漁協と漁連との懇談/「国が事故と向き合え」/副市長

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私の自宅から車で3分ほどの福島県水産会館で、いわき市漁協、福島県漁連のみなさんと共産党国会議員団との懇談に同席しました。国会からは、紙智子参院議員、高橋ちづ子・笠井亮(あきら)・塩川鉄也各衆院議員の4人。それに宮川県議と私、この場をセットしてくれた渡辺ひろゆき市議をはじめ4人のいわき市議が参加しました。

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午前8時からはいわき市漁協の矢吹正一(まさかず)組合長はじめ、専務理事や理事のみなさんにご参加いただきました。

組合長からは、孫子の代までいわき沖での漁業を継がせたいし、その希望をあきらめるつもりはないが、まったく先が見えない、そのために後継者問題は深刻な事態になっている、汚染水処理問題をはじめ、原発事故処理にあたって国の姿が見えないことが漁業者の不安を助長している、一刻も早い事故収束へ国が前面に立つべきだ、と訴えられました。

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各漁業者からも、「お金をけちる事故処理、不都合なことは隠すのがこれまでの東電の姿勢」「汚染水タンクは10年は大丈夫、と聞かされた矢先の汚染水漏れ」「報道されている以上の汚染が現実ではないか、と思わざるを得ない」「参院選が終わったら突然、汚染水が海に流れていたことがわかるはずがない」「事故が起こってしまった以上、国がちゃんと事故に向き合う姿勢を示すべきだ」と、当たり前で率直な意見。

10時からの福島県漁連との懇談では、野崎哲会長は、「汚染水問題は危機的な緊急事態的対応を国がすべきであり、東電の経営都合が見え隠れする対応とは切り離すべき」と。

この懇談であらためて私も痛感しますが、原発事故は収束していません。だいたい、2年前の12月16日、民主党政権のもとで「ステップ2が完了したから事故そのものは収束した」と「事故収束宣言」をしたわけですが、そのステップ2の「目標と対策」は「汚染水全体の量を減少させていく」をかかげ、「高レベル汚染水向け追設タンクの拡充」とか「高レベル汚染水の除染/塩分処理の継続・強化」とされていて、ステップ2そのものがまさにこれからなのです。

宣言をきっぱりと撤回し、事故そのものに真正面から国が向き合う姿勢をきっぱりと示すべきなのです。

午後、いわき市役所の党市議団控室へ行くと、いわき市副市長がたずねてきてくれ、災害公営住宅のことなどについて有意義な意見交換ができました。

特別委報告書へむけて/原発事故対応/11月2日に大集会

130817楢葉・仮置き場

【楢葉町のあちこちに置かれている仮置き場 17日】

今月5日の県議会「子育て・健康・医療対策特別委員会」理事会で、私は、素案として示された調査報告書に盛り込む内容として、長期にわたる子どもたちと保護者へのこころのケア、同じく子どもの体力向上のそれぞれの県としての対策強化を追加すべき、と意見していました。

その文案を党県議団として私がまとめて来週月曜には事務局に渡すことにしていたので、県庁控室できょうの午前中の時間をあてていました。

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【被災地視察の全日本民医連のみなさんにあいさつ 17日】

議会事務局担当者がまことにタイミングよく「理事会での発言をもとに文案をつくってみました」と控室に来てくれました。私の真意をまとめた文章も示しました。来週30日の理事会には余裕で間に合いそうです。

午後は党県委員会で、党内の原発事故対応の会議。除染、賠償、子育て、全国からの現地視察対応、被災自治体議員など、様ざまな分野からの報告や交流をしましたが、高濃度汚染水問題に象徴されるように、原発被害はときがたつにつれ深刻度が増していることは、共通認識です。

なにより、民主党政権時代の「事故収束宣言」が撤回されないことは、安倍自公政権による原発再稼働前のめり姿勢を助長させているだけです。

このままでいいはずがありません。11月2日(土)には、福島県内でどんな人でも参加できる集会も予定されています。県内原発全基廃炉、原発再稼働は許さないの「オール福島」の声を全国に発信するとともに、全国のみなさんとも原発ゼロの日本をつくる集まりにしたいです。

130817楢葉・竜田駅前
【竜田駅前の看板は2年半前のまま 17日】

写真はきょうではなく、4日前の全日本民医連のみなさんの原発被災地視察時のものです。

合宿での討議/「脱原発をめざす奈良県議会議員連盟」

130819磐梯熱海・四阿

党の学習合宿はきょうの午前中まで。けさは5時起きで近くを散歩。6時25分からはテレビ体操。

きょうは4班に分かれて分散討議をしました。記念講演や県委員長の話を受けての意見・質問を含めた感想、党勢拡大の歴史的チャンスを具体的にどう生かすか、などについて2時間にわたってかんかんがくがくと言いたいことを言い合いました。

休憩後、各班からの討議報告があり、県委員長がまとめの発言をし、終了。

130819奈良懇談

午後は県庁へ行き、「脱原発をめざす奈良県議会議員連盟」との意見交換。議員連盟からは、福島県議会全会派へ呼びかけられましたが、参加したのは私たち5人の共産党県議団だけでした。

奈良脱原発議員連盟は、44人の県議のうち超党派の13人がメンバーだそうです。きょうは5人が来訪されました。

会長の奈良維新の会所属の山本進章(のぶあき)さん、副会長のなら元気クラブ所属の和田恵治さん、幹事長の無所属・坂口保さん、それに共産党の今井光子・宮本次郎のご両人でした。

私たちは自己紹介も兼ね、福島県の実情や考え方を話してから、たいへん有意義な意見交換ができたと思います。

その後、奈良のみなさんは、県外避難者の避難生活の現状と課題について、福島第一原子力発電所の現状と廃炉に向けた見通しについて、それぞれ県担当部署から説明を受け、質疑。私たちもその場に同席させていただきました。

 

学習合宿

130819磐梯熱海

きょう、あすと党内の学習合宿です。

きょうは党県委員長による講演「党創立91周年記念講演に学ぶ」。

今月10日に志位和夫委員長が行なった講演をベースに、「自共対決」の政治地図が鮮明になった参院選結果の見方、10数年来の党のたたかいが実った“第3の躍進”のはじまりとなり得るその歴史的意義、“第3の躍進”を本格的な流れにするための最大の保障となる党づくりをはじめとした新たな探求と挑戦、の3つのテーマでの講演でした。

福島県内の党勢の現状を出発点に、参院選で結びついたあらゆる人びとに働きかける特別の努力も呼びかけられました。

その後、5人からこの間の党勢拡大にかかわる経験が語られ、交流しました。

引き続く夕食時にも交流。

130819五百川

民医連役員の原発被災地視察/止まった時間/悲しみと怒り

130817全日本視察隊

全日本民主医療機関連合会の藤末衛(ふじすえ・まもる)会長や5人の副会長、長瀬文雄事務局長ら21人による原発被災地視察に同行しました。

案内は浜通り医療生協理事長で原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さん(元福島県議)。

こうした機会は現地の様子を目に焼きつけて全国に発信するためにも、私も極力参加したいと思っています。

朝9時過ぎにいわき駅に到着した一行を出迎え、すぐ近くの伊東理事長自宅隣りの「けやき共同作業所」の食堂兼会議室を借り、伊東さんから「原発震災から2年5か月の福島のいま」の話。私もひとこと、ごあいさつさせていただきました。

その後は、いわきを出発する場合の定番となっているルートで現地へ。

いわき市内の四倉(よつくら)、久之浜(ひさのはま)の津波被災地を通り、広野町へ入って広野駅。

130817Jビレッジスタジアム

北上して広野町・楢葉町にまたがるJヴィレッジへ。ホテルと11面の屋外・屋内サッカー練習場を備えた東洋一を誇るこの施設は、端的に言って、福島第一原発7・8号機増設のために東電が福島県に「プレゼント」したものです。その経費130億円は電気料金に上乗せされています。

130817Jビレッジスタジアム・スコアボード

スタジアムのスコアボードの時計は2時47分ぐらいで止まったままです。

楢葉町に入り、原発問題福島県民連絡会代表の早川篤雄さんが住職の浄土宗宝鏡寺(ほうきょうじ)でけやき共同作業所の昼食をとり、早川さんの話を聞きました。

町内のJR竜田(たつた)駅前には、スパ・リゾート・ハワイアンズの2年5か月前の看板がそのまま。

130817富岡駅前商店街

富岡町に入り、富岡駅へ。駅前商店街のあるお店の野外時計はやはり2時46分で止まったままです。

130817富岡・藤末会長

私の娘が事故1年前に卒業した富岡高校がここからすぐ近くで、通学時に毎日通っていた改札口ですが、駅舎は津波で流されました。この改札口には、津波直後、流されて亡くなったかたがここにとどまってたんだそうです。

藤末会長と手をあわせました。

富岡町内には、事務局長のお連れ合いの実家があります。「居住制限区域」にあり、庭の放射線量は毎時6マイクロシーベルト。ご夫妻は震災後、初めておとずれることができ、お2人の涙に原発震災の悲しみと怒りを感じました。

あしたは党内学習合宿で泊りです。

県水産試験場/防災緑地のための立ち退き問題

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午前中、県議会の「福島県沿岸部水産業復興議員協議会」として、福島県水産試験場の現地調査をしました。

場長から、現在の仕事の中心となっている魚介類への放射能の影響検査のデータの傾向や概要などについて説明を受け、質疑しました。

試験場では、毎週、調査船や漁業者の協力で150検体以上の魚介類を採取して放射性セシウムの検査をしています。

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たとえば直近だと、8月4~12日に採取した154検体のうち、放射性セシウム134・137の合計でキログラム当たり100ベクレルを超えたのは、アイナメ(170ベクレル)とエゾイソアイナメ(ドンコ、410ベクレル)の2検体。

全体的傾向としても、事故直後からの時間の経過とともに、明確に低下しているとのこと。アイナメ、メバル、ヒラメなど、高い数値が出ている魚種でも低下傾向で、個体差が大きいようです。

汚染水漏出の事実があるだけに、長期に渡る検査は不可欠で、漁業者まかせにせず、体制と設備の拡充を国と行政の責任で明確にすべきです。

130816ウニの放射線

ちょうどこの時間、生きたウニの検査を実施中でした。

130816小名浜漁港

小名浜漁港は漁を待ちわびる漁船。

午後は県いわき建設事務所をたずね、新盆先で相談を受けた件の説明を受けました。いわき市の津波被災市街地土地利用計画方針に基づき、県が実施する県道整備・防災緑地整備・海岸堤防かさ上げ・河川河口部水門整備により、補償のうえで立ち退きを県から求められている件です。

この地域は津波で流された家が少なくないのですが、たまたまこのお宅は地震でも津波でも大きな被害がなく、住み続けられますが、ちょうど防災緑地予定地のなかにあります。津波の浸水があったために、土地価格は下落していて、その価格が補償の基準。

ところがいわき地区は、こうした津波浸水地域以外の土地価格は上昇中です。下落価格で補償されても、同じ面積で土地を確保することは不可能です。

まして住み慣れた現在の家に住み続けたい、という希望。

あの未曾有の災害を受けたばかりだけに、住民にとっても、行政にとっても、きわめて悩ましく、住民の立場に立って、どう解決するか、ということです。

戦争敗北から68年/平和の決意を活かしぬく

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1945年8月15日に、日本の降伏が国民に知らされ、アジア・太平洋戦争での日本の敗北から68年になりました。

その日から日本は、侵略戦争への徹底した反省と、そしてその後公布・施行された日本国憲法の平和・民主の原則にそい、国民本位の政治、世界の平和に貢献する政治の実現をめざす国家として生まれ変わるはずでした。

そうしたたゆまぬ68年間にわたる国民の努力の一方で、文字通り、逆流と言っていい執拗な抵抗も続けられました。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り…植民地支配と侵略によって…アジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与え」(1995年8月15日、「村山談話」)たことを否定しようとする安倍内閣の動き、また「(従軍)慰安所は、当時の軍当局の要請により設営され…本人たちの意思に反して集められた事例が数多く…慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもの」(1993年8月4日、「河野談話」)とした事実を頭から否定する発言が一部政治家から繰り返されています。

ナチス・ドイツの蛮行を「見習うべきだ」とする麻生副総理の発言までとびだしました。

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同時に安倍政権下で進められようとしていることが、「集団的自衛権」の憲法解釈を公然と見直し、戦力不保持と交戦権否認を規定した憲法9条をなくし、自衛隊を「国防軍」という軍隊に変え、日本の「自衛」とは関係なく、「海外で戦争できる国」にすることです。

日本国憲法に戦争放棄を明記させたのも、国際社会の趨勢と同時に、日本国民のたたかいがあったからにほかなりません。

日本共産党は、弾圧に屈せずに侵略戦争反対を貫き通して、今年7月15日で創立91年を迎えた政党です。

私は、68年前の平和の決意を活かしぬき、憲法「改悪」の策動を阻止するため、全力をつくしたいと思います。

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新盆回り/除染や立ち退き話も/じゃんがら

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きのうに続き、きょうは私「単独」で、お世話になったりお世話になっているかたがたで新盆を迎えたお宅をたずねました。

1軒1軒の距離が長い農村地域では、予定していなかったあるお宅まで来てしまい、選挙でもしばしばたずねていたので寄ってみると、「はせべさん、生協病院では最期までお世話になったんです」と声をかけられ、それまでの経過などのお話も聞かせていただき、ちょっとびっくりでした。寄ってよかったです。

第一原発から30km圏内に近い地域では、やはり話題は放射線量と除染。業者による敷地内の放射線測量結果の図面を手にしながら、「除染がいったいいつになるのか連絡すらない。測定してくれた業者の連絡先も書いていない」と。

津波被災地近くのあ宅では、県道の道路橋りょう工事に伴う立ち退き話。「県は補償はする、と金額提示もあるが、納得できない」という話。

リンパ節良性腫瘍治療が首尾よく進んで安心していた直後から、別の事情で急展開してきょうを迎えた、というかたは、公立病院の専門医不足のこと、医療・介護制度のこと、亡きだんなさんが「自共時代が必ずやってくる、と言っていたことが真実味を帯びてきたと思うに至った」といったことなど。

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きのうも市内の各地でじゃんがらの鉦(かね)の音と太鼓の音が響いていましたが、きょうはたずねた先でちょうど出会いました。

夕刻には、きのうたずねた同級生宅でもじゃんがらが来てくれる、と聞いたので、きょうもまたたずね、その後は夜更けまでご家族のみなさんとごいっしょしました。話は、40年近く前にさかのぼることもしばしばでした。

盆の入り/新盆

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盆の入りのきょう、父の墓参りを妻としてきました。

これを前後し、2人そろってお世話になったかたがた、また私の小中高の同級生で、新盆を迎えた家庭をたずね、手を合わせてきました。

いわきに住んでいないので、電話では話す機会があるものの、何年ぶりかも忘れるぐらい会っていなかった同級生にも会えました。

それぞれのお宅で故人の思い出、家族の近況、震災の時のこと、それに「参院選挙はよかったね」といったことなど、いろいろ親身に話せる機会でもあります。

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アクアマリンふくしま/「潮目」がテーマ/別館「うおのぞき」

130812福島沿岸と水槽

久しぶりにアクアマリンふくしま(ふくしま海洋科学館)へ。

県外ナンバーの車、親子連れ、三世代連れが目立つのは、やっぱり子どもたちの夏休みです。

そんなに頻繁に訪れるわけではありませんが、震災からのリニューアル後、これだけ賑わう様子は私は初めてです。

福島県沖に現れる「潮目」をテーマにした水族館ですが、入口を入るとまずは「海・生命の進化」。

エスカレーターでいっきに4階へ行くと、「ふくしまの川と沿岸」。歩いていくと間もなく潮目の大水槽の上部が左側に。

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「北の海の海獣・水鳥」、「オセアニック・ガレリア」、「熱帯アジアの水辺」、「サンゴ礁の海」、「オホーツク海」、そして三角形のトンネルが潮目をあらわす「潮目の海」、右が黒潮、左が親潮のそれぞれ大水槽。

130812どこぞの水槽

ここを通過すると、「ふくしまの海」、そして磯の生き物を手にとって観察できる「タッチプール」。

130812タッチプール

 

130812展望室から人工島橋

シーラカンスの観測の記録映像などが観られる「マリンシアター」、途中、展望室へのエレベーターがあり、屋上に上ると隣りの3号ふ頭が目の前に見えます。ここからムダ使いの象徴の人工島とこれに架ける橋の建設途上の様子が見えます。

130812蛇の目ビーチ

また降りて、子ども体験館「アクアマリンエッグ」、干潟・磯・砂浜を再現した「蛇の目ビーチ」、田んぼや小川、沼など里地の水辺を再現した「BIOBIOかっぱの里」。

楽しく体験でき、学べる水族館です。

130812うおのぞき

アクアマリンがある2号ふ頭と、1号ふ頭の間に、別館の「アクアマリンうおのぞき」(子ども漁業博物館)。ここは、当日のアクアマリン入場券があれば無料です。

130812うおのぞき・捕鯨絵巻

ここでも缶づめ作り、かつお節削り、伝馬船ろこぎの体験ができます。タッチプールもあります。私が注目したのは「磐城七浜捕鯨絵巻」。

駆け足でなく、じっくりまた歩きたくなりました。