年明けの年に一度の「いとこ会」でした。
毎年、持ち回りで幹事をにない、会場も幹事が決めて開催しています。
今回はたまたま、私の中高同期生が社長を務める会場。そんなことは社長は知りませんから、担当してくれた従業員に「社長にお世話になってます」と伝えたら、途中からずっとつきあってもらい、なんだか申し訳ないことです。
いとこたち夫妻宅には、昨年の県議選の前からそれぞれにたずねてはいましたが、県議選後に一堂に会するのは最初。
「これからだからな」と叱咤と激励です。
15日から始まる県議会予算議会での質問の準備に取りかかりはじめましたが、原発震災と、議員として仕事ができなかったブランクは大きかったことを痛感しています。
「原発事故の完全賠償をさせる会」による「原発事故賠償は、『要求しなければ、何も得られない』」の学習会に参加しました。
「賠償はどこまで要求できるか?」がテーマの渡辺淑彦弁護士の話、「東電や国の言う賠償はどこに問題があるか」をテーマにした秋元理匡(まさただ)弁護士による話は、大変に勉強になりました。
質疑では私もしたかったのですが、とてもその時間がありませんでした。
夕刻からは、小名浜地区労の2012年赤旗開きに来賓参加させていただきました。
政府による原発事故収束宣言のでたらめさ、被災地の復興が政治の最優先のときの「税と社会保障一体改革」のでたらめさ、いつあるかわからない総選挙、今年の秋にある市議選でのご支援を訴えました。
各テーブルをまわってのごあいさつでは、みなさんから激励と期待の声をかけられ、ほんとうにありがたかったです。ありがとうございます。
午前中、県庁内の介護保険室、県民健康管理調査室、健康増進課を「行脚」し、仕事の現況についていろいろうかがいました。
職員のみなさんに責任があるとは思いませんが、行政として、介護も健診も提供責任はなくされていたり縮減されていたりで、私は寒々とした思いを抱かざるを得ません。
住民のみなさんは「行政はどう責任をとるのか」と思っている分野ばかりです。
午後は県議会の「子育て・健康・医療対策特別委員会」の最初の理事会がありました。
調査事項・調査内容や当面の日程を確認。私は、「これらのテーマについて行政の仕事がどうあるべきか、全国へ発信する結果を出したい」と発言。
委員長は「根本的なあり方を問う発信をしなければならない」と応じました。
いわきへもどってから、宮川さんと「いわき自立生活センター」をたずね、障がい者の暮らしや支援をめぐる課題を聞かせていただきました。
先月23日、議会事務局次長に受け取ってもらっていた議長あての「議会活性化、民主的運営に関する申し入れ」について、あらためて議長と県議団として会い、意見交換しました。
各党、各会派でも当然いろいろな意見もあり、活性化につなげていきたいと思います。
午後は、党の県内市町村議との懇談会がありました。
仮設住宅の防寒対策、高齢者や障がい者などの緊急通報システム・安否確認は切実に求められています。
原発立地地域から避難されている住民からは「もう戻れないんじゃないか」の声が広がっている、との話、放射線量が高い地域から避難されている住民からは「若い人はもどらない、年寄りだけがもどってもなにもできない」という話も出されました。
除染の問題、食品の放射線量検査のこと、18歳以下の医療費無料化と同時に、高齢者を含めた医療体制の充実、中小業者への税の減免、さまざまな申請の期限の柔軟化、賠償金を課税対象にされようとしている問題、などなど、課題は山ほどあります。
市町村議員のみなさん、国会議員とも連携し、ひとつひとつ前へ進めなければなりません。
昨年11月の県議選直後ぐらいからの新聞3紙がたまってしまい、切り抜きと処分をしました。
毎回、1日がかりなので、新聞の読みかた・処分法は課題なのですが、改まらないまま今に至っています。
原発の「冷温停止状態」の件です。もともとこの言葉は専門用語で、運転していた原発を停止したあと、原子炉圧力容器内の水温が100度以下に保たれていることを言います。要するに、健全な原発で正常に運転を停止するさいの状態をさしていました。
ところが今回、炉心溶融という異常事態の原発にあてはめて、圧力容器底部の温度が100度以下で、放射性物質の放出が抑えられていることを基準としたのです。
圧力容器底部にどれだけの燃料が残っているのかもわからず、汚染水を通してどれだけの放射性物質が放出されているかもわからないのに、です。
核燃料化学が専門の元中央大学教授の舘野淳さんは、「『収束』は言葉のトリック」と「しんぶん赤旗」のインタビューで断じています。
『原発にしがみつく人びとの群れ』(小松公生著、新日本出版社)を読みました。
著者は日本共産党政策委員会の政治・外交委員。副題が「原発利益共同体の秘密に迫る」。
あの震災後、「『こころ』はだれにも見えないけれど、『こころづかい』は見える」のコマーシャルがテレビを席巻しました。スポンサーである企業がのきなみ自社CMを自粛したことがその理由であることはよくわかります。
このCMは「ACジャパン」によるものでしたが、正会員リストを見ると、日本経団連、経済同友会、日本商工会議所の財界御三家はじめ、日本の主要な経済・業界団体が名を連ね、“大企業の、大企業による、大企業のための広告機関”であることがわかります。
そして本書では、財界・政界・官界・学界・マスメディアの「原子力村のペンタゴン(五角形)」、別名「鉄の五角形」の奇怪で醜悪な利権構造をえぐり出します。
これらの共同体には、原発事故に伴ういっさいの補償・賠償・除染のための費用を負担すべき責任と義務があります。
きのうの県議会常任委員会としての調査は、第一原発現場視察がメインだったこともあり、事故原発の現況や対策については、資料はもらったものの、東電による説明と質疑応答は短時間でした。
私が「公式」の場で聞いたのも、所長説明で3・4号機の使用済み核燃料プールの瓦礫撤去の作業についてだけでした。
現場視察前の休憩時に、資料をペラペラめくっていたら、「冷温停止状態」を達成、の文字があったので、「これは実測値ですか」と確認したのです。
家にもどってから見てみると、その資料のページでは、「損傷した燃料が圧力容器及び格納容器のどこに存在しているかを正確に把握することは難しい」と書いてあって、下のグラフは「原子炉圧力容器底部温度」と「格納容器内温度」。
燃料はメルトダウンして、圧力容器底部からは落ちている可能性が大きいし、内視鏡でのぞいたときにも格納容器内のどこに燃料があるかはわからなかったわけです。
このグラフも、溶け落ちた燃料がない場所の温度でしかないかもしれません。いったいどんな意味があるのでしょう?
事故収束と廃炉へ向け、監視・規制機関としての役割を果たす国家機関が存在しない、ということではないでしょうか?
福島県議会の企画環境委員会による福島第一原発現地調査をしました。
建屋損傷がいまだ生々しい3・4号機では、使用済核燃料プールのうえの瓦礫はいまだ撤去作業中の説明がありました。
各原子炉内の温度は実測値ですが、「正確かどうかはわからない」「プラスマイナス20度の範囲」という第一原発所長の説明で、要するに誤差が40度もあるし、不正確かもしれない温度。
構内をバスで案内してもらうと、私の簡易放射線測定器(DoseRAE2)で、バス車内でも毎時30~40μSvはあたりまえ、3号機前の海岸側では毎時1000μSv(1ミリSv)を超え、この測定器を手にして初めてアラームです。
ピーピーとうるさくて電源を切ったよ、という議員もいました。
ともかく、東電による構内の線量測定でも、私の測定器でも場所によってかなり幅があります。
第一原発から約20kmのJヴィレッジで「防護服」を着たり、積算線量計を身につけ、それから2時間強で戻ってきたと思いますが、0.038ミリSv(38μSv)の被曝でした。
ちなみに、私の測定器でのバス車中での国道6号線での放射線量測定値は、「毎時μSv」の単位で、Jヴィレッジ入口で4ぐらい、楢葉町役場前の前後では1.1~3.9と幅があり、夜ノ森公園入口では11、第二原発前では5.5。
『検証 原発労働』(日本弁護士連合会編、岩波ブックレット)を読みました。
昨年(2011年)8月4日の原発労働問題シンポジウムの記録です。
このシンポは、日弁連が「人間の復興を目指して」をテーマにした震災・原発問題の連続シンポの第一回でした。
日本共産党の渡辺ひろゆき・いわき市議会議員もシンポジストとして参加し、執筆者の一人として登場しています。
渡辺市議への原発労働者の相談や、日弁連貧困問題対策本部による原発労働者への聞き取りによっても、原発労働の下請け・孫請け・ひ孫請けと人夫出しの実態があり、これによって原発の現場で働く劣悪な非人間的な労働が集中的に顕(あらわ)れていると思います。
廃炉へ向け、長期にわたる原発労働は不可欠です。派遣労働があたりまえの労働法制の抜本的改正と、原発現場で働く人たちの労働環境の抜本的改善をいそがなければなりません。
午前中、私が住む地元の党支部長さんと中央台地域で県議選でお世話になったかたがたをたずねました。
「ああいう状況で来てもらったのが共産党だけだったんです」「一家をあげて応援させてもらいました」「頼るのはほかにないんです」などなどと、ほんとうに大きな期待をあらためて感じました。
常磐地域の「新春のつどい」に宮川さんと参加しました。市内のつどいはこれで最後。
ほかの地域ではあらかじめカラオケの打診があったりしましたが、今回はその場で突然のご指名。そのうえアンコール。
まっ、「しあわせになろうよ」と「乾杯」です。
夕刻からは私の地元の党支部のみなさんとの新年会。まぁ、まず無礼講以前の関係ですから、こういう絆は大切です。