「県政の状況」報告準備/再稼動反対・全基廃炉

恥ずかしながら、あした、原発問題福島県民連絡会の今年度総会で、「県政の状況」を報告することになっていたことを思い出し、ほとんど付け焼き刃的に準備する時間にあてることとなりました。

震災時から8か月は議員でなく走り回り、昨年11月下旬の県議選で県議2期目を務めるようになってから7か月。県政においても県議会においても「オール福島」の動きが進んでいる一方で、原発事故が「人災」だと言うことを避ける知事。

そして「オール福島」の声に応えようとしない国と東電の姿勢。それどころか「原発再稼動」と「消費税増税」。

この打開がなんとしても必要です。

きょう開会した南相馬市議会では、大飯原発再稼動に反対する意見書と消費税引き上げ反対意見書が採択されました。7日に開会した川俣町議会でも大飯原発再稼動反対意見書が採択されています。

両議会とも県内原発全基廃炉の意思をすでに表明しています。

ちなみに、福島県内では、59市町村議会のうち46市町村議会で全基廃炉を求める請願採択・意見書採択・決議がされています。

いわき市議会では、自民党系議員10人の「志道会」,同じく自民党系7人の「政新会」、そして東北電力労組出身の議員が所属する3人の「つつじの会」が賛成せず、圧倒的多数の市民の願いである「県内原発全基廃炉」の意思を示せないでいます。

全基廃炉の請願署名が進められており、今年9月には市議選です。市民の意志を示せない市議会にいつまでもしておくわけにいきません

 

政策検討/住民の声/苦渋

衆院の解散・総選挙がいつあってもおかしくない状況です。

きょうは、党中央政策委員会が党としての政策提起をするにあたって、現時点での福島県党の話を聞くために、小池晃政策委員長、大門みきし参院議員をはじめ、委員会の面々と県委員会事務所をおとずれました。

事故直後から今日に至るまで、党国会議員はじめ間断なく現地に入ってはいるのですが、機関としてのあらためてのまとまった話を聞きたい、ということでした。

県側からは、県党の常任委員、県議団、石田洋一大熊町議、渡部寛一南相馬市議、佐藤八郎飯館村議が参加しました。

いまだ警戒区域の大熊町、計画的避難区域から「見直し」がされようとしている飯館村、帰宅困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域などにばらばらにされている南相馬市など、住民のみなさんの声をじかに聞いている議員の話そのものが苦渋に満ちたものです。

原発行政を国策として進めた国の社会的責任を認めている国自身がこうした人びとにどれだけ寄り添った施策をつくり、展開するのか、党としても真剣な提起が必要です。

原発再稼動、消費税増税に突っ走ろうとする民主党のみなさんは、どこまで真剣なのか。

中央省庁交渉/「避難する権利」/「事故は収束していない」

党県委員会として原発事故後の対応、震災対応での要望を中心に中央省庁交渉をし、党県議団として参加しました。

高橋ちづ子衆院議員、紙智子参院議員も同席してくれました。

経済産業省、文部科学省、環境省、内閣府、厚生労働省、国土交通省、復興庁のそれぞれの担当職員が、会場の衆議院第2議員会館会議室に入れ代り立ち代り来てくれて、対応しました。

要望項目はもちろん多岐にわたりますが、私からは、事故認識や賠償について国と東電の間にかなりのギャップがあるように受け取れる問題の指摘、県民の健康診査やがん検診無料化について県も国の役割発揮を言っていること、浜通り、とりわけいわき市の医療提供体制について、国立病院設置の検討も含めた充実が必要なこと、「避難する権利」を認めることを大前提としての支援策を具体的に考えることこそ必要なこと、などをかなり強力に話しました。

それにしても、復興庁職員が、「昨年末に首相は、ステップ2完了を宣言したのであって、原発事故が収束したとは言っていないし、事故は収束はしていない」と繰り返し強調していました。

それならそれで政府が「事故は収束していません」とはっきり言うべきであって、温度差というより、認識のかなりのギャップです。

民主先駆の碑前祭/「南京大虐殺と原発爆発」/偲ぶ会

民主先駆の碑前祭がありました。このいわき市にも、第2次世界大戦前から世の不条理とたたかった人びとがいます。

こうした先人たちの意志を継ぎ、不条理をただすのが今に生きる私たちの責務だと私は思っています。

直近の不条理は、「ないない尽くし」のなかでの首相による原発再稼動表明であり、消費税増税に「命をかける」姿勢です。

先人たちは、思想の自由も表現の自由も政治的自由も抑圧されたなかでの不条理とのたたかいでしたが、いまや、「民主主義」が当たり前とされるなかでの不条理です。

怒りをもって、たたかう意志を固めあいたい、と訴えました。

その後はすぐそばの湯ノ岳山荘を会場に、小野賢二さんが「南京大虐殺と原発大爆発」をテーマに講演。南京大虐殺当時、「福島県・第65連隊」に属していた人びとに直接会って話を聞いたり、「陣中日記」を掘り起こした小野さんだけに、事実に迫る迫力でした。

午後は、昨年の大震災後、県議選の数か月前に不治の病で70歳で亡くなった、かつての党いわき地区委員長だった「結城信重さんを偲ぶ会」。

私は直接的な接点はなかったのですが、私が県議候補になった2002年には党県委員会の役員を務めていて、時どきお会いしていました。

党中央委員会の仕事をされていたこともあり、市内ばかりでなく、全国から結城さんを慕うかたがたがそれぞれの思いを語ってくれ、やっぱり、こうした先人の意志を継ぐことの大切さをかみしめました。

橋下氏の手口/言葉を言葉で疑う

『橋下「維新の会」の手口を読み解く』(小森陽一著、新日本出版社)を読みました。

「橋下徹的政治手法の基本的な手口を、言葉の使い方の側面から分析し、そのからくりを解きあかすこと」がこの小冊子の目的です。

ハッとさせられたのは、「一般に民主制のもとでは、『独裁』という政治形態は、支配される側としての大衆の政治参加と積極的な支持によって可能になります。マス・メディアを使った大衆的な意識や感情の操作によって実現するわけです。その場合、人々は独裁という非民主的な政治を自覚的に支持しているというよりは、むしろ自らの政治的要求が実現する道だと錯覚させられている」という指摘。

だから、橋下氏が「善玉」のようにマスコミなどによって持ち上げられているなかで、「『善玉』になった人を、理由をあげずに『独裁者』と非難だけしていると、その批判者が『悪玉』にされてしまう」。

言葉をあやつる生きものとしての人間の尊厳をかけ、言葉を言葉で疑い、ウソをひっくり返すことも、民主制のもとでの有権者の仕事です。

道理も知見もない再稼働/決断すべきは原発ゼロ

事故原発の原子炉の実態すらわからなければ、地震動による被害もわかっておらず、原発事故の原因究明は始まったばかりです。政府や国会の事故調査委員会の検証も途上です。

政府が示したとりあえずの30項目の「安全対策」も、計画さえつくればいいだけで、対策としてとられていません。

地震と津波の学問的知見の根底からの見直しを迫ったのが今回の大地震で、その議論は始まったばかりです。福島原発近くの双葉断層や、井戸沢・湯ノ岳断層の調査すらこれからです。

全国の原発が事故を起こした場合の放射能被害の予測、住民避難の計画すら立てられていません。事故時の対処はまったくできない状態です。

いまだにまともな原子力規制機関が存在していません。原子力安全委員会、原子力安全・保安院は、今回の原発事故に責任があるにもかかわらず、なんの責任もとっていません。

原発再稼働にはいっぺんの道理も科学的知見のかけらもないのです。

こういう状態で、野田首相はきのう、「万が一、全ての電源が失われるような事態でも炉心損傷は起きない」と、新たな安全神話を振りまき、「国民生活を守る」ためだと言い放って、大飯(おおい)原発3、4号機の再稼働に突き進む異常な姿勢を明確にしました。

自分で何をしているのかわからない民主党政権の極地です。財界・電力会社の言っていることを忠実に実践することが政治の仕事だと信じきっているようです。こういう人たちが「国民生活が第一」と言っていたのです。

消費税増税しかないかのような話もそうですが、大手マスコミに踊らされるのもいい加減ヤメにしませんか。

いまは、稼動ゼロから原発ゼロに政治決断する時です。その決断を迫るのが私たち国民・有権者です。

写真はいずれも今年1月30日の現地視察時のもの。

巨大津波と生態系/トンボを襲うテントウムシ

『巨大津波は生態系をどう変えたか』(永幡嘉之著、講談社ブルーバックス)を読みました。

著者は、図鑑に使うような動植物の写真を1枚ずつ時間をかけて撮り続けてきた自然写真家。

あの巨大な津波によって自然環境に起こったことを、ひとつでも多く、正確に記録するため、福島県いわき市から青森県下北半島まで、昨年12月までの約100日間、5万kmを走ったんだそうです。

1年経っていない段階なので、「種の絶滅という『大きな絶滅』は幸いにして起こっていないようでも、個々の場所での『小さな絶滅』が積み重なっている」ようです。

重要だと思ったのは、「津波そのものよりもむしろ、土地利用が進んだことによる、砂浜や湿地の孤立と分断の影響」、「津波の影響ばかりでなく、それまでに人間が続けてきた環境改変によって、震災以前の時点で『隅に追いやられた状態』になっていたものが多かった」という指摘。

また、環境アセスメントが震災によって免除が相次いでいても、「従来の取り決めを守る努力がなされ、砂浜の瓦礫撤去や堤防修復の際には県内の有識者への聞き取りを行うことで、希少種への配慮がなされていた」福島県職員の仕事への評価がされています。

「羽化するオツネントンボを襲う2頭のジュウサンホシテントウ」の第5章の扉写真にはちょっとびっくり。テントウムシの大発生によって、餌が欠乏したために、通常では考えられない場面だそうです。

6月までにはもともとテントウムシが少なくなっていたことによってアブラムシが大発生し、今度は大量の餌を前にテントウムシが遅れて大発生したようなのです。

包括支援センター/エリコーナ/「かけはし」「あしたの風」

昨年の大震災以来、ずっと気になっていた市内の地域包括支援センターをたずねました。市内7か所にあるのですが、きょうは平と小名浜でした。

もともとこのセンターは、それぞれの地域の高齢者の「総合相談窓口」的な機能をはたす機関として始まったのですが、当初は、介護保険で「要支援」と認定された高齢者のケアプラン作成に特化したかのような実態だったのです。

震災時、地域の自治会、民生委員や社会福祉協議会のかたがた、市役所などと情報の共有に努め、とくに一人暮らしや高齢者のみの世帯の安否確認や訪問活動、物資配布で、休みなく活動していた実情を聞きました。

「ここで暮らしていく」と決めた職員のみなさんの奮闘ぶりにはほんとうに頭が下がる思いです。心から敬意を表します。

問題は、この活動が、地域で暮らす高齢者のみなさんの現実の要望に応えることができているのかどうか、なのです。それぞれのセンターで「応えられているとは思えない」というのが実際の姿だと思うのです、

こうした場で働くかたがたが、「この仕事をしていてよかった」と思える環境づくりは政治の責任だと思います。

家にもどると、亡くなられた若松紀志子さんの「お別れの会」の案内が来ていて、私の日程では参加できないので、いてもたってもいられなくなり、紀志子さんが主宰していた「アートスペース エリコーナ」をたずね、6年前に対談した時の写真を届けました。

その後また、家にもどってネットで天気予報を確認すると、あした未明からずっと雨模様。大急ぎで私と宮川さんの通信「かけはし」、私の「あしたの風」をセットにしてご近所250軒ほどに配布しました。

またいろいろ声をかけていただいてありがたかったです。

磐城高校吹奏楽部東京公演

次の次の日曜日、17日は、私の母校でもあり、在学中の3年間(1976~78年)活動し続け、部長もつとめた磐城(いわき)高校吹奏楽部の東京公演があります。

会場は日比谷公会堂で午後1時開演(12時開場)です。

東京・首都圏のみなさんのみならず、地元からもどうぞご参加ください。

チケットぴあやセブンイレブンでもチケットが購入できます。

現役の部員が福島の復興を祈念する演奏会です。

団会議/懇談

6月議会へ向け、質問を検討する最初の県議団会議でした。

原発事故認識や国や東電に求めること、除染、すべての被災県民支援、国の復興基本方針と県の姿勢、県民の健康など、まだまだ原発事故後の課題は大きいままです。

午後は県内の諸団体と6月議会を前にした懇談をしました。

医療スタッフや介護スタッフ不足の問題・処遇改善、地域医療の課題、医療計画と看護師需給計画、県内で働く人たちの最低賃金を引き上げるための県の姿勢と働きかけ、生活保護のことなど、様ざまな分野での県への要望が出されました。