつものように行列です。医療生協ならではの光景です。

多くの組合員のみなさんから声をかけていただき、ほんとうに元気をもらったまつりです。

家にいる時間に、原子力規制委員会発足前後からの新聞記事をチェック。

午後は、25年前の私たち夫婦の結婚式と披露宴で仲を取り持っていただいたご夫妻のお一人の葬儀と告別式に参列。80代半ばとはいえ、さみしい思いはぬぐえません。