きのうに続き、きょうは私「単独」で、お世話になったりお世話になっているかたがたで新盆を迎えたお宅をたずねました。
1軒1軒の距離が長い農村地域では、予定していなかったあるお宅まで来てしまい、選挙でもしばしばたずねていたので寄ってみると、「はせべさん、生協病院では最期までお世話になったんです」と声をかけられ、それまでの経過などのお話も聞かせていただき、ちょっとびっくりでした。寄ってよかったです。
第一原発から30km圏内に近い地域では、やはり話題は放射線量と除染。業者による敷地内の放射線測量結果の図面を手にしながら、「除染がいったいいつになるのか連絡すらない。測定してくれた業者の連絡先も書いていない」と。
津波被災地近くのあ宅では、県道の道路橋りょう工事に伴う立ち退き話。「県は補償はする、と金額提示もあるが、納得できない」という話。
リンパ節良性腫瘍治療が首尾よく進んで安心していた直後から、別の事情で急展開してきょうを迎えた、というかたは、公立病院の専門医不足のこと、医療・介護制度のこと、亡きだんなさんが「自共時代が必ずやってくる、と言っていたことが真実味を帯びてきたと思うに至った」といったことなど。
きのうも市内の各地でじゃんがらの鉦(かね)の音と太鼓の音が響いていましたが、きょうはたずねた先でちょうど出会いました。
夕刻には、きのうたずねた同級生宅でもじゃんがらが来てくれる、と聞いたので、きょうもまたたずね、その後は夜更けまでご家族のみなさんとごいっしょしました。話は、40年近く前にさかのぼることもしばしばでした。