生活相談/県合同庁舎/財界代弁/4連動地震

親族間の悩ましい生活相談を受けました。「お嫁さん」である彼女からすれば、息子さんの権利の有無以前に、「ほんとうのことを知りたい」というわけです。

県のいわき合同庁舎に寄り、いわき市民がいだいている放射能汚染への不安に適切に応える対応を市と連携して進めてもらえるよう、伝えました。

きょうもまた、今月に入ってからの新聞をひっくり返し、原発や地震の記事を中心にチェック。

20日の「朝日新聞」には、電力系労組を統括する「電力総連」の顧問を務め、関西電力出身の民主党・藤原正司参院議員のインタビュー記事がありました。

「原発がなくなれば、電気料金は月2千~3千円上がる」「原発は欠かせない」「原子力に変わるエネルギーはない」、ストレステストを原発再稼動の前提とすることには「ノーだ」。

いやはや、財界の代弁者そのもので、自民党政治に回帰したい意欲満々と言うほかありません。民主・自民の「二大政党」では政治がまったく変わらないことを証言してくれています。

それよりも深刻に受け止めたのは、「4連動地震の可能性」を東大地震研究所の古村孝志教授が指摘していること(「しんぶん赤旗」7月4日付)。

東海地震、東南海地震、南海地震が3連動した1707年の宝永地震の震源域の沖、南海トラフという海溝に沿った海底下を震源域にした1605年の慶長地震が同時におきる4連動地震も可能性として考える必要がある、という話。

しかも、高知大学の岡村眞教授らが発見した、高知県土佐市の蟹ヶ池にある2000年前に海から運ばれた厚さ50cmの堆積物は、4連動地震による津波の痕跡の可能性がある、とのこと。

政治と行政は、こうしたことにこそ目を向けるべきです。

警報発令中の晴れ間/開始直後の雨

夕べは強い雨で、きょうも大雨洪水警報発令中のいわき市。

けさは時折晴れ間も顔をのぞかせ、風もなく、穏やかな日より。

内郷・好間地域のいっせい行動にはいつものようにみなさんが集まりました。

ポスター張り出し、チラシまき、宣伝隊の3隊に分かれ、「雨が降り出したらもどろう」と意思統一し、10時過ぎには行動開始。そしたら時折小雨が振り出し、街頭から話していたら、終わるころには強い雨模様となってしまいました。

もどってからは、「これからの共産党をどうするか」の議論。先日の中央委員会の様子のDVDも視聴しながら、かなりの盛り上がり。

長年、自民党の選挙の手伝いを続けていたかたが共産党に入り、支部会議にも毎回参加し、「こうしていつでも勉強し、政治のことを話し合い、党員を増やそう、なんて自民党では聞いたことがなかった」と紹介された話が、私にはいちばん印象的でした。

 

 

未明の地震/帰国したなでしこ/住まい連/公営住宅

けさも未明の3時40分を前後して、3度も震度3の地震。震源は市内内陸部地下10kmとのこと。あれ以来、断続的にエネルギーを放出している様子です。

午前中に帰国したなでしこジャパンの選手・監督たちの話題でテレビはもちきりでした。

本人たちの「ナマの声」を聞くことで、なにかまた元気を与えられる思いでした。

「国民の住まいを守る全国連絡会」(住まい連)のみなさんが、いわき市内の被災地視察に見えました。

新建築家技術者集団、NPO法人建築ネットワーク、建設政策研究所、受注連建設事業協同組合のかたがたも同行され、短時間でしたが、有意義な意見交換ができました。

公営住宅の大切さが強調されましたが、こうした事態に見舞われないと気づかない、というか縮小しようとしてきた行政・市政はほんとうにきびしく問われなければなりません。

からだのなかの放射能

『これでわかる からだのなかの放射能』(安斎育郎著、合同出版)を読みました。

1979年の初版本の改訂新版です。その年の春には、スリーマイル島原発事故がありましたが、それが原因で日本の食品の放射能汚染が問題になったり、私たちのからだのなかの放射能が心配されたりの状況ではありませんでした。

その後、86年にはチェルノブイリ原発事故で輸入食品の放射能汚染が大問題になり、そして足元の福島原発事故により、原発由来のからだのなかの放射能に言及することは不可欠な事態になり、この本の刊行となりました。

福島原発の核燃料の中に封じ込められていたはずの放射性物質が、大なり小なり、私たちの体の中に侵入してくることは避けられないと思われます。

今や、いやおうなく、身を守るために放射能について基本的な知識を身につけておかないとならない時代に暮らさざるをえなくなったわけです。

本書は、からだのなかにひそむ放射性物質を糸口に、そうした知識を平易に語ってくれ、「放射能リテラシー」を身につけるには格好の本だと思います。

1979年刊の初版本。

 

元気百倍/青空無料市/講演会/放射線量情報

ともかく、なでしこジャパンのおかげで、元気百倍の一日でした。

午前中は、きのうもたずねた仮設住宅で、浜通り復興共同センターによる「青空無料市」。各地から寄せられた支援物資を仮設住宅に住むみなさんに持っていっていただきました。

10時開店で、9時半ぐらいから品物並びを始めましたが、9時過ぎから行列でした。そんなわけで、品物はいっきになくなりますす。

午後は、私が住む地元で「原発・放射能問題講演会」。主催は党郷ヶ丘・中央台支部です。高橋あき子市議と私がお話させていただきました。

お子さん連れで来てくれた若いお父さんや、 初めて来てくれたかたが、行政や政治への率直な要望や意見を言ってくれました。

ともかく強い要望は、放射線量の情報です。学校や幼稚園や保育園などの測定器を行政が活用し、それぞれの地域の住民にその地域の情報を知らせるしくみをつくってほしい、ということです。

校長先生や園長の裁量の問題でないでしょう、市政のトップは市民に何を知らせなくてはならないのか、しっかり把握して迅速に行動してほしい。ほんとうに切実です。

なでしこJAPAN/セミにカミキリにハト

きょうばかりはサッカー女子ワールドカップを観戦しました。朝4時起きです。

だいたい、私自身は野球で育った人間で、サッカーは中学校と高校の体育授業でする競技程度でした。

それが息子や娘が小学生のころから始め、娘にいたっては、県立富岡高校女子サッカー部で3年間し続けたこともあり、そのうえこのサッカー部が、原発事故で自分の学校では練習できない事態です。

ちょっと無関心でいるわけにはいきませんでした。

まさか、日課のテレビ体操直前に結果が出るとは思いも寄りませんでしたが、頭のてっぺんから足の先まで、しびれました。なでしこJAPAN、万歳!

ふと、きのうは、野口さんの講演会帰りにセミの声と姿を見、家の庭にはカミキリムシ。

数日前は、ご近所の庭に山鳩。

こういう時期のこういうひと時は、いいもんです。

 

「罹災者の入居ではない」/仮設住宅訪問/野口邦和さん

けさ早く相談に見えたかた。家屋が大規模半壊の罹災証明を受けていました。

これを前提に、お子さんの通園のこともあって家を探し、たまたま市営住宅の入居が決まったと思ったら、「この入居は罹災証明とは関係ありません」と言われ、愕然とした、と。

家を失い、家族の暮らしのために、必死で当面の家を探していたのに、「今回の入居は罹災者としてではありません」と市役所から言われショックだ、ということです。

手続き上の行き違いとはいえ、今のような事態に、窓口で被災者の立場に立った対応は、行政側の最低限の仕事ではないか、と思わざるをえません。

午前中、兵庫から来ていただいているボランティアのみなさんと、仮設住宅を訪問し、被災の状況や今の暮らしでの要望などを聞きました。

なにより切実なのは、家をなくし、職場をなくした現役世代のかたがたです。収入がないことをわかってもらっていると思ったら、水光熱費も食費ももちろん「自己責任」の世界です。

当事者ばかりでなく、年金でぎりぎりの生活だ、という高齢者からもそうした声が聞かれました。

一人暮らしの高齢者からは、「息子が何日かに一回は来てくれるが、あの地震の日以来、手足がむくんだりした自分の体調が心配。毎朝散歩するようにしているが、いつどうなることやら。自宅は広野町で、家は無事なのに、原発事故で帰るめどもない」と。

午後は日本大学専任講師で放射線防護学が専門の野口邦和さんの講演「放射能と健康リスク」。主催はいわき母親連絡会。

私がはなはだ印象に残ったのが、講演後の1時間に及ぶ質疑応答。そのなかでおひとりが、「きょうで3人目の講演を聞いた。これまでの2人は、‘逃げろ、逃げろ’というばかりの印象。お金もなく、逃げる先もない人たちにまったく無責任と感じた。きょうは言葉も選び、‘逃げろ’という話もわずかだった」と。

こういう局面での「専門家」の話も、ほんとうに受けとめ方が難しいと感じます。

私自身は、自分で準備した勉強会での資料を後押ししてもらった思いで、たいへん有意義でした。

 

学習会/原発を支えるしくみ/放射能と人体影響

平の草野地域の党支部・後援会主催で放射能・原発問題の学習会があり、渡辺ひろゆき市議と参加しました。

最初に市議が、「原発労働の重層的構造」として、原発現場で働く下請け作業員から直接聞いた話などを中心に報告。彼は近く、日本弁護士連合会が開く原発と貧困といったテーマのシンポジウムでも話す予定です。

原発が、人類の知恵の粋を集めた高度技術の頂点であるかのように私たちは刷り込まれていますが、現実は、こうした労働実態、九電のやらせメールに象徴される体質、大手マスコミまで取り込んでお金の力で「原発安全神話」を振りまく体質、「原発利益共同体」の存在が、かろうじて支えていたのでした。前近代的なしくみというほかない、と私は感じます。

私からは、福島原発が明らかにした、現在の原発技術と人類の共存は不可能な事実、そして放射能と人体影響について考える材料を提供する話をしました。

参加されたみなさんからは、「いわきの漁協が操業を自粛しているが、魚は大好き。海の汚染が心配」、「3歳の子どもにはどういう注意が必要だろうか」、「各学校が持っている放射線測定器による測定値を、住民に知らせるしくみをつくれないだろうか」、「これまで家庭菜園の野菜を食べていた。こうした家庭の野菜の放射線量を測定できるしくみを行政としてつくってほしい」などなど、さまざまな要望が出されました。

午後は、今月30日の医療生協総代会で、理事会として原発問題にかかわる特別決議を考えているのですが、原案をつらつら。短い文章で、総代のみなさんの意志を端的に示したいのです。

 

朝から全部着替え/街宣/測定しなければわからない放射線量

金曜日朝は平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで定時定点の街宣。

朝から暑いなか、出勤されるみなさんからの声援に励まされます。

話すのは20分程度ですが、家を出て家にもどるまで約1時間。家の中に入るともう汗がどっと流れ出します。もちろん全部着替え。

午前中は、私が住む住宅街のとなりの住宅街の党支部のみなさんと、5か所の街頭から訴えました。通り沿いでは、すべての車から声援をしていただくような雰囲気で、なおかつ、住宅街の中でも出てきて聞いていただくかた、庭仕事をしながら聞いていただくかたなど、宣伝カーに乗った3人がびっくりするほどの声援でした。

午後は同じ党支部のお2人のご近所を、放射線簡易測定器を持って訪問。

最初はこの地域の「くぼ地」といっていい地域ですが、玄関先の地上1mの放射線量は0.2μ㏜毎時を超えるところはほとんどありませんでした。ただし、庭の地表5cmや芝生表面では0.4を超えたりします。

それでもみなさんからは、「こうして実際の測定値がわかると、精神的に落ち着ける」という声。

次に高台の地域を歩くと、0.2を下回るところはほとんどありません。0.25前後。ところが2つほど通りをはさみ、公園近くのかどのお宅に来ると0.19。

ともかく、こまごまと測定しない限り、放射線量がどうなっているかは、わからないのが現実です。

 

義捐金届けと懇談

党中央に全国から寄せられた義捐金を商工団体にお届けしました。地区党としては第三次の届けとなります。党の原発撤退提言といっしょに届け、懇談もしました。

宮川さんと菅野地区党委員長、渡辺ひろゆき市議と私が参加。

いわき商工会議所、いわき市社会福祉センターに事務所を置いている広野町・楢葉町・富岡町・川内村(商工会南双葉広域連携協議会)、四倉町商工会、久之浜町商工会とまわりました。写真はいわき商工会議所で。

「銀行から融資返済の業務計画を求められるが、原発事故の収束がない限り、計画など立てようがない」の声に象徴されるように、原発事故の収束を求める願いはまさに切実です。

「国の原発事故現地対策本部をいわきにおいて、事故収束に向けた真剣な姿勢を示すべきだ。原発事故の影響をまともに受けている業者や人びとの心を理解した対応を迅速にしてほし」「いわき市や浜通りを自然エネルギー開発・普及の拠点にするぐらいの展望を早く持ちたい」などなど、どこでも有意義な懇談となりました。

けさ早く、ペロの散髪もお願いしていました。今週はじめの姿と散髪後。