全日本民主医療機関連合会の藤末衛(ふじすえ・まもる)会長や5人の副会長、長瀬文雄事務局長ら21人による原発被災地視察に同行しました。
案内は浜通り医療生協理事長で原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さん(元福島県議)。
こうした機会は現地の様子を目に焼きつけて全国に発信するためにも、私も極力参加したいと思っています。
朝9時過ぎにいわき駅に到着した一行を出迎え、すぐ近くの伊東理事長自宅隣りの「けやき共同作業所」の食堂兼会議室を借り、伊東さんから「原発震災から2年5か月の福島のいま」の話。私もひとこと、ごあいさつさせていただきました。
その後は、いわきを出発する場合の定番となっているルートで現地へ。
いわき市内の四倉(よつくら)、久之浜(ひさのはま)の津波被災地を通り、広野町へ入って広野駅。
北上して広野町・楢葉町にまたがるJヴィレッジへ。ホテルと11面の屋外・屋内サッカー練習場を備えた東洋一を誇るこの施設は、端的に言って、福島第一原発7・8号機増設のために東電が福島県に「プレゼント」したものです。その経費130億円は電気料金に上乗せされています。
スタジアムのスコアボードの時計は2時47分ぐらいで止まったままです。
楢葉町に入り、原発問題福島県民連絡会代表の早川篤雄さんが住職の浄土宗宝鏡寺(ほうきょうじ)でけやき共同作業所の昼食をとり、早川さんの話を聞きました。
町内のJR竜田(たつた)駅前には、スパ・リゾート・ハワイアンズの2年5か月前の看板がそのまま。
富岡町に入り、富岡駅へ。駅前商店街のあるお店の野外時計はやはり2時46分で止まったままです。
私の娘が事故1年前に卒業した富岡高校がここからすぐ近くで、通学時に毎日通っていた改札口ですが、駅舎は津波で流されました。この改札口には、津波直後、流されて亡くなったかたがここにとどまってたんだそうです。
藤末会長と手をあわせました。
富岡町内には、事務局長のお連れ合いの実家があります。「居住制限区域」にあり、庭の放射線量は毎時6マイクロシーベルト。ご夫妻は震災後、初めておとずれることができ、お2人の涙に原発震災の悲しみと怒りを感じました。
あしたは党内学習合宿で泊りです。